小さなDQN力の必要・メモ

 小さなDQN力ってあると思うんだけど


 保険入らず気にしないとか
 数日賞味期限切れた事気にせず食うとか
 薬の賞味期限切れてて数年経っても飲めるとか(毒性発揮する奴もあるらしいぞ!)
 治安悪いと言われている地域やホテルに気にせず泊まってコスパ上げるみたいなの


 この手のなんとなく薄っすらリスクちゃんと取れる人間って、親が貧乏で育ちが悪くてもカネの種銭作ることが出来るよな。


 なんかこの手の物って多種多様にすごくあって
 ゼロリスクを思い求めると、ようするに育ちの良い高学歴の高所得以外貯蓄ゼロになって将来の目断たれるんだよな。


 一方でこの小さなDQNも当たりはずれがあるから、大失敗して再起不能になった奴は黙して何も語らないって側面はあると思う。まーワイとしては小さなDQN力は底辺人生歩む人間には必要だと思うよ。


 その方が世界が広がる。かつちゃんと掃除して綺麗な方がいいとか学んでいった方がいいな。


 それは鈍感力ではないか?という指摘だが。


 当たっているんだけど、DQN力には周りの迷惑を顧みないという側面がある。


 これはワイの書き方が悪かったが賞味期限切れというか、消費期限切れはそれで倒れたら社会の迷惑になる。食あたりで病院代は公費なのか?救急車はどうするんだ?という問題が付きまとう。


 繊細に考えれば考える程に、この手の誰かに迷惑をかけるんじゃないか?という問題が付きまとう。勿論その可能性は気づかないよりも、見通せた方が良い。分かった上で選択してチョイスするのである。


 億トレーダーが好んで半額弁当を食うような姿勢である。貧困に追い込まれているから仕方なしに半額弁当を食うのとは似て非なるものである。


 初めから心に3%の小さなDQNを住まわせて、このマインドを持つのである。DQNに育ったからDQN行為をするのとは似て非なるものである。


 ワイはつい最近賞味期限一ヵ月切れたベースフードを食べ続けておった。


 貧困の中には追い込まれて仕方なしに取っている行動があるんだけど、一方で俯瞰してみて戦略的な合理性がある行動が、貧困の中に存在する。


 一般人はすぐ貧困から脱出すると、貧困行動を辞めてしまう。しかし合理の人や目的達成思考の人は、貧困の中から正しいチョイスを選別し、それを豊かになっても実行し続ける。


 まあある程度、豊かさを得たら半額弁当も賞味期限切れを食い続けるのも非合理性が出てくるというのはある。でも途中は貧困の中の行動に答えがある。貧困者の生き様=合理性の塊で、幾人もの俺の屍を越えてゆけ状態で生み出された究極のサバイバル


 戦略的な合理性がある行動が、貧困の中に存在する。一般人はすぐ貧困から脱出すると、貧困な頃の行動を辞めてしまう。しかし合理の人や目的達成思考の人は、貧困の中から正しいチョイスを選別し、それを豊かになっても実行し続ける。


 まあある程度、豊かさを得たら半額弁当も賞味期限切れを食い続けるのも非合理性が出てくるというのはある。でも途中は貧困の中の行動に答えが多くある。


 貧困者の生き様=合理性の塊で、幾人もの先人たちの俺の屍を越えてゆけ状態で生み出された究極のサバイバル術なのよ。一般人も富裕層も見習わない手はないよね。貧乏人はそこに度を越したギャンブルとか風俗とかの非合理性が入り混じって、超絶合理性ある行動の余裕を全部消しちゃうわけだけど。


 善悪抜きにしてリスクの観点からDQN濃度を見る事が出来るんだわ。


 DQN濃度100%は犯罪者だし、善悪抜きしてそもそも逮捕やら事故死とかリスク取り過ぎで、損得として期待値下がるんだわ。


 んでDQN濃度0%の100%善人の良い人は、善悪抜きにしてリスク選好度0%になりがちで、そうなると飛躍のチャンスがゼロになりやすい。生まれながらの太い実家はこれが許される。飛躍なんて必要ねえからな。

 大卒後貯金ゼロスタートの自分が多少の財を成す事ができたのも、正にこの程良い「DQN成分」のお陰だと思っていて、これは突き詰めると利己主義とリスク選好度の高さで構成される性質との認識。裏返すと、利他的かつリスク回避的な人間では経済的に豊かになる事は難しいと感じる。