「関係」と「コンテンツ」化

 くっきりと一人称、自分からの視点でものを言ったり画像や映像を投稿していた/できていた人が、「自撮り」的な視点、何らかの目的で「見られている自分」をその投稿にあらかじめ織り込んだ、そのこと自体を目的化したような気配を露わにし始めたこと。

 おそらく、そういう意識や自覚などはないまま、に。

 もちろん、そうなってしまっていることで、投稿自体の意味あいや、そもそもそれらから発散されている気配からして、別ものになり始めていることなどにも、気づかないまま。

 たとえば、単に「好きなもの」「興味のあること」をくっきりと一人称で淡々と投稿していただけだったのが、その「好きなもの」「興味のあること」とその自分との関係がまるで変わってしまっていること、その何らかの目的のために選択され「コンテンツ」として使い回されるものになっていること。

 敢えて言うなら、そこから「愛」(敢えて)が失われてしまっていること。「関係」が明確にあるベクトルで描き出されなくなってしまっていること。

 「コンテンツ」であり「ネタ」であるような、平板でフラットな、でもその分無限大にも思える空間に転移させられていること。

 「関係」の、そのベクトルも含めてくっきりと明らかになる、そう見える前提がないことには、対象は単なる「コンテンツ」や「ネタ」にしかならない。たとえそのような意識や自覚がないままであっても。いや、ないままだからなおのこと、かもしれず。