情報環境とリテラシー、そして異文化としての歴史

 広い意味でのいわゆる「リテラシー」の時代差、世代差と、情報環境の違いとの関係によって、否応なしに生まれてきていたはずの「読み方/読まれ方」の違いについて。それが概ね自覚的に対象化されにくいままだったらしいこと、なども含めて。

 過去というのは、そういうたてつけも含めて、現在に対して常に「異物」であり、敢えて先廻りして言えば「異文化」としての位相をはらみながら、そうして初めて〈いま・ここ〉に宿るもの、だったりするらしい。

 そういう意味で、人文社会系の営みにおいての「正しさ」「正解」などは、常に更新かけられ「修正」されつつ「そういうもの」化してゆく過程の裡にしか、もしもあり得るとしてもそのようにしかあり得ないもの、だと思う。

 「異文化」という枠組みは、その「文化」というたてつけが「発見」されることと裏表の事象だったりするわけだが、そもそものところ、その「文化」は自らの裡、自分たちの日々の立ち居振る舞いやものの見方、考え方などの中に発見されるよりも先に、それらが自分たちとは明らかに異なる様相を呈している対象において、先に見つけられたものではなかったか。

 「異物」がまずありき。「異なるもの」があって、認識されて、初めてそれが自分たちの裡にもあるものらしい、ことに気づいてゆく――それは人類学的な認識のあり方の「はじめの一歩」として教科書的にも記述されているようなものだろうが、ただ、それは同時に、自明に「自分たち」の範疇にあるはずの「歴史的過去」についても、同じように「異なるもの」を発見してゆく過程にも該当するものだろうか。

 違う角度から言えば、「歴史的過去」が「異なるもの」として「発見」されてゆくためには、もしかしたら同時代的な地平、それこそ共時的な軸においての「異物」が見出されるよりも、ずっと難しいことだったのではないか。

 「歴史的過去」は、おそらく常に「自分(たち)」の側にある。自分(たち)というアイデンティティと共に、「歴史」はおだやかに整えられて存在している。時代がくだり、あの「科学」という認識枠組みがそれを可能にするさまざまな技法と共に発見され、それらが新たなツールとしておだやかだった「歴史的過去」に対しても無慈悲に適用されるようになってから、「歴史」もまた、「自分(たち)」からかけ離れた現実、「異なるもの」としての相貌を鋭く見せる局面が増えてきたのではないか。

 「異文化」としての「歴史的過去」という認識は、そのような意味で、おそらく相当に耳ざわりで違和感をかき立てるものになるのだろう。

「大学」という場への不信感の増幅

 いまさら改めて言うまでもなく、そして殊にウクライナの一件が勃発してこのかた、本邦国内的な情勢の変化の一環としても、人文(社会)系の「学問」に対する不信感、違和感が世間一般の間にも強く抱かれるようになっていて、それはひいてはそれら「学問」の宿る場としてあってきたはずの「大学」への信頼感が、それらの中に棲息している人がたに対するそれごと、不可逆的に大きく減退していることでもあるんだろう。

 ただ、それがさて、果してどれだけ本質的で致命的ですらあるらしい危機なのか、当事者であるはずの中の人がたほど、それらの本質的な部分に対して鈍感に見えるのは、果してなんでなんだろう。

 たとえば、自分が現に「大学生」である、あるいはそうであって不思議ない年代・世代の若い衆や、これから社会に出て生きてゆかねばならない10代以下も含めて、そういう年回り、そういう立ち位置にある人がたの間の「学問」感、「大学」感が大きく毀損されていることの危うさが、未だ大文字の能書きの水準でしか言語化されていない印象なのだ。

 さらに別のたとえばとして、コロナ禍このかた、遠隔授業が当たり前になって、具体的な「場」としての「大学」が否応なしに形骸化させられていることが、それら「学問」「大学」に対して抱かれてきたイメージにも大きな影響を与えていて、そしてそれは今後簡単に修復できなくなっているらしいこと、など。

 自分はそういう意味での「大学」に、振り返ってみても実はそれほど実際的な恩恵を受けてきていないみたいなんだが、それでも、あるいはだからこそ、「学問」がそういう「場」としての「大学」と不即不離の関係で成り立っていたことに対する信心みたいなものは、人より強くあるらしい。

 私大の学部と院を底辺人文系で過ごし、30歳で当時の国立大の隅っこに職を得て、その後10年足らずで思うところあって辞して野良暮しを10年ほどした後、再度ご当地例の大学に、というワヤな経歴だから、偉そうに「場」としての「大学」だの「学問」だのどうこう言える分際でもないのは十分自覚しとるが。

