情報番組の現場の作法・雑感

 情報番組さんは、基本、局側のわりと適当な思い付きのラインに沿って、予定調和的に番組を作ってるから、専門家に想定外の事を言われたら困るんだよ。だって予定していたフィリップ *1 だとか、動画だとか使えなくなっちゃうでしょ。だからあの番組の作り方をしてる限りは、永遠にダメだと思うよ。


 その点、タレントさんは「演出の意図」を読んで動いてくれるから、有りがたいのだと思う。なので、テレビに出たい評論家の一部も同じ事をする。「視聴者が期待していること」を言えば、番組は視聴率が取れるもんね。まあデイリースポーツの阪神報道と同じ。でも、それは専門家の仕事ではないんだよ。


 この手の番組に間違って出て、何かをデータに基づいて説明したにも関わらず、アンカーさんやタレントさんに、「私はそうは思わないですね」的に返された経験は多く、その後「あんたの感想、何の意味があるんだよ」と思いながら、作り笑顔で座り続けるのは、結構な苦行である。


 例。自分「思い込みとは違って、大統領の支持率は安定しています(世論調査結果の紹介)」出演者さん「おかしいでしょ。あ、反日だから支持されてるんですね!」自分「大統領の支持理由はこちら(再び単なる紹介)」出演者さん「データ間違ってるでしょ?!捏造でしょ」自分(もう帰らせてくれよ)


 で、この後、アンカーさんに「さあ、こうして危機に直面するとも言われる韓国ですが」、と無理無理続けられると、あたかも自分が持ってきたデータが誤っていたかのようになり、どこかの宗教団体の人のように、フィリップを投げて帰ろうか、と思うわけである。

 こういう「テレビの文法・約束ごと」と、いわゆる活字のそれとの違いについては、僭越ながら我とわが身を張って「実験」(柳田國男的語彙、な) し、ことばにしたことがある。

 自分が見聞きしていた30年近く前の情報環境では、NHKと民放の違い、というのも、現場に接した肌感覚としては相当に違うものがあった。そこには存在していないけれども、でも間違いなくその現場――スタジオとそのまわり、副調整室やら何やら全部ひっくるめての空間を律している何ものか、が厳然とそこに「ある」、それは確かに感じられた。「スポンサー」であり「クライアント」であり、でもそれだけではなく、それらの向こうに「ある」ということになっていて、そこから発する磁場によってこの現場も制御されている、そういう存在。「視聴者」と端折ってしまえばそれまでだろうけれども、でも、そんな端折り方でことばにしてしまっていいものではない程度には、神々しくも禍々しい、それこそ「デウス・エキス・マキナ」ですらあるような形象。それが民放の現場には「あった」。

 NHKの現場には、そんな形象は当時、まだそんなに感じられなかった。いや、そりゃ紅白歌合戦だの大河ドラマだのになると、また別だったのかもしれないが、少なくとも教育テレビや衛星放送という「裏街道」の現場では、ほんとにそういう「視聴者」的な形象が強烈に意識されていると感じたことは自分にはなかった。むしろ、その頃の自分的には、ほとんどNHK界隈での仕事が主だった分、たまたま民放のお座敷がかかって出張った時に、その「違い」について鮮烈に焼きつけられたのだからして。

 ここで触れられているような、いわゆる「情報番組」的なたてつけは、当時はまだそんなにはっきり現われていたわけではなかったから、かもしれない。例の「朝まで生テレビ」あたりが、もしかしたらここで言われているような「情報番組」的なたてつけに近い雰囲気があったと言えばあったかもしれないのだが、でもそれにしたところで、ここまで「進行」があらかじめ決められて、それに沿って現場のスタジオ内での立ち回りや発言などまで、事前に有形無形に規定されてゆく、とまでは言えなかったと思う。あったのは、それぞれの出演者(パネラー)の「キャラ」の把握が、スタッフとおそらくは司会の田原総一朗や局アナの側である程度はあって、それらの「キャラ」前提で現場の展開がある程度「予測」はされていた、それくらいだった記憶がある。さらに言えば、それも出演者個々にそういう舞台裏の仕切りがいちいち語られるのではなく、あくまで局の制作側、司会者からカメラマンその他スタッフの立場において、言い換えれば「楽屋」を仕切る側に共有されているもの、という敷居は確かにまだあった。

 おそらく、なのだが、ある時期からこっち、それこそあの「雛壇芸人」を当たり前に並べ、「コメンテーター」を複数配置して番組を転がしてゆくような「情報番組」があからさまにおおっぴらになっていった過程で、かつてはまだその「楽屋」を仕切る思惑の台帳みたいなものとして共有されていたに過ぎなかったものが、現場全体を自明にあたりまえに支配する基本的な法規のように君臨していったのではないか、と思う。出演者のほとんどで「事務所」や「プロダクション」に所属する「タレント」になり、それらタレントである以上、「芸能界」的な縛りの裡にあるということがわざわざ意識せずとも「そういうもの」として当たり前になっていった過程。

 ああ、そうだった。大学教員が芸能プロダクションに所属し始めたのも、40年ほど前、ちょうど自分がテレビの仕事をあれこれこなすようになっていった前後の時期の、栗本慎一郎からだったっけか。最初、それを耳にした時の衝撃というのも、すでに「歴史」の彼方の忘れられた〈リアル〉になっているのだろうが、その後、大学教員であれ作家であれ評論家であれヤメ官僚であれ、誰でも彼でもそういうプロダクションや事務所にプロモートされる「タレント」になるのが当たり前になってゆき、その過程で、「芸能界」的な縛りの約束ごともまた、テレビの「情報番組」的なたてつけをおそらくは足場にしながら、あたりまえに共有されるべき基本的な法規、いわば憲法のように君臨することになっていったのではないか。

 

*1:「フリップ」な。民放的語彙らしいが。