しかし本邦、コロナ禍3~4年間の「被害」について、かなりきれいに忘れてしまっとるように感じるのは、やっぱり世界的にも対策が奏功して相対的にうまく抑え込むことができたから、というのが大きいんだらうか。
現実的にも、また映画なりドラマなり何なり「おはなし」の水準でも、コロナ禍下の〈リアル〉を反映したような描写が、ほとんど見られないような印象があるんだが、これは単に自分が無職全裸老害で世間から隔離されとるような状態だからなのかな。
ひとつ、雑感としてあるのは、コロナ禍に世間一丸となって「立ち向かった」という実感が薄いというか、経験としてはそれぞれあっても、それを共同的な記憶の水準につなげてゆく回路がどこか切断されているような印象。「おはなし」にならない/なれない、というのはそういうことかな、とかいろいろと。