「おたく」と性差の精神史・雑感&メモ

 たとえば、コミケは初期からおにゃのこが関わっていたという昨今では「史実」とされるようになったことについても、じゃあなぜ、どうして、ある時期までそういう「おたく」系女子の存在は「おたく」イメージにうまく反映されないままでいたのか、という謎は相変わらずほどかれてないままだと思うたりするんだがな。

 昨今は「性癖」という言葉の意味がそういう方向にしか収斂せんようになったようだが、ある時期までいわゆる腐女子がたが自らを深く韜晦しながら「性癖」を秘匿する、その修道尼のような身の持し方は、でも「おたく」以前のマニアやファン、●●狂のコミュニティでも維持継承されていたものだったはず。

 「おたく」的な「性癖」を深く韜晦しながら秘匿する、そういう身の持し方には当然、矜持や誇りも密かに伴われていたはずで、だからそれらは世間一般目線から捕捉されにくく、だからイメージとしても反映されることもなく、「異形の王国」的なココロの紐帯を維持することもできていたんだろう、と。

 近年やたらと騒動になる「萌え絵」とゾーニングの問題なんかにしても、そういう「性癖」を互いに身を持して韜晦と共に秘匿することでコミュニティの輪郭を確かに維持するという作法が、商品化と市場論理によってすでに崩壊し、生の「性癖」が野に放たれている現状に対するバグみたいなものかもな、と。

「おたく」と言った場合、アニメ、マンガでなくとも、鉄道ファン、仏像、すべて女子は別扱いでしたよ。音楽のジャニオタなど、追っかけ、グルーピーは女子メインに言われてましたが。

80年頃のさべあのまの『モト子せんせいの場合』で、主人公達が再会した女性を「ガンダムーと言っていた彼女が。見違えた」と話題にするのですが、昔の姿は前髪をピンで留め、制服みたいなスカートをはき、手にはデパートの紙袋。いるいると思いながら読んでいたので女性の間ではイメージがありましたね。

そうそう。「家庭科の教科書に載ってるみたいな格好」で書かれてましたね。

コミケに関して言えば、90年代には既に大規模化していて、自分の行かない日、興味のないジャンルについては状況を把握しづらいのと、女子同人は「ひっそりやれ」という謎の同調圧力のせいで最近まで(男子同人より)可視化されづらかったというのもあるのかな、と。

オタクブームのきっかけのように言われる宇宙戦艦ヤマト以前に、アニメの海のトリトンのオタク的活動があった事はあまり語られないのですが、それはもう24年組の少女マンガを愛でる層とシームレスに繋がっていた為、少女マンガのファン活動の延長のように捉えられていたように思います。


それはコミケの前身になるファンジン交換会を続けていたSFマニアも同じで、やっている事も参加者も重なっているのにオタクのようには認識されていなかったのはSF大会などのクローズドな所で行っていたからでしょう。やはりメディアがオタクと名付けたところからオタク像が作られていったように思います

ヅカファン的な生涯送る人は昔からいて。「女性のおたくは面倒なので取り上げない」と河田町の報道の人が言ってましたね。同時期テレ東で『面白アニメランド』という番組があって、IVS制作だから『元気TV』みたく男おたくを標的にしてからかった。そういうメディア操作が果たした部分大きいのではと。

それを
「女性が描く」
になにか意味があったような論
をどこかで読んだような気がします
男性ではダメだったとか・・

RT 編集部が女性作家を集めていたのかなぁ。男性だと”ゆうきまさみ”先生が短い期間連載をもっていたという話は聞いていますが、ほかに目立った男性作家の名前を思い出せません。

なんか、昔のオタクの屈託とそれの裏返しの過剰な理論武装って、アナログな子供向け商売が今よりずっと巨大で影響力があり、そしてまともな大人はそれにアクセスしないものだとされていた、という前提を理解しないとよくわからないんじゃないのという気がする。

