世の中の大人は穀潰しタワーの住人と違って
— Aisanazman Marukwamy (愛沙奈まみ) (@marukwamy) 2024年5月17日
「こういう所の出身者を採用したら、自分の会社でも同じように政治的主張を合意無く窓に貼り付けたり『戦争反対の署名お願いします』の迷惑メールを職場の部署全員ccで送ってくるかもしれない」
と考えますよ。煽情報道に弱い人間は真っ先に避けたいからね。 https://t.co/po27vHgbls
世の中の大人は穀潰しタワーの住人と違って「こういう所の出身者を採用したら、自分の会社でも同じように政治的主張を合意無く窓に貼り付けたり『戦争反対の署名お願いします』の迷惑メールを職場の部署全員ccで送ってくるかもしれない」と考えますよ。煽情報道に弱い人間は真っ先に避けたいからね。
個人レベルでどんな主張をしようが勝手ですが、これ絶対に文学部各専攻の構成員全員の同意を取り付けずにやってますよね。それがどのくらい迷惑で他者を尊重出来ない間違った態度であるか学生や教員が理解出来ていないことの方が、実用性の低い学問分野を専攻していることよりもずっと深刻なんですね。
「東大」入った同世代と身近に知り合うようになったのは、やくたいもない私大のボンクラ大学院に間違ってまぎれこんでからのことだった。いまからもう40年ほど前の昔話でしかないのだが、当時はまだ大学院生というのがきわめて稀で、例外的な存在だったから、同じような専門分野でも研究会だの何だので、それなりに顔見知りみたいになる機会は多かったように思う。
大学というところで学部からまともにガクモン仕込まれてきたのは、なるほど、こういうたたずまい、こういう身なり顔つきで、こういう言葉遣いをして、こういう具合にまわりの同類項たちとつきあいながら別の世間を渡ってゆくものなんだなぁ、という感想がまず最初にあった、良くも悪くも「そういうもの」という認識として。
大学官僚というかガクモンビューロクラットというか、いずれそういうニンゲンの純粋培養みたいな物件の孵化したばかり、といった態。ああ、こりゃもう完璧にこちとらなどとは生まれも育ちもまるで別、もちろん脳みその中身やその回路は言わずもがな、たいしたもんだな、とまあ、競ったり争ったりするなど烏滸の沙汰の極み、かつてのおのぼりさんや大山昇太か東京ぼん太ばりにただただ目を丸くしているだけだったのだ、いや、ほんとに正味の話が。
で、そんな昔話はどうでもよくて、昨今あれこれやらかし具合が日常態になってるかのごとき「東大」まわりのガクモン世間の人がたについては、どうもそのかつての自分などが初めて見知った頃のそういう「東大クン」――その頃はそんな呼び方を陰ではしていた、今だと「さん」もつけないといろいろまずかろうが――とはまたかなり様子の異なる、単に東大がどうこうではない、敢えて言えば先の大学官僚、ガクモンビューロクラット的なありようがまるっと通俗一般化してしまった後の量産型意識が、院生でも非常勤でも任期付きでも何でも、とにかく「東大」にたまたま関わってしまったことによってさらにいらぬブーストまで倍満レベルにうっかりついてしまった結果のワヤ、という印象がある。ブーストかからぬワヤならばそこら中でもう普通になっている症状が、「東大」であることで尖鋭化して誰の目にもわかりやすいワヤとして可視化されるようになった、そういう程度のみっともなさではあるのだ。
昔のこととは言え、特に人文社会系などは、そういう大学官僚的な身のこなしを世渡り技術としてたとえ身につけるようになったやつがいて、学会まわりの実務などを器用にこなして上の世代のセンセイ方の覚えめでたく出世確定みたいな物件だったとしても、でもそれはそれでしょせんは渡世の作法であって、そういうのとは別にどこかでそれを脱いだところでのつきあいというのも同じガクモン世間、研究会でも学会でも担保されていた、そういう基本的な約束ごとはまだ、それこそ「そういうもの」として共有されていたように思う。
で、学者であったり研究者であったり、世間的な目線からは「知識人」「インテリ」の見本みたいに見られる立場の存在というものは、どこかでそういう生身等身大の人のよさ、あれこれいがみあったり傍目には大人げない論争や喧嘩沙汰などやらかしてはいても、むくつけなゼニカネの利害、会社や組織と抜き差しならない関係にある分シャレにならないどす黒い謀略だの欲得づくの世界とはまた違う、「学者さんやなぁ」という微苦笑混じりのよそもの扱い、それこそ「ムラはずれの狂人」「丘の上の愚者」として遇されるものでもあったはずなのだ。
いまさら言っても詮無いことだろうが、そういう立ち位置を自分たちもそれなりに自認し、また世間の側も「そういうもの」として見ていた、いまからすれば牧歌的かもしれないような約束ごとが担保していた何ものか、がどうしてこうまでなくなってしまったのか。すでにそれもまた「現代史」の脈絡に織り込まれつつあることのひとつ、なのではあるのだろうが。