あのころ、ふんわり初恋な作品描いてた知人が本番系の同人が増えたことで「これからどうなっちゃうんだろう」って言ってたの覚えてる。その心配は作品を描く人と読む人の大幅増加で、結果二次創作世界が大きく拡大して、好きなものを選べるようになったわけですね。(ジャンルとかあれ)彼女元気かな。
— 浪花愛 (@nezumigogo) 2021年11月2日
良く知らないんですがネットで女性同人誌の歴史表、みたいなのがあったのかな?ボルテスは入れなくていいけどダイモスは入れてほしいなあ。一番初めに「同人誌」の形でBL本が出たジャンルだから。それ以前のガッチャマンやヤマトは個人の落書き回覧で、ダイモスの後「本にしてもいいんだ!」って出た。
この漫画の「コミケでは雨が降らないので大丈夫です」と「晴海会場に最寄り駅なんてねえんだよ」というのは超笑った。そ…その通り。私は新宿からバスでした。この漫画単行本の最後辺りに載ってる「売り上げを間違って捨てちゃった」はそれなりにあるあるだという話も、もちろん私は知っている😅💦
ついでに言うとこの一番初めのBL本たちは会員制で一般販売はしていない。「潜るもの」という感じで。ジャンル開始からBL同人誌を頒布を試みたのはわずか一年後の初代ガンダム。この二つの車輪のどちらが欠けても現在の女性向け隆盛はなかったか、もっと遅れたと思う。
言うまでもないですが私は当時BLの書き手ではなく読者でした(笑)全年齢向けは描いてましたが。だが読むさ!ああ読んだとも!まだ探せば家にあるかも!
なんかちょっとすみません補足します。ボルテスのころ、「男同士でほんのり恋?」な本は確かにありました。ただがっつり本番!は(個人で回覧ノートとか以外は)まだなかったと思う。私が知らないだけならすみません。ガッチャマンやヤマトやガイキング…も、もうファンイラストではありましたが、一冊の同人誌にして頒布、は意外となかったのです。自分たちの入ってる漫研会報の二次コーナーなどでイラストを描く感じが多かった。
「長めの二次創作漫画を自分で個人誌」が出てくるのはちょっと後になります。まだサークル、で複数人で本を出す時代だったこともあります。複数人でいろんな作品を作って本にまとめるのが主流なのは翼のころまで続いてる気がする。そして、その、がっつり本番、が世(同好のみ頒布だけど)に出たのがダイモスでした。なお同時期に反駁するように少女漫画な二人は初恋的な本も出るようになりました。長めの二次漫画・小説が描かれるようになってきたのです。
一度始まると大長編もいっぱい出るように。私ガイキングの二次小説で100ページ近い本も持ってたわ。そしてガンダムで、本番系同人「も」考察本「も」少女漫画風な本「も」一気に増えました、ほんとにあの時期はすごかった。ついでに「どっちが上下」論争も始まったわ(笑・当時は受攻を上下と)あのころ、ふんわり初恋な作品描いてた知人が本番系の同人が増えたことで「これからどうなっちゃうんだろう」って言ってたの覚えてる。その心配は作品を描く人と読む人の大幅増加で、結果二次創作世界が大きく拡大して、好きなものを選べるようになったわけですね。(ジャンルとかあれ)彼女元気かな。
すごく話が飛びますが、同人誌の装丁について。初めて女性向け二次でカラー表紙を作ってたのは「宝島」だと思う。1980年ごろ。わーすごいーとみんなで見に行った(行くな・笑)。同人誌で最初のフルカラー表紙、は創作ジャンルですが。男性向けは知らなくてすみません。
なお、女性向け本番的同人が1978年のそれまでなかったわけではないです。むしろ多かった、耽美…ジュネ系列で(「ジュネ」って呼ばれるようになったのはかなり後ですが)。女子大学漫研中心で。それはまた別の大きな流れですがそちらは詳しくなくてすみません。
作品を作って本にまとめるのが主流なのは翼のころまで続いてる気がする。そして、その、がっつり本番、が世(同好のみ頒布だけど)に出たのがダイモスでした。なお同時期に反駁するように少女漫画な二人は初恋的な本も出るようになりました。長めの二次漫画・小説が描かれるようになってきたのです。
エエッ、マジですか?『グレンダイザー』の時に甲児君と大介さんのBL同人誌はなかったのですか?
「頒布されるダイザーだけの同人誌」は、まだありませんでした。友達と交換するコピー誌とかはあったと思います。なお「そういうイラスト」は、もう一杯ありました!当時はまだ「FC会誌の巻末にファンイラスト」「創作漫研会報に二次のページ」という形が圧倒的でした、が、そこには一杯でした!ええ!
何思ったか同人ババアチェッカー作ってしまったので、よろしければ使ってください・・・ pic.twitter.com/42pjbI6PEK
— ちほいほい (@chihoyhoyhoy) 2016年6月24日