「マル経」のその後

 本来なら「革命という価値観の大転換」を目指すはずが「資本主義の矛盾や取りこぼしを指摘する」って重箱の隅をつつくいじましい姿勢で居なければならない「撤退戦」を延々続けてるわけさ。だって共産党が本気で民主主義を標榜してるんだぜ? 輝かしい歴戦の勇士達も墓の下で驚いてるよ。


 でもって70〜80年代に、どうやら共産主義の国はそーとー酷いらしいって「事実」を突きつけられても、あれは正しい共産主義ではないとか、これからは人間の顔をした社会主義wだとか言い出して、普通の人達は「おま…」って呆れ果てて、で、ベルリンの壁が崩れてわちゃわちゃになってさ。


 その流れ、「現実」を全部無視してルイセンコ以来の伝統の「現実無視」「科学無視」を伝統芸の型のように延々と引き継ぎ続けてる。なぜならそれを見れば、認めてしまえば自分のよって立つ足元がたちまち崩れ出すから、その現実・科学の方が「正しくない」としないとやってられないわけだ。


 新聞やTVの意欲的なドキュメンタリーとか、先輩記者がやってきた「市民団体」と結びついてのマッチポンプ式の提灯記事掲載=ご商売の補助を若い記者もそのまんま遺産として引き継いでいるから、現実や科学を基になぞしたら、自分らの言って来たことほぼ全てが瓦解するからね。そんなの無理だよね。


 なにしら、あの人達の「取材」って、気心の知れた市民団体から情報を得る、紙面や画面に出る人を紹介してもらうwって事だからなあ。そりゃあ書く記事は事実、現実、科学といったある程度の客観からの発想ではなく、その方々の活動をどうやって補助するかになるよ。


 70年代後半、自然派ニューエイジ、反原発のエコ馬鹿達が左派陣営に大量の流れ込むのだね。エコ馬鹿は政治参加の基盤が欲したかったし、左派からすれば反資本主義、社会の矛盾で殴りかかる先兵になるし、何より党勢維持でとりあえず人数を取り込みたかったわけで。お互いの共通点は強烈な選民意識。


 それとある種の熱狂と狂信を根に持つ全体主義的なファシスズムへの親和性。これ、理屈ってよりその人間達の気質みたいなモノなんじゃないかと。かつてはその片隅でヘドモドしながら暮らしていた自分の個人的な感想だけどさ、そう思うね。


 異論(この場合は現実・科学)は絶対に認めないし、異論を持つ者は敵として徹底的に排除する。内部で自分達の主張を検証することさえ許されない。指標となる科学なぞ邪魔なだけなんだよ彼らにとっては。


 だからさ、あの若い記者の『科学を振りかざしてこれが真実だ、と言われてもですね』って傑作でさ。そのまんま、その文字面のまんま受け取るべきなんだよ。「そんな現実あるはずがありません、僕の教わってきたこと、僕の考えるあるべき現実とは矛盾しますからやめて下さい」って心の叫びなんだよな。


 足しとくと、70年代からのエコ馬鹿流入で無視出来ないのが文化大革命の影響。コミンテルンの昔からコピーが大好きな日本左派は、そのまんま「農村から都市を包囲」って死にかけた独裁者ジジイの思いつきに感動して忠実に実践しようとしちゃった人間達がいるってわけさ。


 その前に新しき村とか、ずーっと後のオウムとか連合赤軍も含めて、どれもがセックス絡みでグダグダしていくのだけど、小型なモノではデイズジャパンの広河みたいなのとかの科学とは対局の強烈な家父長制の煮凍りみたいなモノが左派の文脈には仕込まれていると感じてるんだけど、それはまた別の話かな。