左翼マスコミの30年・メモ

 平成3年に入社したころ、静岡県警本部はまだ静岡県庁に間借りしていて、庁舎管理権がなかった。そのため、よく記者会見やレクが開かれて、左派系の弁護士や活動家がよく来ていた。弁護士はともかく、自称市民団体の活動家が、やたらに上から目線で、とにかく鼻に衝く。それにいつも同じ顔ぶれの人が「反原発」「憲法9条を守ろう」…、とにかくお題が変わっても「あれっ? この人、前も来ていたな」ということに気が付いた。以前から三島で丸正事件の自由法曹団の集会があったころから、三島で静岡市から車を飛ばして日曜日に出かける程度には「心情左翼」だった僕が<少しずつこの人たちに違和感を抱き始めた。つまり「忠魂碑訴訟」だろうと「長沼ナイキ訴訟」だろうと、「怒っている人たち」はいつも同じで、誰のためにこの人たちはやっているんだろうか、と。それに僕の高校、大学の頃から「いつか再び戦争が」とか「近づく軍靴の足音」と言っていた朝日新聞ロナルド・レーガンアメリカ大統領に就任すると「戦争の危険が」と言う。そのころは世界史が得意科目だったから「いや、戦争の原因はソ連チェルネンコじゃね?」って思う程度にはなっていた。朝日は中曽根内閣のときも「元戦犯が首相に」とか「タカ派政権に日本の危機」「軍靴の足音」とか、今の国葬反対みたいにワーワー言っていた。レーガンは米ソ冷戦を終わらせ、中曽根はあの面倒臭い官僚組織、国鉄を分割民営化させ、切符代が爆下がりした。決定的だったのは、やはり横田めぐみさんの件だった。


 「北朝鮮は拉致なんかやってねえよ」 共同通信も朝日もTBSも少なくとも僕の周囲にいた記者はみんな言っていた。きわめつけは元過激派が経営する居酒屋で「午後は〇〇テレビにキム・ヘギョン(ウンギョン)ちゃんに出てもらって横田夫妻と感動の御対面をすればいいだよ」と言い放った左翼の爺さん。もう正気を失った。「この人たちはおかしい」 それと同じことが安倍晋三さんを喪った日本で起きている。「アベは死んで当然」「山上はヒーロー」 今は心情的に左翼の味方をしていても、あのときの僕と同じように、少しずつ距離を置く人って多いんじゃないかな、と思う。だって映画化だよ!? 産経の阿部雅美さんが拉致をスクープしたときは「産経の飛ばし」、平成9年の国会で騒ぎになった段階でも「産経だから」「産経は反動だから」(本当に言い放った奴がいた) で、言い放った奴はそんなことも忘れて相変わらず、同じような記事を書いている。