「萌え」で町おこし、是非・メモ

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「なんで萌えで町おこしなんかするんだ!」という人が温泉に行っていないのはすぐにわかるんだよな…


 私は世界有数の温泉湧出量の地域周辺で育ったけど、それだけの観光資源があって、萌え以外にも思いつく限りあの手この手で四六時中町おこしをやってやってやり続け、それでも観光客は減ってんだよ。


 この2~3年の動きはわからんけど大抵の温泉地がそうだと思う。一部だけ見れば「萌えで町おこしをしてる」「オタクに媚びを売ってるように見える」かもしれないけど、ちゃんとよく見れば他にも色々やって全国に売り出してるし、いろんな人に媚びを売ってるはずだよ。少しでも入り口を増やしたいんだよ。


 温泉の地域が客を呼び込むことに必死になるのは当然で、そこで暮らす人たちは客が途絶えたら生活できなくなるんだよ。温泉地はデメリットを観光客に隠してるけど、普通に硫黄で自転車や自動車が腐る世界…他の産業施設を建てようにも温泉が噴き出て建てられない事もある…温泉産業以外で暮らせんて…。


 温泉地は萌えキャラ起用以外にも色々やってるから、是非、温泉地でドクターフィッシュに足を食わせ、美味い地酒と海産をたらふく食べて、アスレチックを楽しみ、マッサージを受け、ネイルをいじり、ご当地キティを買い、衣装をレンタル、レトロな街並み散策して写真をインスタに上げまくってくれ…。

 何度か触れてきた話だけど、昔観光地の宿泊ガイドで旅館とかホテルの釣り書きを書く仕事をやったことある。定型の文字数に、「名物、名所、レジャー、宿の特色、もてなし」とかを詰め込んでくんだけど、だいたいどこも同じなんだよね。


 「風光明媚、紅葉が美しい、ハイキングコースがある、目の前の海から上がった新鮮な地物の魚介、夕日を見晴らす露天風呂(太平洋側)、文豪の石碑、名所旧跡古刹、博物館・水族館・記念館、三つ星シェフのフレンチ、朝市、ケーブルカー、土産物屋」だいたいこれの組み合わせ。


 観光地に住んでない、観光地出身ではない人にとって、観光地は「たまにいくところ」「一度行けば十分なところ」だろうから、「手つかずの自然」だの「昔からある伝統的なもの」だの、後は温泉でもあれば観光地としてやってけるだろう、と思われがち。


 違う。そうじゃない。


 「手つかずで何もない自然主体の観光地」は、その自然を有する地域に金落とさないんだよなあ。消費するものが何もないから。


 実際のとこ、観光地って「来る理由」を作って、「域外から人を呼び込み」、「域外の人が、域外で稼いだ金を観光地で使う」ことで、その観光地は【外貨】を得て、観光地内に住んでる地元民の経済が回る、という循環があって。産業が他に特にない地域に人を住み続けさせるには、観光産業は不可避。


 「特にこれといった産業がない地域」で観光が斜陽になるとどうなるかというと、「外から来た人をもてなす仕事と、それに附随する仕事」がなくなるから、雇用が消滅して、その地域の外で働くようになり、勤め先と住居が近いほうが都合がいいから、不便で寂れた土地は過疎化が起きる。自然豊かだけど特に見るべきものが何もない、来る必然もなければ行くにも交通の便が悪く泊まれるところも特にないような土地が廃村になるのとか、別に珍しいことじゃないしなあ。


 結果、「都市部」「都会」に人口が偏り、地方は経済が縮小するし人も減るし、ってなる。都市部の人間が可処分資産を回復させたとしても、地方は既に『観光でもてなすためのインフラ』が消滅してるから、そこは選択肢から自動的に外されて、みたいな。一度消滅した観光地は、なかなか回復できない。


 GoToのときは、「儲かるのはホテルだけ」みたいな言われ方してたけど、「宿泊客がその土地にいる間にする消費で使われる金は、ホテルだけが独占する訳じゃない」というの、どうにも通じなかったなー。ホテルが出す食事の材料を供給する地場の農家、水産業、土産物小売店、観光地の娯楽産業、飲食店、交通手段、そういうホテルと直接紐付けされていないけど、外から来た人が落としていくお金で潤う地元経済の受ける恩恵考えたら、モチベの出発点なんかなんだっていいんだよ。結局、「よいネズミは死んだネズミ」「よい猫はネズミを取る猫」「その猫がネズミを捕ってくれるなら、三毛でもブチでも鉢割れでも雑種でもいい猫」みたいな話になんじゃないかなあ。


 あと、「お金を持ってる層が、景気良く財布パカーするのがよい観光戦略」「ヲタに媚びたくない」なら、いいのあるよ!カジノだよカジノ。カジノやんなよ。日本全国の鄙びた観光地はカジノやるといいよ!金持ちが財布パカーするよ!まあ、我も我もとやり始めたら競合して共倒れすると思うけど!