 裁判の行方は、勝敗別にして未だ不透明だし、「懲戒解雇」無効と復職訴えているものの、すでにフルタイム定年期日を過ぎ、特任保証の年限もあと2年を切っとる以上、遅滞戦術とられたら最終的な判決出ても実質「大学」に戻ることができない可能性は少なくない、それもそろそろ覚悟はし始めているが。

 地方の零細私大、巷間言われる「Fラン」とは少し違うご当地地元文脈の意味でもすでにワヤだった「大学」としての内実が、ここにきてさらに最終的な破綻に向けて取り返しのつかない地点をとうに過ぎたように見える、そんな「大学」であっても、まだ「場」としての失地回復は夢見ておきたいもので、な。

 どこか新たに大学その他に職を求める気持ちはないのですか、的なこと言われる機会もたまにあれど、「懲戒解雇」で裁判係争中の凶状持ちが、公募であれ何であれ手を挙げたところで門前払いが当然で、加えてそれ以前の経歴からして「なかったことにされる」身の上渡世だったからさらに言わずもがな。
非常勤とかは?とおっしゃる向きも、おそらく善意であったりするが、ご当地に本格的に腰落ち着けるようになって15年ほど、ひとつも非常勤やっておらず、そもそも声すらかけられていない「ヨゴレ」がこの歳になってどうやって、という説明を、まあ、あたりさわりなくしておくしかなく。

 研究室その他に「拉致」されたままの資料・古書の類も、2年間触れられぬままなわけで、どうやら人文系不毛(らしい)のご当地では図書館その他でまず手に取れないようなわけのわからん雑書が大方な分、日々蝸牛の歩みなあれこれ考察沙汰に不便・不自由が常態化しているのもまあ、間違いなく。

押し入れ、のはなし

 あれは2015年か、そこらのことだったか。当時、成年向け漫画のスレか何かで、誰かが奇妙な話を語りだした。何でも、ある作家の描く成人漫画には、毎回必ず押入れが出てくる。ここまではまあそんなこともあるだろうな、という話だ。だがそれだけではないという。


「押入れが開いていくんだ」


 男はその作家のファンだったというわけでもないが、ある時作品を読んでいて、微妙に開いた状態の押入れが執拗に背景に描き入れられていることに気づいた。他のインテリア等は省略されることもあるのに、押入れだけは決して省かれず描き続けられているのだ。


 そして作品の途中、一切の脈絡なく、押入れだけが描かれているコマがある。件の男にはその隙間がどうにも不気味に思えたらしい。以前スレでぼそりとそのことを話すと、誰かが「その作家、前からそうだよ」と教えてくれた。気になって調べてみる──彼の作品集を買って読んでみた。


 押入れ。押入れ。押入れ。すべての作品に一貫して押入れが出てくる。毎回必ず1コマ、最後の方にキャラクターが一人も出ずに押入れだけが無言で映し出された。性癖なのかもしれないが、あまりに奇妙だった。


「……何でかわからないんだが、それ以降彼の作品のことしか考えられなくなってしまって」


 男はその作家の作品を──それこそ活動最初期のものから集め始めた。オークションで出品された大量の雑誌集の中に探していた号を見つけ、大枚叩いて丸ごと買い取ったこともあるという。


 それら作品を集めて分析していったところ、わかったことが3つある。

 1.  押入れが本格的に描かれだしたのは、2011年の作品『……出会っちゃったね』からだった。当時はまだ、せいぜい1~2cm程度しか開いていなかったという。


 2.  押入れは作品を経るごとにどんどん開いていく。3cm、5cm、7cm……着実に隙間は開き、暗闇の占める割合が大きくなっていっていた。


 3.  押入れだけのコマが移りだすのは、2013年の『忘れられた記憶』からだ。以降、ずっと現在に至るまですべての作品に押入れだけのコマがある。

 スレは一時盛り上がり、確認と調査が更に進んだ。問題の作家と絵柄が類似する全年齢作家が発見され、そちらもある作品に開いた押入れが登場していたことで別名義であると見なされた。


 とうとう、作家の側も事態に気づいたようで、Twitterで言及があった。しかし奇妙なことに、彼自身も押入れのことに気づいていなかったらしい。ただの背景としてしか認識していなかったようなのだが、徐々に開いていっていることを知って気持ち悪がったようだ。いつしか彼の作品からは押入れが消えた。


