ヤンキーと不登校・メモ

不登校の子の懸念は「弱さ」であって、ヤンキーたちは悪くはあれど活動的で積極的という意味で「強い」。だから昭和のヤンキーがやっていけることと比較して「なんてことない」とは思えない。


以下脱線。


多くの不登校親を見ると、だいたい「傷つけない」に終始して「強くする」という意志を欠く。当たり前かもしれない。


SNSでは(残念なことに)不登校について発信する大多数が母親と見えて、父親の存在が感じられない。父親はどこに行ったんだろう。


不登校増加の背景に、(物理的な意味でなく従来の役割としての)父親の影の薄さがある気がする。 ※進行中のいじめ・傷病由来は除く

価値観のアップデートと称して、従来の厳しくも力強い父性を否定するような意見も多い。


平穏と休息、傷を負わせない母性。
波乱と鍛錬、傷を乗り越えさせる父性。


この両輪のバランスが崩れ、後者をまるで悪のようにであるかのように育児から追放してないか。
それが不登校増加に繋がってないか。

おっしゃる通りで、80年代のヤンキーと現代の不登校は性質が全く違う。


近年ヤンキーは絶滅危惧種になりつつあり、これは生徒が非行に走らないよう先生方が対策した成果だと思う。ルールを強化し、きめ細かく指導した結果、今度は「不登校」が激増してる。


思春期の子が社会のルールから逸脱するのは普通のことで(=反抗期)、その過程で学校の枠組みから外れる子が一定数出るのも致し方ないこと。特に義務教育においてあらゆる性質の子を内包することはおそらく難しい。


現在の枠組みではヤンキーは発生しづらく、不登校は発生しやすい。言い方おかしいけど時代のトレンドが変わったってこと。


ヤンキーがその後社会の中でポジションを見つけてなんとかやっていけているように、不登校も社会の中で普通にやっていける世の中になっていく(もしくはすでになっている)んじゃないかと思う。

元ポストで書かれている父親の関わり方もおそらく時代のトレンドで、今の40代あたりはジェンダー激変の過渡期にあり、その変化にアップデートがついて行っていない男性が少なくない。もちろん女性でもいるけど比率的に男性の方が遅い。(個人的な体感)


そうした時にヤンキー子育てには対応できても、不登校子育てに当事者意識を持って対応できる父親ってまだまだ少ないんだと思う。夫婦で同じ方を向いて協力して子育てした方がいいに決まってるけど、その辺の価値観が違うとなかなか難しくて、母親の負担激増で過干渉になりがち、父親のけもの感で負のスパイラルとか、めっちゃよく聞く話。