「アニメの聖地巡礼と地域経済の波及効果」の話は、様々な考察が行われてきたので、僕が今更触れる話でもないけど、実は重要なのは「聖地巡礼に耐えうる容れ物を、元々持っている地域かどうか」なのでは?って話があって。「らき☆すた」は、「地域の前向きな協力」「持続性」「リピーターに対する寛容」が必要だということ示唆した。「ガルパン」は、さらに踏みこんで「巡礼客を受け入れるキャパシティ」の重要性が再認識された気がする。


 「突然の集客があっても捌ききれない」のは一番困る。かといって、仕込んでる段階ではブレイクするかどうか分からないのに、見込みだけでキャパの拡大、容れ物の増設投資をしろ、というのも危うくて乗れない。つまりは、「元々観光地としてのポテンシャルがそこそこあるところ」が聖地の資格を持つ。


 新機軸の泊まり客がドッと来ても収容できるとか、幟と掛け紙と土産物の名前を差し替えるだけで新機軸の客が求める「名物」を捻り出せるとか。あと、住民がそういう「異物としての外部からの来訪者」に慣れているかどうか、とか。


 だから、「特に周りに何もない住宅地の中にぽつんとある観光地」とかの類は、集客があってもそれを生かし切れないし、勝率の分からない賭けにもBETできない。
元々、「過去に様々な手を打ってキャパとノウハウを蓄積してきた観光地」なら、目新しい新名物にも対応できる。


 大洗なんか正にそれだったと思う。名場面はもちろん、遠景が繰り返し描かれたガルパンでは、特に名所旧跡でもなんでもない「あの場面のあの場所」が観光資源そのものになってて、それらを受け入れるキャパがあったものなあ。それダメと上から目線で語るだけで、それに代わるターゲットは示さず道徳的優位になった気になれるのはSNSでだけ。


 まあ、観光なんてのは「金と暇が余ってる人にモチベを与えて無駄使いさせる産業」なので(身とか蓋とかをロスト)「誰の金と暇が余ってて、どういうモチベが必要か」を考えられるところが生き残るっちゅーことでしょう。

 実際観光地の由来とか読むと、有名人が入ったとか動物が案内したとかの、超うさんくさい伝承とかがもとになってることがほとんどだから、
こういう口だけでカネださないクソみたいな批判みてると、やりはじめた当時もくだらないとか批判うけてたんやろなーと思うんすよね


#萌え絵否定派 が、ヲタ層よりも潤沢かつ継続的に金を落とせばいいんですよね。
らぃりる-A列車switch版だいぶ安定してきたのでゲーム起動時のプログレスバーなんとかしませんか?
·くだらない とかそういうこと言う人は代替案なんて全く上げない問題

 かつては電車やバスに乗って観光地に行き。土産物屋で買い物をし。ストリップや秘宝館をひやかし。旅館で御馳走と温泉を堪能をする事が日常から離れた娯楽だった。それが娯楽の多様化と30年も続く不況で観光地は寂れ旅館がガンガン廃業している。顧客誘致の為に必死になるのも当然だろう。>RT


 大洗が町ぐるみでオタクを歓迎したのは降って湧いたようなガルパン特需でかつての活気が蘇ったからだろう。生活がかかっているのだからそりゃ有難いに違いない。呉や舞鶴は戦後昭和に忌み嫌われた軍隊を町おこしに利用している。そんな付加価値の無い温泉と旅館だけの観光地は寂れる一方なのだ。

*1:「観光」に関するあれこれ議論の類、基本的にこういう「文化」「歴史」と情報環境の関数においての現実認識の問題、が必ずからんでくるはずなのだが、本邦の「観光」論議は、もともと経営経済系の「実利」ありき、で始まったところがあるせいか、そういうまっとうな「文化」論、人文学系「教養」前提での枠組みが、うまく設定されないままできている不幸と不自由というのが、「観光立国」謳うようになってなおのこと、あらわになってきているような。以下、このnoteからも関連するエントリーをいくつか。 king-biscuit.hatenadiary.com king-biscuit.hatenadiary.com king-biscuit.hatenadiary.com king-biscuit.hatenadiary.com