戦前、当時の映画雑誌が家の中にあるのは、姉がいるような家の子どもだったりしたらしいこと。いわゆるサブカルチュア、「通俗」とは〈おんな・こども〉を介して日常生活に浸透していった部分が実は大きかったらしいこと。
大正教養主義的な〈知〉wのありようが、転変しながらもなお、権威として受け取られていたのは、概ね70年代半ばあたりまでで、その時期を境にして「読書」の意味あい自体がそれまでと別ものになっていったこと。「教養」から「カタログ」「知識」「情報」へ、といった言い方でそれは批判的に当時、語られていた。
ひるがえって考えれば、先のその戦前的な「通俗」――映画雑誌などの「情報」は、大正教養主義的な〈知〉ありきの当時の情報環境では、あらかじめ別のもの、「教養」を形成するようなものとは考えられていなかったわけだが、しかしそれでも「通俗」は日常に生身を介して浸透もしていたこと。
そういうある意味分裂した情報環境の受容を仮構的に、言わば約束ごとの「そういうもの」としてのたてつけにおいてしていた/させられていたのが、大正教養主義的な〈知〉に向かって「修養」「勉強」「研鑽」していたのがある時代、ある世代までの知識人・インテリということだったらしいこと。