遠くて叱ってくれる人、がほしい

 高2を境に人生観が変わってしまった僕の話


 中学は近所の公立中に通っていた。当時は将来に対する怖さは全く無く、友達も沢山いる環境に居た。高校は第一志望の公立に落ちてしまったため滑り止めの私立に通うことになった。新しい環境になっても高1は中学と変わらず友達と楽しく学校生活を送っていた。


 しかし高2になったことで僕の人生観が大きく変わった。自分の高2のクラスは女子の比率が他クラスと比べてなぜか多く、女子慣れしてない自分は話せる相手が居なかったのである。さらに女子同士のいじめという見てはいけないものを見てしまった為に女子に不信感と恐怖感を抱くようになった。


 いつしか僕は学校がつまらなく感じていた。そして週2、3程度の登校が2ヶ月続くようになり軽い不登校となった。この時、唯一クラス内で仲良くしてくれた吹奏楽部の副部長男子に惚れ自分がバイセクシャルである事を自覚。高2の冬になり、僕はYouTubeで「逆転合格」という言葉を知り人生が狂い始める。


 「地元の国立か早慶に行きたい」という非現実的な僕の意志と「ウチの子なら出来る」という非現実的な親の意思が偏差値40の僕を机に向かわせた。学校の内職も合わせて1日10時間勉強をするも模試では爆死。自分の弱さを受け入れられない僕は勉強マシーンとなるもメンタルを壊し結果は全落ち。


 そして浪人する事となった。だがある日、親から僕に何も言わず「予備校予約したから」と伝えられ困惑。自信喪失してた当時の僕からしたら頭の良い人が沢山いる予備校へは行きたくなかった。よって選んだ道はただ一つ。


「受験なんて捨てる」


 そして6ヶ月予備校サボり続ける放浪の日々が始まった。


 6ヶ月間、野球を観に行ったり、好きなラーメンを食べ歩いたりと自由を求め続けた。だがいつしか貯めてたお年玉は底をつき、横浜駅のビルの屋上で過ごす日々が続いた。そして10月末、とうとう親に予備校へ行ってない事がバレてしまったのである。親は怒らず呆れて笑ってたのが僕は悲しかった。


 だが自由人となった事で気持ちがリフレッシュし、11月からは勉強に熱が入った。また志望大学は今のレベルで絶対に行ける大学しか受けないと決めた。そして受験が終わり受けた大学の8割方が合格し今の大学へ行く事となった。しかし中途半端な結果で終わってしまったが為に今でも思考や精神状態は高3とほぼ変わらない。あれから完全に無気力化してしまったのである。そして友達もいない。今の僕は将来の不安や恐怖すら忘れてしまい、自由だけを求め続け、自分には無価値、無関心と考え逃避する毎日を送っている。今僕が一番欲しいものは「怒号」である。こんな僕を叱ってくれる人が欲しい。


 しかしそれが世の中では「甘え」として捉えられる。そんな世の中を正す人物が現れた時には僕はそのような御方(宗教など)に付いていきたいとも今や考えている。僕は泣けなくなってしまった。