押し入れ、のはなし

 あれは2015年か、そこらのことだったか。当時、成年向け漫画のスレか何かで、誰かが奇妙な話を語りだした。何でも、ある作家の描く成人漫画には、毎回必ず押入れが出てくる。ここまではまあそんなこともあるだろうな、という話だ。だがそれだけではないという。


「押入れが開いていくんだ」


 男はその作家のファンだったというわけでもないが、ある時作品を読んでいて、微妙に開いた状態の押入れが執拗に背景に描き入れられていることに気づいた。他のインテリア等は省略されることもあるのに、押入れだけは決して省かれず描き続けられているのだ。


 そして作品の途中、一切の脈絡なく、押入れだけが描かれているコマがある。件の男にはその隙間がどうにも不気味に思えたらしい。以前スレでぼそりとそのことを話すと、誰かが「その作家、前からそうだよ」と教えてくれた。気になって調べてみる──彼の作品集を買って読んでみた。


 押入れ。押入れ。押入れ。すべての作品に一貫して押入れが出てくる。毎回必ず1コマ、最後の方にキャラクターが一人も出ずに押入れだけが無言で映し出された。性癖なのかもしれないが、あまりに奇妙だった。


「……何でかわからないんだが、それ以降彼の作品のことしか考えられなくなってしまって」


 男はその作家の作品を──それこそ活動最初期のものから集め始めた。オークションで出品された大量の雑誌集の中に探していた号を見つけ、大枚叩いて丸ごと買い取ったこともあるという。


 それら作品を集めて分析していったところ、わかったことが3つある。

 1.  押入れが本格的に描かれだしたのは、2011年の作品『……出会っちゃったね』からだった。当時はまだ、せいぜい1~2cm程度しか開いていなかったという。


 2.  押入れは作品を経るごとにどんどん開いていく。3cm、5cm、7cm……着実に隙間は開き、暗闇の占める割合が大きくなっていっていた。


 3.  押入れだけのコマが移りだすのは、2013年の『忘れられた記憶』からだ。以降、ずっと現在に至るまですべての作品に押入れだけのコマがある。

 スレは一時盛り上がり、確認と調査が更に進んだ。問題の作家と絵柄が類似する全年齢作家が発見され、そちらもある作品に開いた押入れが登場していたことで別名義であると見なされた。


 とうとう、作家の側も事態に気づいたようで、Twitterで言及があった。しかし奇妙なことに、彼自身も押入れのことに気づいていなかったらしい。ただの背景としてしか認識していなかったようなのだが、徐々に開いていっていることを知って気持ち悪がったようだ。いつしか彼の作品からは押入れが消えた。


 2年後、作家はぷつりと活動を止めた。彼の最後のツイートは、夜中3時に投稿されたこの写真で終わっていた。