そういう「性癖」を互いに身を持して韜晦と共に秘匿する~中略~作法が、商品化と市場論理によってすでに崩壊し…
まさに仰るとおりで、また表現規制反対活動も性癖を通じて承認欲求を満たす装置のひとつとなった感はあります。少なくとも2001年の横浜会議段階で、性癖を通じた承認問題は厄介でした。


この辺、ホント個人差地域差が大きくて一般化はできんのだろうけど、ワシは高校入って漫研の先輩女子から『魔物語』とか教えてもらったんだぜ。


弘前市での同人誌即売会などでも女性スタッフは少なくなかった。実働面ではどうしても「無理の利く」男性が動く事が多かったけど、頭数や地元人脈という点ではむしろ女性が頼りになった思い出。


明日掲載予定の陸奥新報のエッセイでもちょうど触れたけど、今よりずっとはっきりと趣味の世界も男向け女向けで分かれていた時代、アニメ誌は数少ない「男女が両方読んでる雑誌」だったんだよな。

ていうか、ある程度よい家庭で育ち頭がよろしくて都会の大学に進学してくるような女子なら今の若い人でも「そういうこと」言いますね。


ていうか、柴門ふみの「さみしい同盟」がまさにそういう話ですね。


リングにかけろ」なんて真っ直ぐに読み解けば男塾並みに男臭さしかないような物語の筈なんだけど、女子がキャーキャー言い出した時は「なるほどね」思うただけで特に違和感なかった。何でかと言われるとちと考えねえといけねえが。

クールジャパンにつながる「オタク」もてはやしは、「あそこから上がり抜けんじゃね?」以上の動機はなかったんでしょうね。その過程で政府やコンサルさんはコレまで一瞥もしなかった「オタク」の財布がどこで開くか?と分析してきた(・ω・)だから「市場」埒外の趣味は「オタク」認定されんのですよ。

男は「子供のままでいい」と言われつつも
「稼げ」「食わせろ」「養え」
と言われるから、どうしても出費の一線がフローを意識したものに・・・


どっちも多少形が違うだけで、大人になれって言われて息苦しいかったのは大差ないような?

男は一人前になって女房子供食わせろ
女は早く結婚してかーちゃんになれ

男の事しかリアルにわからんけど既婚じゃないと役職付くの難しかったのそんなに昔じゃないし、家買った途端に転勤命じられたし。

苦しさでは、そう変わらんでしょうね「お気持ち」で俺が私が!やってるから、防御のために反論せざるを得ないだけで


なお、ブラックは簡単に役職付きますよ
そして、役職だから残業代なしと労基法違反される


そして、今でもありますよ
そういう「現実をみてない」から、年収が低い男は嫌だと

単純に、「年収の低い男と結婚したが、それをみて重い仕事を任せられるようになって年収があがった」というところを一切見ずに「年収の高い男は売れて、屑しか残っていない」と。吹き上がってるのはそういう連中が主体では?

ツイッタで交わされてるようなのは正直尖り過ぎててわからんですね。例外はあるでしょうけど、普通はお互いの考え方やら文化やら収入が受け入れ可能な範囲で被ってなきゃ関係なんか維持できないのにね。

昔はかーちゃんに「他所はヨソ、ウチはウチ」って言われて他人を羨ましがるなって怒られたモンだけどなぁ、と。いま、そう言うのはないのかな?

かつては「欲を言えばきりがないよ」(小津安二郎麦秋』)の美学があったのかなと思います。その低成長の受容と諦念を絡めてなら、phaさんの『ニートの歩き方』あたりが想起されます(マニアックすぎるかな)。すみません、通りすがりですが。

最近バズってた「何のために生きている?」も同じですね。議論は「互いの認識をすり合わせて、共通認識を構築したうえで行うもの」であるのに、それに失敗したことを顧みずに、相手の全てだけを否定する。それで、人生のすり合わせをすることが出来るとでも?って感じです

つまりあれだ、オバQ怪物くんパーマンと続いた不二家の藤子劇場が終わって、ピンキーとキラーズが夢を求めてキャンピングカーで旅をする番組に替わった時、俺はあまりの面白く無さに脱落したが、それが当時の「アニメなんか見てないでアイドルのドラマを見くらい色気づきなさい」って世間の圧力。

