お腐れサマ周辺、あれこれ・メモ & 雑感


今、人文系の研究者がおかしな本を一般書籍として出して、間違いから差別や分断を起こすのは、こう言った思考からだと思う。内容を確認しない。思い込みで否定する。周りも検証、校閲をしない、批判ができない状態に陥る。

 自分の「おキモチ」基準が大正義で、「無理」「キモい」「キモチ悪い」「キラい」を「センシティブ」「ミソジニー」「ホモソーシャル」その他もっともらしいカタカナ術語にまぶせば、あとは肩書きや立ち位置ごかしに、あら不思議、そのまま「学術研究」「論文」「業績」にしてしまえるようで。

 で、その「おキモチ」にはもはや一部「性欲」(定義ともかく)も平然と含まれるようになっていて、そこらへん境界がすでに溶解、一緒くたになっているのにも関わらず、でもそれは「性欲じゃないもん!」と平然と強弁する/できるまでになっとる全てが「おキモチ」一択原理主義モンスター跋扈する現在。

 「おキモチ」がむくむく肥大して抜き差しならんくなって、そのうち「性的存在としての自分」の領域と紐ついた部分もなしくずしに一緒くたになり、でもそれは「性」がらみの領域ならば対社会的に施されるべき制御もなく、むき出しかつ無自覚に放り出されてしまうわけで。

 タガの外れたお腐れサマ個体のうとましさ、正視できない感じというのは、およそそんなもの、かと。……あ、あちらさん話法ないしは語彙集に従えば、簡単に「キモい」でいいのかな、そういうのも。

 「性的存在としての自分」の領域をおのれでそれなりに自覚して認識してゆくためには、どんな形でも「(性的存在としての)他者」が媒介項として必要だと思うんだが、で、いまどきのこと、それがリアルでなく二次元でも脳内でもあり得るだろうとも留保するんだが、その手前の生身の自分ってやつが、な……

 二次元や脳内の「(性的存在としての)他者」を媒介項に、他でもないこの「自分」の性的存在としての領域に気づいてゆく、って過程、思えばそんなもん以前から普通にあり得ていたわけで、それこそ「思春期」の「夢見がち」みたいな言い方で表現されていたようなありかた、とか。「性的存在としての自分」ってのも、「社会的な自分」になってゆく過程の裡に含まれていた/いるわけで、本質的なところでは。だって、ニンゲンって社会的なイキモノである限り、あたりまえに「性的な存在」でもあるわけで。

 二次元や脳内の「(性的存在としての)他者」を媒介項、あるいは足場にして「自分」の性的存在の領域を認識してゆく≒「社会化」の過程をどこかでいびつなまま放置しておいた結果、それら「(性的存在としての)他者」のなれの果ての形象のゆるふわ自己欺瞞が今の、「推し」キャラ、てなことになるんかな。

 「補助金助成金」の類、つまり「公的」な資金ですが、それらの「公的」という性格の部分がもう初手から自明の環境になっとって、棲息しとる環境自体まるっと「公的」(なるもの)なんだろう、と。蠱毒エリジウムの属性のひとつ、でもあるようで。そういう環境を「そういうもの」としてあたりまえに育って社会化(要はエリジウム特化の個体化)してくると、「私」的な領域もまた自明に「公的」(なるもの)としてしかあり得なくなり、しかもそのことに無自覚という量産型「意識高い」モデルがめでたく続々出荷されるわけで。

 かつての少女マンガの定型としてあった「こんなにブスでドジでバカで(以下負の属性ご随意)な自分」という主人公キャラ設定って、「お腐れ」的自意識の輪郭が定まってゆく過程に寄り添って生成されてきたようなところ、あったりせんのん?

性の自己決定はできても、デブやブサイクやお腐れ(以下なんでも)は自己決定でけんのやなぁ……-y( ´Д`)。oO○

腐女子って拗らせた系と
王道少女マンガ無理系がいますのよ…
ゴリゴリの腐女子でも普通に別嬪さんいます
(ただし変人)

 ソシャゲその他の課金厨や「推し」のグッズやイベント参加に血道をあげるお腐れサマ界隈その他、いずれリミッターが壊れたような消費性向を実装して/させられてしまったような事例が、ある時期からこっちの「流行」現象の世相を下支えしている印象があったりする。

 お腐れ様は全裸中になれるのか。
 う~ん、お腐れサマ界隈については現状正直アウェイというか、本邦オンナの人がたのセクシュアリティの来歴その他をまずうまく整理して補助線にでけんことにゃ、言語化でけんようにおもとります。百合ってのも同様で……

 お腐れ的感受性(とりあえず)みたいなものに、同時代では明確に察知できなかったボンクラとしては一言もないが、ただ、オンナの人がたのああいう認識枠、生身であれ創作物であれある種客体≒キャラ的に賞翫、月旦する心性は、本質的デタッチメントor「冷笑」的相対化視線のような気はずっとしている。

 オタがキモい、のはともかく(おい)、お腐れサマ腐女子の類はキモい、ってのはないのかね。

 八尺様って、お腐れショタ的自意識にとっての全裸中年男性、なのかな?