 2年後、作家はぷつりと活動を止めた。彼の最後のツイートは、夜中3時に投稿されたこの写真で終わっていた。

可視化される「ポリコレ当たり屋」・メモ

 今日の朝会で聞いた話をメモっとく。キーワードで「ポリコレ当たり屋」というのが大分聞かれるようになったらしい。たわわ、例の駅のバリアフリーの人、本当に改善するつもりではなく、ただ騒ぐのが目的の人。もう企業でも「ポリコレ当たり屋に絡まれたら無視しろ」というのが普通になりつつあるという


 ポイントは「一般企業はとにかく騒ぎを嫌う」と思われてること。当たり屋はそれが目的でとにかく騒ぐ。企業はごたごたが嫌だからすぐに謝る。当たり屋は社会的に自分の主張が認められたと主張する。昔の街宣右翼と一緒


 これまでは企業もSNSに慣れてなくて「炎上した!担当者を呼べ!鎮火させろ!」「謝罪しかありません!」とかやってたし、担当者もすごく叱られてた。でも今ではSNS担当役員なんてのがいるようになった時代


 広告のオリエンでも「SNSをどう活用するか」が1ページ目のでかでかと書かれるようになった時代。本気になった企業の勉強量をなめちゃいけない。Twitterでも炎上案件はとっくにリスト化され、共有されてる


 そうすると炎上案件のほとんどでフォロワー0とか一桁のアカウントがかなりの割合を占めてることに気づくわけ。それを研究、報告するとSNS担当役員は「当たり屋に絡まれたらSNS担当社員を怒らない方がいい」と分かってくる


 ああいう話題ではこの学者が出張ってくる。こっちの話題ではこのジャーナリストが出張ってくる。するとこの辺のフォロワーひと桁が反応する。そういうのを企業はもう把握しつつある。炎上の反応からフォロワーゼロ、一桁を取り除いてみる。すると、なんだ炎上させてるのは10人程度じゃん、となる


 本当に悪いんだったらクレベリンの件のようにちゃんと手続きを踏んで改善することができる。それが法治社会。そうした手続きを踏まずに恣意的に世の中を動かそうとする。これまでは企業の弱みがそれにつけ込まれてきた。それが「当たり屋」だとバレてきた。いいことだよね


 私は個人的にはネットの集合知、多くの人の意見が可視化されてそれが企業や自治体、国を動かすことができるという、メット発の草の根民主主義みたいなのを信じてたし、信じたい。でも今はその弊害の方が目立ってきてしまった


 これから5年くらいで「当たり屋対応マニュアル」みたいなのがどんどん整備されるだろう。そうすればあの界隈のああいう活動は通用しなくなる。あそこまでエスカレートさせて国連まで担ぎ出しても、謝罪なんてしなくてよい、という前例もできてしまった


 「ああまたあの人でしょ。あれポリコレ当たり屋だから」「当たり屋は無視が一番」かつての「嵐はスルー」みたいに、もう共通のキーワードになりつつある。特に今回のは騒ぎを大きくし過ぎた。それがかえって主張や方法論の無理筋さを周知させる結果になった


 これはよくあるハッシュタグ運動なんかでも言えることで、企業の担当者なんかは(直接関係ないとはいえ)あれも冷めた目で見てる。フォロワーゼロとか一桁とかがもう可視化されるからね。SNSに慣れてない人をだませるのも最初のうちだけなんだよ


 一応いまだに当たり屋やハッシュタグ運動なんかが有効なのは「こんなに炎上してます!」とTVのワイドショーなんかが取り上げるから。でもこれの寿命もあと5年以下だよね。TV視聴のメイン層はどんどん減っていく


 今では企業のパブリシティ予算も、TVで取り上げさせることからインフルエンサー施策にシフトして来てるし「ワイドショーで炎上が取り上げられた!担当者を呼べ!」というのもどんどんなくなりつつある。「あんなん〇〇だけのメディアでしょ」企業は冷徹に見てる


 こういう引用RTをいただいてそうだなあと思った。「ポリコレ当たり屋」が可視化されたのもSNS担当者がネットでの論調をウォッチしていたからだし、草の根民主主義の善なる側面にも、これからも期待していいかもしれないですね(了
twitter.com/Calcijp/status…