オタクブームのきっかけのように言われる宇宙戦艦ヤマト以前に、アニメの海のトリトンのオタク的活動があった事はあまり語られないのですが、それはもう24年組の少女マンガを愛でる層とシームレスに繋がっていた為、少女マンガのファン活動の延長のように捉えられていたように思います。

それはコミケの前身になるファンジン交換会を続けていたSFマニアも同じで、やっている事も参加者も重なっているのにオタクのようには認識されていなかったのはSF大会などのクローズドな所で行っていたからでしょう。やはりメディアがオタクと名付けたところからオタク像が作られていったように思います

ジャングル大帝の連載が1950年。
鉄腕アトムのテレビ放映が1963年。


漫画もアニメもゲームも、国内市場としてはプロ野球以上でも、昭和40年代の感覚で大人になれ卒業しろという人がいる。人間の意識は、変わるときはスルッと変わるが、変わらん時は変わらんもんだね。

横から失礼します。
実際に昭和40年代に子供だった者としては、当時の大人の考えは、”大人になれば卒業”というのではなく害悪だから見るな!といったものだったと記憶してます。大人になったら卒業と言われ出したのは昭和50年代に入ってからと記憶してます。

元々が「気持ち悪い男たち」を批判するための呼称なので、女性は含まれないし、そもそも「女のコ」というほぼ無条件に好ましい(従って批判の対象外)存在からいかにも縁が遠そうであるということが、「おたく」という呼称が生まれたときからのおたく批判の文脈にあった認識です。

漫画描き夫婦を2組知っとるけど、旦那がプロんなって鳴かず飛ばずの方は田舎に引っ込んで、旦那がグラフィッカーから壁サークルの方はまだ参加してるはず。

「大人になれ」=「飲む打つ買う(吸う)」だったので。自明では無く「マンガアニメはガキの遊び」と明言されてたから。

今はそういうユルいオタクもオタクの範疇に含まれてるから、女オタクもその中に含まれるようになったよね(と昭和の女オタクは思うのであった。「わー私もそれ好きです」って言ったとき突然始まる重箱の隅突きテストにうんざりしてコミュから抜けたことが何度かあるよ)

62歳の私が友人(男性)からすすめられ、初めて萩尾望都ポーの一族」を読んだのが、1975年の高校2年生の頃ですから、ちょうどその頃ですね。私たちの年代(現在還暦前後)が、1974年の宇宙戦艦ヤマト本放送、翌年の再放送で夢中になって、1977年の映画化まで行わせたアニメオタク第一世代だと思います。

「おたく」と言った場合、アニメ、マンガでなくとも、鉄道ファン、仏像、すべて女子は別扱いでしたよ。音楽のジャニオタなど、追っかけ、グルーピーは女子メインに言われてましたが。

インドア系女子は80年代にピンクハウスにやられてますよ。インドア系女子の正装でした、そこからゴス方面(メイド服等)に旅立たれた方々も。

私の実感もこれです。バブル期に壁サークルがピンハもしくはボディコンに占拠。少し後にやはり壁サーがヴィジュアル系にハマって黒くなりました。そのくらいから買い専も「晴れ着」感が増したように思います。

セル画コレクターは、何故か顔面を非常に接近させて話すのが普通じゃなかった。そして相手の事をお宅と呼ぶ。セル画収集に全国行脚している事もあり、金には執着していた。コミケ会場で「オタクと呼びかける」突発的ブームが有ったらしいが、その際はセル画コレクターを意識しての遊びだったろう。


その妙に楽しい空間が、腹立たしかったのが中森さん。意識高い系マンガが描けず、迎合して描いたエロマンガも受けず、リア充自慢で憂さ晴らしの日々。なので逆恨み対象は、セル画マニアでは無かった。しかし定義を知った読者は皆、セル画マニアが頭に浮かんだ。さらにSFマニアが自虐に使い拡散へ。


定義を行った人は、男性を念頭にしていた。その後、対象範囲がより広く認識されていくと、性別関係なくなって行った訳。