子育てムリゲー実証談・雑感

女房に逃げられたおっさんが子育てしてた時支援におっさん2人で泊まり込んだが…
ともかくあれ寝るの無理だぞ。泣く。ともかく泣く。夜中も泣く。赤ん坊に理屈などない。意思表示は全て泣くしかないんだから仕方ない。おかげで俺ともう一人はいまでも紙おむつと哺乳瓶は技能持ちになってしまったw


寝ぼけててもまずおしめを見る。そしてそこじゃなければ哺乳瓶がうかがいを立てる(入ってなくてもあててみるとか反応を見てた。素直な子なのか多少はわかった)。それでもだめなら死んだように耳栓して寝てるお父さんのところにそっと置く…と泣き止みやがる。やっぱ親つぇぇぇなぁぁぁぁぁとかまぁ。


あれはあそこの社長が内勤にって奴を引き揚げてくれなかったらかなりやばかった。そして首も据わってハイハイ出来るようになったら会社のおばさま方が仕事中相手してくれて(というか仕事そっちのけだったが)それを会社が許容してくれたからだよなぁ。今付き合いないけど何歳だあの子。もう成人か。


でもあそこで長距離ドライバーやめて配車担当になったからこそ(運行管理もとった)今まだ勤めてられるんだろうなー。20代とか30代の頃は周りもしっちゃかめっちゃかであったなぁ。あれでわかったのは子ども出来たら夫婦に睡眠など無理だーという。
そして親には勝てぬw友達でも両親でもいいからたまに見はっててもらって耳栓でもして寝かさないと死ぬ。母親からまず死ぬ。あんなもん無理だ。父親だって会社で居眠りするわ。しまいには理由もなく(というかこっちにはわからん)泣くからなぁ。親があやしてようやく泣き止んで寝るとかだと周りではどーしよーもなかったなぁ。あれはいい経験だった。


前にも書いた内容だけど。育児の前に生まれてすぐから戦いはじまってるよなあれ。回りでささえねーと親がもたんわ。実家の方では大家族だったらみんなで支えてたってのわかるしなぁ。うちの母も嫁に行ってたので父方の家族に俺を見てもらって多少は寝たらしいし。死ぬ。これは無理…と思ったと。


そしてそれをほったらかしにしていたうちの親父は相当の怨みを買っていたものと今ならわかる。つもりつもってうちの母は三行半を叩きつけて実家に戻って裁判までして離婚したのだから相当なアレ。昭和40年代で茨城の農家の娘が自ら離婚ですよ。村でも評判最悪ですよ。鬼子だのかxわだの(差別用語


がんがん使われた時代でもある)めちゃくちゃ言われている。というか俺の田舎の方での評価は「XXさんとこの出戻りの息子」という扱いなので死ぬまでこれはかわらんw時代的にありえねーことしてんだよな。ふつーは通らぬ。親権取るまですげぇ時間かかったしなぁ。


それらを踏まえて結婚した旦那さんはそこらを配慮してあげるなどした方がよいですよというか仕事よりガキだよガキ。子どもと奥さんですよ。奥さんが精神的にぶっこわれたら仕事どころじゃねーってまじで。見てて思ってたけど。あと子どもの泣き声が不快とか言ってる場合じゃなくなる。なんか目覚ましじゃないけど1月も面倒見てると泣く数秒前にばっと目が覚めるようになるw なぜかしらんけど。赤の他人の子ですら面倒見てればそうなるし鳴き声なんてもううるさいとか不快とかではなく「どうした!?」でしかなかったもんw1時間2時間ぐらいでまた泣かれるとか寝るの無理だろw