草の根民主主義が根付いたからこそネット当たり屋みたいな存在が視覚化されたのだと思います。 twitter.com/kettosee/statu…

twitter.com/Calcijp/status/1523466245760499712

 追記)あちなみに「これは『ポリコレ当たり屋』ではなくて正当なクレームなんだ」という向きは堂々と持論を主張されればよいと思いますよ。企業は「炎上」は無視しますが「正当な根拠のある改善要求」は聞いてますので。逆にちゃんとした意見は届きやすくなってると思いますよ


 追記その2)ポリコレ当たり屋ではなく「ネット当たり屋」なんじゃないなか、についてはそうかもと思います。たまたま今日聞いたのがこのワードだったもので。実際10年くらい前に企業が警戒してたのは、韓国関連の炎上でしたしね。ただ…


 「右派も炎上させるが、あまり組織的、意図的なものは感じられない」というのが企業の炎上対応者の肌感覚なんじゃないかと思います。ハッシュタグ運動なんかもそうですよね。なんででしょうね。よくわかりませんが

「広告」「宣伝」の胞状奇胎化

 「広告」や「宣伝」という営みがどのように世間に位置づけられ、また語られてきとるのか、を例によって千鳥足ながら自前で少しずつ掘ってみたりしとるんだけれども、おおよそ見えてきたことのひとつは、やはり70年代末~80年代にかけての頃からそれらのもの言い、話法が空中浮揚を始めとるらしいこと。

 というか、日本語を母語とする環境におけることば自体の機能や役割が何か一気に変わっていったような印象が改めて。何というか、ひとつの語彙やもの言いにむりくりいくつもの意味や内実、それも「イメージ」的な意味あいの輪郭定まらぬ中身を勝手に詰め込まれていったような「煮崩れ」のはじまり。

 「広告・宣伝」的な現実が日常の中でうっかり前景化されてきたことで、誰もがそれらを気にかけるようになり、でもそれらを説明する語彙やもの言い、文法話法は既存のそれまでの「教養」的本邦人文社会系のたてつけしかないという状況ゆえの応急処置ではあったとは思うものの……

 「メディア」論だの「イメージ」論だのが一気に玉石混淆、ばらまかれ始めた頃。ことばに紐付けられない領分としての「キモチ」「ココロ」等が「感性」「センス」などに仮留めされて野放図に使い回されるようになった時期。それらを刺戟することに特化したかのような情報環境の伸張とその「正義」。

 たとえば、それまでの本邦「教養」的語彙&話法のたてつけでの「文学」は「美術」「芸術」とは棲み分けされていたはずが、「イメージ」「メディア」論を介してなしくずしに煮崩れさせられてゆき、「広告」「宣伝」的な意味あいが「イメージ」としてそれら煮崩れの味つけとして投入されたり……

 まあ、これまた例によって走り書きの備忘程度でしかないんだが、ただ、何らかの〈リアル〉、役に立つ「わかる」を手にするためには、おそらくそのあたりの見取り図をひとつ自前で描いてみた上で、改めて「そこから先」の〈いま・ここ〉に至るまでの過程を眺めなおしてみにゃあかんのだろうな、と。

 美大、音大などと文学部との間の敷居がそういう意味で煮崩れていった過程、とかも、な。

 80年代なんてのはもういまどき「善意」「優秀」ごかしの「歴史修正」の呪いが、それこそ「思想」「哲学」w方面からある種出版&メディア界隈介してかけられ始めとるわけだが、そもそもそれらのたてつけ自体も「そういうもの」としてしか受容でけん界隈だけが蝟集しとるわけで、な。

ウユニ塩湖、のおもひで

 昔、ウユニ塩湖に行ったんですよ。高校のとき「ウユニ塩湖行ったら人生変わった」って、クラスの子が夏休み明け、興奮気味に言ってて、それで、バイト代こつこつ貯めて、どうにか辿り着いたウユニ塩湖は、大きな水たまりみたいで、二分も経たずに飽きちゃったんです。人生は、何も変わらないままです。


 雨が降ると草と土の匂いがして、家の隣の大きな空き地に、大きな汚い水たまりができました。いつまで経っても家どころか駐車場にもならないその空き地は、この街の未来を象徴しているようでした。かと言って、高卒の父と母はいつも満足げで、この街から出る方法を私に教えてくれはしませんでした。


 特に荒れてもない公立小中から特に頭も良くない公立高へ。美咲ちゃんとはそこで知り合いました。彼女はこのあたりの地主の娘でした。田舎の金持ちといえば医者か地主で、勉強ができないと跡を継げない前者と違って、彼女には生まれながらにして、そこそこ楽でそこそこ幸せな人生が約束されていました。


