
この理不尽な就活の中で唯一凄いなと思った会社。
— 百島 純 (@momoshima_jun) 2025年1月21日
面接と筆記試験の日程が急遽学業の研究発表と被ったのだけど、連絡したら日程を変えてくれた。で、当日行ってみると私一人しかいない。重役室みたいな場所で試験を受けて、面接。
あ、面接は一次面接です。
(続きます) https://t.co/KOj7BqldXt
この理不尽な就活の中で唯一凄いなと思った会社。
面接と筆記試験の日程が急遽学業の研究発表と被ったのだけど、連絡したら日程を変えてくれた。で、当日行ってみると私一人しかいない。重役室みたいな場所で試験を受けて、面接。
あ、面接は一次面接です。
(続きます)氷河期は甘えだって?じゃあやってみろ。絶対無理だよ。
新幹線2時間かけて本社で面接。もちろん日帰り。親に土下座で頼み込んで、交通費を工面してもらったけど全部無駄。
当然会社からは交通費は出ません。面接内容は圧迫もの。ハラスメントは当たり前。
面接官は「わざわざ電話をかけてきてくれた人にはこちらとしても誠意を見せたいし、そういう人こそ会って面接すべきだと思ったので😊」と言っていた。
そんなことをしてくれたのは何十社と受けたが、ここだけ、いやこの人だけだった。
それでもそれを許可してもらえる人事風土があったんだと思う。
最終面接までいったが残念ながら採用には至らなかったと思っていたが、11月を過ぎてその会社から電話が来た。
どうやら最初に面接してくれた人のようだった。
採用辞退者が出たので、うちの会社に来てもらえないかという話だった。
しかし、私は既に他に内定をもらっており、内定式にも出ていた私は泣く泣く辞退した。若造だった当時は内定した会社を辞退することが許されないと思っていた。
その人は「あなたはきっと他の会社にも内定していると思った。気に病む必要はないよ。こちらだって多くの人を断っているのだから。」というようなことを言っていた(曖昧)。
今ならきっとこの会社に行ってたと思う。
後日、その会社の人と仕事をすることになった。このことを話すと、もしかしたら一緒に仕事してたかも知れなかったんですね。ととてもスムーズに仕事が進んだ。
この会社の案件はなんとかしたいと思えた。
あの会社に進んでたらどうなってたんだろうと思ったりはする。が、今は自分の仕事を全うしようともがいてる。あの事があるから超氷河期の就職活動は嫌なことではあるが、いい思い出でもある。
こんな人は多分少数。
私はこの会社の次に真摯に接してくれた人事部のある会社に就職してます。
人事の人は会社の顔であるということを忘れないで採用活動してほしいなと思います。ちょうど氷河期時代に採用されて面接官する人、あの辛さ、理不尽は我々だけのものとしましょう。
そう。まさにそう。
今の若い人なら私の一連のスレッドは当たり前のことなのにと思うはず。
この当たり前がなかった。それがあの時代に就活した人に対してはなかったんですよ。この話が美談になる位には。
人が狂ってたのか時代が狂っていたのかは分からないけど。
落ち着いて考えれば人間としてごく当たり前のことしかしてないのにそれが「凄いこと」になった時代、それが氷河期。他がどんなに凍えていたか分かるだろ?
このスレッドに出てきた人事の人の行為を当たり前と思った人、どうかそのまま狂わないで生きて欲しい。
狂った時代が再び来た時に狂わない世界を見せて欲しい。
バズったのでお願い。
会社にいる50歳あたりから下の人を褒めてあげて。ゴールデンカムイじゃないけど生き残りなのよ。あの不遇の時代を生き抜いたの。
上から理不尽を振り撒けられて。
褒め慣れられてないの。
だから褒めてあげて。
肯定してあげて。
私なら多分泣く。
カルマの法則じゃないけど他人に良いことすれば自分にも良いことが巡り巡って返ってきますし、他人に悪いことすれば自分にも悪いことが巡り巡って返ってきます。
少しでも心温まる行動や言動を心がけたいですね。
実は面接前に既に採用されるかどうか決まってるってことがよく分かる話だわ
(アパホテルも当然すぐに離職する人がいるだろうけど)アパホテルは採用したら、その人の親に「大切なお子さんを預からせていただきます」と有名女性社長が電話するそうだね。どんな人でも、生まれた100日目などにお食い初めのお祝いをしてもらったり、周りから愛されて育った人。仕事の駒じゃない
いわゆる「氷河期世代」の呪詛や怨嗟は、いまの本邦世間にとっての決して無視できない社会的な負債として現在進行形のリスクになっていると思う。で、それがひとつの定型化してきている過程もすでにあるようで、たとえば「就職活動」におけるその「苛酷さ」を語るのは、わかりやすい「おはなし」の糸口になってはいるような。かつての「大学受験」の「苛酷さ」を語るのが、偏差値世代≒新人類世代あたりにとってそのような話法発動の糸口になっていたのと、ある意味同じように。あるいは、さらに遡るならば、「戦争」「敗戦」体験がどのようにそれら「おはなし」を編み上げてゆく糸口になっていたのか、などとも同じような意味において。
いずれにせよ、世代的同時代経験の「おはなし」化によるルサンチマンの共有は、世代的自意識形成の核になってゆく。すでに40代以上、50代に入っている彼ら彼女ら「氷河期世代」のそのような世代的自意識のありようは、日々の生活の中、具体的な仕事や家庭生活、あるいは政治的な選択を求められる局面などのそれぞれにおいて、どのように作用してゆくものか。*1
「世代論」的な枠組み自体、それこそあの人文社会系に対する違和感不信感と同じ脈絡で「あなたの感想でしょ」的な白眼視を受けてしまうようになっている昨今、けれどもその「世代」とひとくくりにする/されることの弊害を自覚したところから、敢えてもう一度可能性の方へと足を踏み出してゆくようなモメントすら、もはや担保できなくなっているように感じるいまどきの本邦の現在、迂遠に思えるだろうが、たとえばかつて敗戦後に一気に噴出した「戦争」体験を媒介にした「世代」を語るさまざまな話法やもの言いがどのようなものだったのか、そしてそれがその後、「戦後」の本邦世間の共通像を「おはなし」として編み上げてゆく上で、どのように働いていったのか、などについて、われわれにとってのこの先、いくらか役に立つかもしれない「公共」像――あ、いや、そこまでいきなり大風呂敷でなくとも、せめて漠然とした「われわれの世間」の再構築のための、ごく予備的な下敷きとしてでいいから、あらためて読み直してみることは決して損にはならないと本気で思う。