「傑作」の世代的位相差・メモ

 だから、「若い時に得たのと同じ衝撃を老いてからも得たい」と願っても、作り手がお出しするものの品質がいくら良くても、受け手が老いてしまうことで「その身のうちに強い衝撃が発生し得ない」という構造がどうしても存在すると思うのさ。


 歳を取ったら薄い味付けじゃ味がしないみたいに。昔が舌がびりびりして到底食べられなかった苦いものが老いてから食べられるみたいに。鑑賞にも、そういう鈍り方ってあると思うんだよねえ。


 うちの父親は思春期に「2001年宇宙の旅」を浴びてしまって、それ以降それを超えるSF映画を探し求めて彷徨っては「これもちがう、あれもちがう」と悲しんでいる人だった。ので、この話は父の姿をベースに書いています。


 「傑作」ってたしかに世に存在すると思うけど、それを「傑作」だと感じられるかどうかには、その当時自分が若かったかどうか、も関係しそうだよなーーー、って思ったりしています。どうしようもなく僕らは老いていくことを止めることはできないし。

まさにそう感じました。トイレの個室に鑑賞後入っていると興奮した声の中学生、高校生くらいの人らの声が聞こえてきて、ものすごい世界観…泣いた…と衝撃の凄さを語っていて、なんかこう、終わったなあと感慨にふけっている自分との違いを感じました。彼らの物語というかこの年頃が一番刺さるよなって。