大衆社会化と情報化、「衆愚」の制御、他

 誰もが平等に気軽に安価に、多様で大量の「情報」に接することのできる情報環境がうっかり整備されてしまったことと、大衆社会状況における「バカ」「情弱」「衆愚」のありようの変遷、そしてそれらの状況を「逆手に取る」生存戦略の民俗レベル含めた普遍性、の問題。民主主義という政体の是非と共に。

 しかも、そういう多様で大量の「情報」に、単にその場限りで接するだけでなく、少なくともやろうと思えば「記録」もする/でき得るような環境になっていること。

 だから、その「記録」する/される限りで「参照」「引用」も同じくうっかりできるようになっていること。

 ただし、その「記録」も常に私的で個人的なものか、でなければあらかじめ情報環境に埋め込まれた「システム」として(それこそGoogleなどのように)あるものに依拠していて、文字/活字と紙媒体ベースの「記録」によって「公的な記録」が担保され得たような状況ではすでになくなりつつあるらしいこと。

 しかも、そういう多様で大量の「情報」に、単にその場限りで接するだけでなく、少なくともやろうと思えば「記録」もする/でき得るような環境になっていること。

 だから、その「記録」する/される限りで「参照」「引用」も同じくうっかりできるようになっていること。