情報環境とリテラシー、そして異文化としての歴史

 広い意味でのいわゆる「リテラシー」の時代差、世代差と、情報環境の違いとの関係によって、否応なしに生まれてきていたはずの「読み方/読まれ方」の違いについて。それが概ね自覚的に対象化されにくいままだったらしいこと、なども含めて。

 過去というのは、そういうたてつけも含めて、現在に対して常に「異物」であり、敢えて先廻りして言えば「異文化」としての位相をはらみながら、そうして初めて〈いま・ここ〉に宿るもの、だったりするらしい。

 そういう意味で、人文社会系の営みにおいての「正しさ」「正解」などは、常に更新かけられ「修正」されつつ「そういうもの」化してゆく過程の裡にしか、もしもあり得るとしてもそのようにしかあり得ないもの、だと思う。

 「異文化」という枠組みは、その「文化」というたてつけが「発見」されることと裏表の事象だったりするわけだが、そもそものところ、その「文化」は自らの裡、自分たちの日々の立ち居振る舞いやものの見方、考え方などの中に発見されるよりも先に、それらが自分たちとは明らかに異なる様相を呈している対象において、先に見つけられたものではなかったか。

 「異物」がまずありき。「異なるもの」があって、認識されて、初めてそれが自分たちの裡にもあるものらしい、ことに気づいてゆく――それは人類学的な認識のあり方の「はじめの一歩」として教科書的にも記述されているようなものだろうが、ただ、それは同時に、自明に「自分たち」の範疇にあるはずの「歴史的過去」についても、同じように「異なるもの」を発見してゆく過程にも該当するものだろうか。

 違う角度から言えば、「歴史的過去」が「異なるもの」として「発見」されてゆくためには、もしかしたら同時代的な地平、それこそ共時的な軸においての「異物」が見出されるよりも、ずっと難しいことだったのではないか。

 「歴史的過去」は、おそらく常に「自分(たち)」の側にある。自分(たち)というアイデンティティと共に、「歴史」はおだやかに整えられて存在している。時代がくだり、あの「科学」という認識枠組みがそれを可能にするさまざまな技法と共に発見され、それらが新たなツールとしておだやかだった「歴史的過去」に対しても無慈悲に適用されるようになってから、「歴史」もまた、「自分(たち)」からかけ離れた現実、「異なるもの」としての相貌を鋭く見せる局面が増えてきたのではないか。

 「異文化」としての「歴史的過去」という認識は、そのような意味で、おそらく相当に耳ざわりで違和感をかき立てるものになるのだろう。