
「思想史おたく」と、かつて浅羽通明に言われて30年あまり。思い起こせば、その時ちょっと鼻白んだ記憶は確かにある。「思想史」と「おたく」という組み合わせが、その頃はまだうまくこちらの身に響いてこなかったのだ。
とは言え、大学の学部時代、教養課程の同じクラスに身を置いていたという間柄、なにせ生年月日も一日違いの早生まれの現役組で当時50人ほどのクラスに一割いたかいないかの少数派同士の親近感も下地には何となくあったわけで、今はもう往き来しなくなってずいぶん久しいものの、その程度には未だ世に棲む者になっていない一人前未満の頃を知られているだけに、ああ、あれはやっぱり何ほどか本質を衝いていた評言だったんだな、と近年、無職隠居暮らしの日々にあらためて思い返していたりする。*1
「思想史」というもの言い自体、もうピンとこなくなっているのだろう。少なくとも、かつてわれわれが「そういうもの」として勝手に理解していたような内実においては。*2
それは自分がよく使う語彙でいえば「教養」というやつ、大学だの学術研究の世間だのの独占的な専有物ではなく、それらと関わりのない人生を生きている世間一般その他おおぜいもひっくるめての本読み、活字好きのいわゆる「読書人」にとっての自明に共有されているべきある枠組みであり、歴史や社会、文化その他、いずれ人間存在そのものに関わる現実を理解しようとする上での最前提となる大きな枠組み、とでもいうようなものではあったらしい。*3
で、手もとに山積、散乱する古書雑書やくたいもないガラクタの類を、ゆるゆると取り出してきてはめくり、眺めるだけが大方の日常になって以来、その「思想史おたく」としての出自来歴、ある意味おのれの本性でもあるかもしれない部分が、人生の晦日に近づいてきたことで煤払いしたように露出されてきているような気がする。*4
もともとそれなりに貯め込んでいたから、というのもあるのだが、いずれさまざまな自伝や評伝、回顧録といった個人に属する個別具体の記憶に根ざした記述の類を、そこに記されている人名や事柄、何でもない挿話などのごくささやかな断片をよすがにたどってゆく、そんな作業を、特に意識していたわけでもないものの、ふと立ち止まってみるとやってきている。このへん、山口昌男が生きていたら、なんだ結局おまえもこういうところに流れついてるんだな、と苦笑いされるような気がするが、*5 そんな中でも、それら自伝や評伝の類があたりまえに堆積しているいわゆる文学や文芸批評界隈だけでもなく、さらに一層拗れた蓄積がごった煮に積み上げられてきている「思想」関連の分野のそれら記述類を、ガラクタ類の山の中から発掘しては手もとに並べて互いに紐つけ、例によって細切れ切り昆布状にした付箋と走り書きのノートをなけなしの得物として何とか対峙している。
もちろん、学術研究の世間の作法によって、ではない。そんなもの、もうずいぶん前に粗大ゴミの集積場に放り投げてある。
「近代になって歴史も科学でなければいけないというので、微に入り細を穿つ重箱史学が栄えた。また同じ科学でも「人民の科学」でなければいけないというので、あらかじめ決まったテーゼに歴史をはめ込み、都合の悪いところは切って捨てる歴史の偽造が行われた。」
「その第一は外国の研究を祖述して事足れりとする安直さで、そういう研究はいくら量を誇ってもがらくたを積み上げるに等しい。諸外国の研究に学ぶことは大事だが、それが祖述にとどまる限り、結局は歴史の観光旅行以上のものにはならない。第二にはロシア人、アメリカ人その他になったつもりの研究で、これまたがらくたである。研究者の主体が不分明であったり、朦朧としていると、研究の方も真実を離れて絵空事になってしまう。(…)わたしがこれまでの社会運動史研究の枠組みに不足を感じ、ただ研究の自由化を推進していくだけではだめなのではないかと考える理由のもう一つに、この研究者の主体の問題がある。」*6
この「主体の問題」と、アウトプットとしての記述との関係をさらに踏み込んで考えてゆくと、否応なくそもそもの「ものを考える」「考えて書きものにする」一連の作業の裡に宿らざるを得ない何ものか、そしてそれは必然的にその書かれたもののありようにも反映されてくる、というあたりのしちめんどくさい事情になってくる。ということは、その先には、ならばそもそも本邦日本語を母語とする環境における「文学」「文芸」的、あるいは「詩的」「美的」表現の内実とは何か、それらといわゆる学術研究的な表現との違いはどこにあるのか――つまりぶっちゃけて言えば「チラ裏」「おポエム」「感想文」の類と「(学術)論文」の違いはさて、どこにどのようにあり得るものなのか、といったさらにとりとめなくもうっかりと大事な話にもなってくるのだろうが、それはひとまずどうでもいい。*7
「思想史おたく」と言われた、その「おたく」の部分の内実というのは、それまでの思想史であれ何であれ、いずれそういう学術研究専門性に根ざした、それなりに手続きも担保された成果とそれを「教養」として、「そういうもの」として素直に受けとることのできていた共同性の裡にめでたくおとなしく埋め込まれている主体「ではない」という、言わば否定的媒介としての意味あいだったのだろう。同じ事象、同じ問題に興味関心を抱いて接近していても、その問いを宿している主体の部分、生身も含めた〈まるごと〉の実存のところでは決定的に違うという不連続。つまりデタッチメントが骨がらみに実装されていた上での興味関心なのであり、その意味で「ココロがない」「冷笑的」などと見られてしまうようなものでもあり、それは自分も以前から指摘していた「おたくの不人情」とも間違いなく同じ根を持つ意識のありようではあったはずだ。
思想なら思想を自分ごとにしてゆく、古めかしいもの言いならば「肉化」とか呼んでもいたかもしれないような過程を、ならばそのような「思想史おたく」はどのように自らに仕掛けてゆかねばならなかったのか、といったあたりのことが、おそらくまたゆるゆると言語化して放り出してゆかねばならないこと、なのだと思う。それを結果的に怠ってきたらしい、その程度にはこれまでとにかく無事に無難に世渡りできてきたのだろう同時代の同業他社界隈な物件たちが、さてその後、どのようななれの果てを現在、〈いま・ここ〉の切羽にうっかり晒しているのか、ということなどとも、おそらく照らし合わせながら。
*1:king-biscuit.hatenablog.com
*2:king-biscuit.hatenablog.com
*3:king-biscuit.hatenadiary.com king-biscuit.hatenadiary.com
*4:ただまあ、アウトプットへ持ってゆく過程も含めてのリアルな実態としては、たかだかこの「フラッシュ」の挙動みたいなもの、なんだとは思うけれども、世間一般その他おおぜいの傍目からは。 www.youtube.com
*5:king-biscuit.hatenablog.com] king-biscuit.hatenadiary.com
*6:大沢正道「土民社会運動史の試み」『土民の思想――大衆の中のアナキズム』社会評論社、1990年。
*7: king-biscuit.hatenadiary.com king-biscuit.hatenadiary.com king-biscuit.hatenadiary.com king-biscuit.hatenadiary.com king-biscuit.hatenadiary.com