「広告」「宣伝」の胞状奇胎化

 「広告」や「宣伝」という営みがどのように世間に位置づけられ、また語られてきとるのか、を例によって千鳥足ながら自前で少しずつ掘ってみたりしとるんだけれども、おおよそ見えてきたことのひとつは、やはり70年代末~80年代にかけての頃からそれらのもの言い、話法が空中浮揚を始めとるらしいこと。

 というか、日本語を母語とする環境におけることば自体の機能や役割が何か一気に変わっていったような印象が改めて。何というか、ひとつの語彙やもの言いにむりくりいくつもの意味や内実、それも「イメージ」的な意味あいの輪郭定まらぬ中身を勝手に詰め込まれていったような「煮崩れ」のはじまり。

 「広告・宣伝」的な現実が日常の中でうっかり前景化されてきたことで、誰もがそれらを気にかけるようになり、でもそれらを説明する語彙やもの言い、文法話法は既存のそれまでの「教養」的本邦人文社会系のたてつけしかないという状況ゆえの応急処置ではあったとは思うものの……

 「メディア」論だの「イメージ」論だのが一気に玉石混淆、ばらまかれ始めた頃。ことばに紐付けられない領分としての「キモチ」「ココロ」等が「感性」「センス」などに仮留めされて野放図に使い回されるようになった時期。それらを刺戟することに特化したかのような情報環境の伸張とその「正義」。

 たとえば、それまでの本邦「教養」的語彙&話法のたてつけでの「文学」は「美術」「芸術」とは棲み分けされていたはずが、「イメージ」「メディア」論を介してなしくずしに煮崩れさせられてゆき、「広告」「宣伝」的な意味あいが「イメージ」としてそれら煮崩れの味つけとして投入されたり……

 まあ、これまた例によって走り書きの備忘程度でしかないんだが、ただ、何らかの〈リアル〉、役に立つ「わかる」を手にするためには、おそらくそのあたりの見取り図をひとつ自前で描いてみた上で、改めて「そこから先」の〈いま・ここ〉に至るまでの過程を眺めなおしてみにゃあかんのだろうな、と。

 美大、音大などと文学部との間の敷居がそういう意味で煮崩れていった過程、とかも、な。

 80年代なんてのはもういまどき「善意」「優秀」ごかしの「歴史修正」の呪いが、それこそ「思想」「哲学」w方面からある種出版&メディア界隈介してかけられ始めとるわけだが、そもそもそれらのたてつけ自体も「そういうもの」としてしか受容でけん界隈だけが蝟集しとるわけで、な。