「演歌」という定型の凄み・雑感

 いわゆる演歌がいま何となく共有されているようなイメージ通りの「型」として完成されたのも概ね1970年代あたりのように感じるんだが、それ以降は明確に「歌詞」に意味を委ねる必要はなくなり、フシその他演歌的「定型」そのものが本質であるようになっていったあたり、まさに浪曲と地続きかも、と。

 その「定型」であるゆえに嘲笑され軽侮されてもきているんだろうが、でもそれって、「なにがなにしてなんとやら」でも全く構わないまでに「ことば」に意味を委ねることをあっけらかんと抛棄する境地にまで早くから到達していた本邦浪曲の、芸能としてのある「近代」性(と言うとく)にも近いのでは、と。

 商品音楽であり大衆芸能である以上、それら「歌詞」「ことば」から意味が剥奪されてゆくのもある意味必然でもあるわけだが、ただそれは表現そのものというより、それを受けとる「聴き手」の側の耳のリテラシーが、それら「定型」を希求するようになっていった、という事情も併せてのことだろう、と。

 たとえば、以前触れたような、中島みゆきの楽曲を聴いて「演歌」と判断してみせたいまどき学生若い衆らの「耳」は、そういう意味も含めての補助線として改めて立ち止まって考えてみるべき何ものか、をはらんでいたのだとおも。