 「推し」にしてもあれ、お腐れサマ界隈から最初出てきたような印象があるんだが……

 それこそ、艦これもウマ娘も、あるいはお腐れBL薄い本系のあまた創作の類も、「恋愛」の、それも「純愛」(言い方ともかく)モードの定型の「おはなし」を下敷きにしたたてつけが威風堂々、国民的教養として厳然と存在していることを表わしとらんだらうか。…あ、悪いこと言わん、お腐れバージョンはやめときなはれや。

 いわゆる「母性」「マザーシップ」的なもの、と、お腐れサマ的心性、との歴史社会学w的関係について。…

「ちわー、オークです」
「姫騎士です」
「実はあなたのお子さんが」 x.com/bbcnewsjapan/s…

お腐れさまだった、ってことはないんか https://t.co/IXyyY4TjYY

 お腐れサマがたも、ある意味全裸中年男性的なマインドを共有されとらしたんだな、と。それに気づかせてもらえてきた過程というのは、個人的にはまあ、あるっちゃありますです、はい。

 お腐れ様的なり、BL系受容体なり実装した世代や人がたが多数派になってゆくことで「文学」「芸術」その他、広義の「文化」的創作物に対する意味づけや「読み方」が否応なく変わってゆくかもしれないこと、そしてそれをどのように「文化」の歴史的過程の裡に穏当に位置づけ、安定させてゆけるのか。

 な、お腐れマインド、ってのは、一面で「ババア化」でもあることがよ~とわかろ?
https://x.com/U_Non_Tw/status/1393115112764964870

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 お腐れフェミゆるく通俗型、かと。

戦後民主主義者/フィナーレ済み・環結済み/腐女子/越前国審神者Lv149(初期刀山姥切国広・初鍛刀薬研藤四郎)/戦ブラRank165/あんスタRank62」

#今日見たプロフ

 BLやら何やらいわゆる腐女子・お腐れサマがたの「性的消費」「性的まなざし」の内実が実はシャレならんエグさらしい、ってこともみるみるうちにバレていった過程ってのが、ここ四半世紀あまりの本邦社会意識のなりたちにすでに織り込まれてきとる、そのなれの果ての現在、なんだかわな。

 お腐れサマ界隈などがある時期から言うようになった「壁紙になりたい」「観葉植物になりたい」的な「純粋視線の「見る」だけになりたい」系の欲望が励起・前景化していった過程などとも関わりも含めて。

 彼の地の大学というかこっちで言う短大相当の学校を卒業して3年次編入でやってきた留学生だったから極めてまともでマジメで、もともとN1級能力だった日本語もさらにみるみるうちに上達して、お腐れ全開の内面まで本邦若い衆と相照らすまでなっとったんだがな(´-ω-`)

 その後の、あのお腐れサマがたの「観葉植物になりたい」「部屋の壁紙になりたい」的なある種の「やつし」の究極みたいな意識のありようにしても、「ぶりっこ」や「アニメ声」を武器として逆手に使って守ろうとした何ものか、への忠誠の誓い方みたいなところと、どこか通底しとるんじゃなかろうか。

 キモオタの笑い声テンプレで「デュフフフフ」ってのがあるけれども、お腐れ様がたのそれは「ヒョヒョヒョヒョヒョ」って感じなのを思い知った。いずれくぐもって息漏れる感じなのは共通しとるようで(*´Д`)


 平日朝イチならなんぼかダメージコントロールできるかとおもたら甘かった(´;ω;`) お泊まり明けみたいなリア充つがいだの、アラフォーお腐れ様(らし)カポーだの、ボリボリゴソゴソなんかずっと音立てて喰うとらすテンプレキモオタクリーチャーだのが割とてんこもりだった( ノД`)

 母子家庭でメンヘラで高校中退&大検経由で大学来て、奨学金その他もらって「貧乏でも頑張ってる」触れ込みだったお腐れ系おたくでもある若い衆(♀)が、ひとり暮しの部屋が人外魔境なゴミ屋敷で、コスプレや同人誌関連のブツごっそり貯め込んでたのが発覚、周囲(゚Д゚)ハァ?になったことが。

 性的対象として見るまなざしw自体があかんのだったら、お腐れサマ方とか攻め受け原理主義な人がたとかのそういう「性癖」はどうなるん? キモオタもお腐れ様がたも、キモいor腐ったまんま、この先若い衆世代のお荷物ジジババに突入してくんだな……

「ぼくっ娘」の発生とお腐れサマの伸長、その関係と同時代的背景について。

「少年」小説ってジャンルもあったんだよな……もちろんお腐れサマ界隈に関係なく。

 肥満と無職と引きこもりとお達者ジシババとお腐れサマと草食化と……あとなんだ、とにかくそんなこんなを並列一緒くたに語れる現代ニッポン。

 いわゆるお腐れサマ的な「読み」の浸透ってのもあれ、そういう「キャラ」ありきな「おはなし」リテラシーの作法が前面に出始めていったことと関係しとるところあるかも知れんなぁ、とかいろいろと。

 ♂の視線をあらかじめ遮断してしまえるようになったお腐れ系♀シールドの内輪性がここ10年内外くらいで従来よりはるかに濃密に濃縮されたものになっとる印象。「性癖」が内面含めた「人格」を覆い尽くして安定してしまっている感。

 おたくやお腐れがメンヘラ化の歯止めになっとる場合もないではないわな。

 大河で西郷どん、とくると……ああ、またお腐れサマニーズに合致したあんな挿話こんな関係がいろいろと……

 もう、お腐れサマ史観での民俗学史をだな……

 自覚あるフェミ様のお腐れサマ率、ってどれくらいなんだろ。

 お腐れサマ以下、♀の性的嗜好(いまで言う「性癖」か)の表明orうっかりバレる、って、どうして♂のそれほど「キモい」だの「汚い」だのネガティヴに言われないんだろ、と、ふと。

 抱き枕の普及がお腐れサマ界隈にまで浸透した結果、という「説明」を受けた。

 無意識ホモソ、な〈リアル〉をなにげに堪能させていただける挿話や断片がそこら中に散りばめられとりましたんで、お腐れサマ界隈その他、お好きな方にはまた別格の愉しみ方もあるかと。

 この少子化ぼっちお腐れマインド横溢のご時世に、結婚だの出産だのの周囲だけでこんなにドラマまわしちまっても大丈夫なんかいな、とふと。