高齢者世代とそれ以下の現役世代との間の「分断」は、同時にマチとイナカ、というかエリジウムと〈それ以外〉の「分断」とも重なり、必然的に増幅され「民意」へと収斂させてゆき始める。
公的な援助で維持してゆくことが困難になった「いなか」は「統合」すべし、という発想は、かつて「過疎」が社会問題化し始めた半世紀以上前から選択肢としてはあり得たし、また実際に検討もされてはきていたはずだ。ただ、それが実際の政策的な選択肢として整えられてゆくのはもう少しあとのことだったと思う。
今回の能登その他の地域の被災で期せずして可視化されたのは、それら「いなか」は「高齢者」の住処であることとほぼ等号で結ばれること、そしてすでに「公的」サービスの負荷が大きくかかり、さまざまな局面から維持困難になっている土地であること、それが「映像」として共有されたとおも。
もちろん、それは3.11の被災の時にも同じような「映像」は流れていたはずなのだが、ただ、それを見て「解釈」し「読む」こちら側、世間一般その他おおぜいの意識というか、その解釈枠組みは当時とかなり変わってきているように感じる。「復興」という語彙の内実もまた、それに伴い別の様相になる。
もうひとつ。それら「いなか」は、すでに「故郷」でも「家郷」でもなく、「父祖の地」「先祖の墓のある場所」でもなくなっているらしいこと。現実的にということ以上に、何より本邦世間一般その他おおぜいの意識や感覚の水準において。
かつて神島二郎が丸山眞男仕込みの「社会科学」的枠組みを民俗学的知見と併せ技で語ったような、「第二のムラ」的な解釈枠組みもまた、すでに半世紀以上を経過して、使用期限が切れ始めているようにおも。
もちろん、必然的に「第三のムラ」も、また。
「都鄙連続体」といった枠組みも自分たちまではまだ習った世代だが、そのような「マチ」と「イナカ」という対比自体が、ここ30年ほどの間で最終的に解体され、具体的経済的なつながり方自体の大枠は変わらずとも、その中に日々生きる世間一般その他おおぜいの生身の意識や感覚においてはかつてのものではなくなっている。