魔族話法の言語空間・メモ

 ことば、が現実と紐ついていない、それが普通になってしもとる無自覚ナチュラル魔族な人がたが、実はもうすぐ隣にいくらでも生きている、そんな本邦社会になってしもとるのだと思い知らされる。

 それなりにいいこと言っていて、見識も常識もまあ、あるように思えていた垢が、何かのきっかけで「(゚Д゚)ハァ?……なんでそうなるん?」なことを、制御喪失した態になって聞く耳持たずになる現象、あちこちで見かけるようになった。

 ああ、そうか、これまでそれなりにいいこと言っているように見えていた、その「いいこと」も、現実と紐ついていないから抵抗ない魔族な言語空間で自由自在にことばでお手玉やってみせていた、その「芸」がそう見せていただけだったんだな、と。

 でも、それを受け取る側もまた、ことばと現実が紐ついていない人がただと、その魔族話法な「いいこと」を素で受け取って、いとも簡単に瞳孔開きっぱ横並びな「いいこと」教信者の群れになってしまうみたいで、な……

 「グローバル」とか「国際標準」の内実も、要は単にそういうナチュラル魔族な言語空間が国境や民族、社会体制や宗教、イデオロギーや言語の壁をすっ飛ばして実装されるようになった、その結果の現象でしかないのと違うん?

 少し前までなら「それは国境を越えて全域化する資本の本質だ」とか言うて、もっともらしく聞こえたりもしたのが、その資本ですらも現実と、つまり「地元」の〈リアル〉と紐つかないようなものに一律知らん間になってしもたらしいんだわなぁ……

 しかもそういう事態を、すでにそれしかなくなってしもた魔族のことばで説明しようとしたところで、所詮はあらかじめ約束された閉じたナチュラル魔族な言語空間の内側だけの現実しかそこには現出されん、見てくれだけは完璧に整ったホログラムみたいなもんやわなぁ。

 その「いいこと」のことばが少し前までのことばのありようと分断されているのは、個別具体なき抽象というか、魔族話法がそういう現実からあらかじめ分断された言語空間の超伝導話法でいきなりおキモチに短絡して「刺さる」形でしか「わかる」を導けないところなんだわ、な。

 個別具体を積み上げて帰納するなり何なりの「論理」の手続きの上で初めて抽象が約束ごととして共有されるはずだったのが、それら過程を全く抜きにフラットに同じ水準に抽象も具体も単なる魔族話法のことばとしてしか存在しない/できない現状。