技術屋の零落過程について・メモ


 まさに90年頃、電気・電子大手の系列に就職した同期たちの殆んどがこれで、精神を病んで一人また一人と脱落してゆきました。30年近く前、その技術者の人が30代の頃には、自社開発してたんだろう。それが、自社開発止めて下請けに出すようになって、『技術者』が育たなくなった。仕様書を書いて、客先の仕様を固めて、下請けに投げるのが『技術部』の仕事になってしまった。内心気持ちよくないだろうな。


 大学で一番仲の良かった友人T君は半導体メーカーの系列に就職して開発ソフトウェア(コンパイラ・デバッガ)の開発をすることになったけれど、仕事の内容は仕様書書きと納品物の検証で、自分では1行もコードを書かない職場でした。


 T君も8bitボードマイコン時代からの趣味者で、大学では競うように手配線マイコンボードを作った仲間で、当時は僕よりもソフトウェアに詳しかったのですが、自分でやれば5分で直せそうなバグを見つけては修正依頼の書類を書いて提出し数日後に納品物を検証して再修正依頼か修正完了報告を書く仕事。


 しかものその書類が往々にして課長クラスのチェックでハネられて戻ってくる、その指摘内容が句読点だの改行位置だのの不適切。その企業系列では業務文書フォーマットが金科玉条のごとく守られていて、それに合わせるためにしょーもないバグ報告を何度も書き直すという。


 当時、彼が相談した相手の多くは「一日8時間机に座って、言われたことを言われた通りにやっていれば給料が貰えるいい仕事じゃない。何が不満なの?!」みたいな対応だったとか。