中間層の破壊・メモ

 永遠に緩和を続けて何の資産も持たない、給料日から給料日までかろうじて生きている人々を大量に作っています。貧富の格差を広げてミドルクラスを完全に破壊。こんなシステムはどこかで崩壊しますよ。政治的に大きく動く。


 よく考えて欲しい。むかしはCD買って、ビデオを買って、本を紙で買っていたけど今はすべてサブスクです。会員資格が消えれば何も残らない。資産をまったく持たない奴隷クラスをつくろうとしているとしか思えない。


 資産価格をずっと膨らますとそのうち庶民は家も買えなくなる。実質米国で起きている。投資ファンドがゼロ金利で調達した資金で住宅を買いあさって一般人に貸している。

 2 .3年前に新築買った新婚家庭は完全に破綻しますね。

 「給料日から給料日までかろうじて...」


(-""-;)ホントそれです。


 そしてカードで未来のお金を浪費してるから、未来が今になったときお金がなくて更にカード。


 呆れる。

 欧州はそこでコロナでロックダウンして身動き取れなくさせて、違反者に対して高額な罰金か、年寄りだろうが子供だろうが警察の手荒い扱いで、まるで封建制度の再来のようです。本当に嫌な世界になってしまいました

 「中間層」「ミドルクラス」といった言い方で指示されてきた何ものか。かの「一億総中流」の「中流」がその汎用一般的語彙として下位互換されていたのかもしれないが、すでにそのイメージ自体、歴史の彼方。

 けれども、本邦の当時の語彙として言うならば、その「中流」とは、何も社会科学的な分析の視点があって、その上でこれこれこのへんの「階層」のこと、といった見通しがあってのもの言いでは、絶対になかったと言っていい。ある漠然としたイメージとして、形象としての「社会」というのが何となくあったとして、その中でのおおむねこのへん、という程度。

 そう、その前からの世間の語彙で言うなら「人並み」という言い方、その「人並み」が「中流」という漢字二文字の熟語を見た瞬間に憑依してしまった、そういう理解の仕方をみんな横並びにしてしまった、そういう感じだったのだと改めて思う。その「人並み」のイメージがそもそも崩れてしまった。いや、崩れたというよりも、ある一定の幅で何となく想定されていたはずのそういう「人並み」の輪郭が、ぼやけてわからなくなったという感じなのだろう。

 加藤秀俊の名著のひとつ(だと思う、いまさらながらに)、『中間文化』に、戦後の本邦の「中間層」の形成過程が読み解きのように示されている。彼は、それが本格的に前面に可視化されてきた背景に、「マス・コミュニケイション」をあげている。「マス・コミュニケイションという通信手段が、文化の中間的統一という方向を宿命的にになうものである」という言い方で、メディアと情報環境のたてつけの変貌によって、社会的な実体としての「階層」を乗り越えた、新たな共通性が形成され始めている、それが「中間層」という実体よりも、それらに共通しているように見え始めたある生活文化のありかたとしての「中間文化」の方に合焦してとらえることが、いま起こっていることの本質により近い――ほどいてみるならば概ねこういう理解をそこで加藤は示しているのだが、まさにその「文化」としての「中間文化」――つまり「大衆文化」と言い換えてもとりあえず構わないような内実を持ったものが、新たな「人並み」の実相として「階層」を越えてイメージされるようになっていったことを期せずして示してくれているように思う。「人並み」の更新、今様の言い方をするならアップデートが国民的規模でされてゆくことで、哀しいかなわれわれはその「人並み」のイメージにあてはまるように、膨れあがり始めた「豊かさ」任せに実際の日常生活を装ってゆくようになったらしい。