国と地方自治体、自治と自立の困難

 国の基準を外れると補助金を切ったり返還を要求したりするような、DVレベルの過干渉を繰り返してきた結果が、自分の頭で考えられない地方自治体。


 国って、地方自治体が基準を杓子定規に守らないと、本当に自治体を強請るんだよ。


 僕が公務員時代に実際に見聞きした例をいくつか。


 ニュータウンで、小学校を建設した。
 建設費はニュータウンを建設する自治体の特別会計と、国の補助金で賄った。
 建設時には子育て世帯が多かったが、じきに子供が減ったので、空き教室を福祉施設などとして活用した。

国「小学校建設費用の補助金を目的外使用したので、返還して下さい」

 小学校として使用しなかったわけではないのに、福祉施設に転用すると補助金を返還させられる。では福祉施設の整備費用として改めて補助金を申請できるかというと、「既存施設の活用でしょ?」ってことで申請できない。


 別の例。


 川を渡る橋を、有料道路として建設した。


 開通してみたら、既存の無料の橋の渋滞が減らず、新しい橋は通行が少なくて料金所の経費すら賄えなかったので、それならいっそ無料にした方が良いと考えて、一般会計で橋を買い取ることにした。

国「有料道路の補助金なので、返還して下さい」

 建設費の一部を借入金として通行料で返済し、一部は国からの補助金で賄ったのだが、有料道路建設という名目の補助金だった。一般道路建設でも補助金は出るが、有料道路名目の補助金を返還しても、一般道路として「買い取る」ことへの補助金はないので、改めて申請はできない。


 ちなみにこれ、稲城大橋で実際にあった話。国土交通省では有料道路担当者と一般道路担当者は物理的に「隣の人」だったらしいが、結局知事が大臣に申し入れて政治決着したらしい。


 土木技術職だったので、どうしても土木分野のエピソードに偏ってしまうけど…


 よく、田舎の県道とか走ってると、家がないから歩行者はほとんどいないのに、片側に歩道があるって道がある。あれは、国が「最低でも片側に歩道を設置する」と決めてるので、歩道も設置しないと補助金が出ないから。


 でも、確かにそういう基準(道路構造令)はあるけど、厳格に守らないと補助金を出してはいけないと法律で決まってるわけではない。杓子定規に解釈してるのは、担当者の裁量範囲。


 県名は忘れたけど、四国のどこかの県が「うちの山の中の道路を改良するのに、道路構造令を厳守するのはオーバースペックすぎる」と、確か知事が直談判して基準を緩めさせたことがあった。


 山の中の、すれ違いが困難な狭い道を改良するのに

・連続して拡げる必要はない。断続的にすれ違い可能な箇所を設ければいい。
・対向車がいることがわかるように、樹木を伐採して見通しを良くする。
・対向車さえほとんどいないのに、歩道なんて要るわけがない。

と、実に合理的。


 毎年少しずつ改良するので、基準通り歩道つきで全線を改良したら何十年もかかるところを、断続的で最小限の改良で数年で完成させた。
こういう創意工夫を国に認めさせるのは、それ自体が業界でニュースになるくらいの出来事。


 なんでも首長が直談判していたら首長の仕事がパンクするし、なんでも首長に直談判されていたら霞ヶ関がパンクする。

 国と地方自治体で事業の是非を判断する場合、民主主義国家の行政組織としてしっかり据えるべき基準は「立法趣旨に沿っているか」に尽きる。行政は民意に従うべきであり、行政に対して国民の総意を定義した指示書は法令。


 ところが国は、法令には定められていない細かい事柄を、省令やガイドラインといった「霞ヶ関で独自に作れるルール」で定めてしまい、それを杓子定規に守ることで判断を定型化してしまう。


 そもそも、この話の発端の厚生労働省の文書自体が、法令ではなく、霞ヶ関から地方自治体へ送った「お手紙」のようなもの。拘束力も強制力もない、アドバイス的な文書。でも、これがないと地方自治体も自己責任での判断を迫られてしまう。


 地方自治体は地方自治体で、独自の判断をいちいちさせられるのは大変だから、国に判断を示してもらいたいと思ってる。そうしないと、判断結果に対して責任を問われてしまう。


 国が杓子定規な解釈をするのも、地方自治体がそれに頼るのも、元を考えると「マンパワーの不足」が原因とも言える。個別な判断や創意工夫には時間と手間がかかる。公務員を馬鹿にする人もいるが、大半の公務員は自分で考えろと言われれば考える能力はある。ただ、それをやる時間がない。


 公務員の仕事は、説明責任が基本。杓子定規な基準があれば「基準通りやりました」で済むところが、創意工夫すれば膨大な資料作成と意思決定手続きを要する。定員減らして、権限のないパソナ派遣だらけの役所では、そんなの無理。派遣職員は基準通りの仕事しかできないし、してはいけない。


 公務員は、国民の指示書である法令に忠実な無私の存在でありながら、法令の範囲内で創意工夫し国民の幸福を最大化するという任務を与えられた職業。それを両立させるには、公務員の職業意識と、公務員の能力を発揮させるシステムの両方が必要。残念ながら今の日本は、そこから遠ざかり続けてると思う。