「サブカル」の美学?・メモ

サブカルチャーに裏通りの美学なんて最初からなかった思う。少なくとも80年代には既になかったし、その上で85年に同じように、今のサブカルはそうしたものがなくなった、サブカルは死んだ」って別役実が言ってる。つまり「今時の若いもんは」と同じなんですよ、裏通りの美学って。


別役実サブカルは死んだ発言は、1985年の季刊幻想文学の座談会での発言。


ホントに、サブカルってずーっと「あれはサブカルじゃない」「サブカルは死んだ」「本来のサブカルというものは」って、時代時代で言われ続けていて、それがサブカルというものの宿痾なんじゃないかって思う。

『あんなので90年代サブカルを語って欲しくない』
とのご意見も見たが、サブカル元々ああいう『ついてこれない奴は置いていく』的な選民思想だから『有名人のイジメ自慢』とか相性いいんじゃないの。今でこそ一般的なリスカとかメンヘラとかヤンデレ系も好んで扱ってたし。


要は『わかる奴』が『わからん奴』を嗤うカーストなので、常に自分が『わかる側』にいなくちゃいけない。そんな時エヴァが社会現象になりこの辺のキッズが先を争い『あーわかるわかる』『25・26話がエヴァの本質』とか唱え出して、アニオタ衆が『いったい何事?』と困惑したのが90年代サブカル