近現代史アカデミズムのワヤ・メモ

 近現代史のアカデミックは本当にヤバいよ。自分がテーマにしてる日中戦争なんか公平な視点の論文は通らない。実際に自分が査読で受けた指摘で「日本の善政を喧伝する気か?」ってのがあった。いや、そうではなくて…の完全論破したけど、過去3本の論文はすべて投稿から掲載まで2年以上かかってる。(続)


 学者がコントロールする学会誌は査読以前にリジェクトだから(実際にそうだった)、自分の投稿先は公的機関のジャーナルだけ。それでも査読者の片方は概ね左翼系なんで、元ツイのような指摘が入る。本職なら潰されてお終い。というか、日中関係史をやるなら、実証研究は清末までしかできない。(続)


 だから日中関係史の1911-45年は左翼の反日史観だけがあって、実証研究は疎らなんだよね。これが自分のような在野の趣味人でも査読論文が出せる理由。3本の論文を出したときの自分の学歴は高卒。高卒でも論文出せるほどスカスカってこと。日本で「学問の自由」を最も侵害してるのは左翼学者だよ。(続)


 自分が過去3本の論文でガチンコした経験からすると左翼学者は論破しやすい。すごい剣幕(の査読コメント)でガーガーやってきても、自分のような素人の論破で掲載に至るわけだし(遅滞戦術の効果は認める)。主義思想が先行して盲目なうえ、仲間うちのなあなあでやってるから知的退化するんだと思う。


 どんな論文なのか興味のある人はリンク先を見てね。前職時代の共著も含むリストだけど、査読でガチンコしたのは日中戦争がテーマの3論文。ジェトロのジャーナルに掲載したインフラ整備の2論文はネットでPDF公開されてます。
researchmap.jp/satoshi_tokuna…

 今に始まったこっちゃない、ではあるんだが、な。

 「歴史」と「(本邦の)歴史学」は別モノ、という認識を早い時期に持てた、持たざるを得なかったことは、自分的にはありがたかったとはおも。特に、「近現代史」おまえはあかん、と、リクツ抜きに肌身で思い知ったのは、最初にフルタイムで赴任した大学の上司のおかげだった。(以下、とりあえず忖度&自粛)

 で、それから30年以上たって、未だにこういうていたらくというか、さらに蠱毒化が進行してがんじがらめ、もう到底自らの手で内側から自浄などでけんようになっとることは、ここで触れられているごく断片からでも容易に推察できる。

 ただまあ、若い衆世代(だろう)がこういう形であれ、ワヤの実態を認識できるようになったことは、ひとつ進歩なのかもしれんけれども、それでも内側から自ら自浄、というのは、おそらくどうやってもムリなんだろうな……