 美咲ちゃんがウユニ塩湖に行ったのは高校一年の夏休みで、BSか何かでそれを見たお父さんが嫌がるお母さんと美咲ちゃんを無理やり連れて行ったのだそうです。結果、美咲ちゃんは「人生が変わった」のだそうです。湖の前でワンピースみたいに片腕を突き上げた写真を、彼女は私に何度も見せてきました。


 でも少ししたら熱も冷めたらしく、彼女はもうウユニ塩湖の話はせず、松坂桃李のドラマの話ばかりする元の彼女に戻ったようでした。その熱が再発したのは大学受験直前期でした。「ウユニ塩湖で人生変わった」そんな景気のいい自己推薦書を、彼女は慶應SFCAO入試に向けて書き始めたのです。


 お父さんも早々に旅行に飽き、使い道を失ったお金を、娘のAO入試対策塾に突っ込むことにしたようでした。彼女は週末になると東京のその塾に通い、面接練習なんかを繰り返していたようでした。重課金の甲斐あってか彼女は見事に合格。「#春からSFCツイッターで何度も誇らしげに投稿していました。


 それがウユニ塩湖のおかげだったのか、戦後のドサクサで大量に獲得したと噂されていた土地のおかげなのかは分かりませんが、何にせよ彼女の運命は、この街の他の人たちよりは明らかに「変わった」ようでした。私は地元の国立大に進んで、この退屈な田舎町みたいな平らな畦道をムーヴで走っていました。


 ループものかと思うほどの日々の繰り返し。お母さんが作る目玉焼きと香薫とお味噌汁の朝ごはんを食べて、ムーヴで大学に行って、授業を受けて、ムーヴでバイト先の居酒屋に行って、ビールや唐揚げを運んで、ムーヴで家に帰る。繰り返し。お味噌汁の具が変わるだけの、気が狂うほどの日常の繰り返し。


 地元の友達がお金配りおじさんのRTばかりする中、美咲ちゃんのツイートだけが異質でした。「現役女子大生ミサキの全部見てやろう」YouTubeやnoteを横断した彼女の私生活の切り売りを見る限り、彼女はせっかく受かった大学にロクに通わず、お父さんのお金で海外旅行にばかり行っているようでした。


 しかしそれでも、彼女の生活は十分に幸せで、成功したもののように見えました。YouTubeは登録者三万人。コメント欄を見る限り、女子大生ブランドに惹かれて寄ってきた冴えない中年がその数字を支えているようでした。それでもすごい数字です。三万人の勃起したおじさんが立ち並ぶ光景を想像しました。


 次第に、彼女のツイートを見るのが辛くなってミュートして、でもひどく酔っ払った日、それが結局は彼女に対する嫉妬であると気付いて大泣きしてしまい、その場でウユニ塩湖ツアーをネット予約しました。彼女がそうであったように、私の人生もあの湖の光景によって変わるのではないかと期待したのです。


 安い飛行機を乗り継いで、安い宿のかまぼこ板みたいなベッドに泊まって、どうにか辿り着いたウユニ塩湖はとても美しくて、でも、それだけで、ワンピースの真似事をして写真を撮っている日本人大学生の集団が視界の角に入って、二分もすれば、帰り道も大変だな、と、どうでもいいことを考えていました。


 地元に帰っても人生が変わる様子はなく、退屈から退屈へとムーヴを転がすだけの日々が戻ってきました。しかし私の人生は変わったと言えます。すがすがしい諦めというか、美咲ちゃんみたいな人を見て、空から降ってくる何かが私の人生を変えてくれるなんていう要らぬ期待を抱かないようになったのです。


 なんてすばらしい日常の喜び!めざまし占いの順位に喜び、たまに朝食の香薫がセールのシャウエッセンに変わることに喜び、ガソスタの景品で鼻セレブが貰えたことを喜び、バイト先の居酒屋で酔ったおじさんに綾瀬はるかに似ていると言われたことを喜ぶ。ハウス栽培のいちごのような輝かしい日常。


 美咲ちゃんの日常も変わったようでした。「原体験に深く向き合った」と、伸び悩んだYouTubeを諦めてOTAなるものを起業しました。立派なnoteを書きました。その立派なnoteに書かれた明るい未来は、コロナで吹き飛びました。美咲ちゃんはまたYouTubeに戻ってきて、サウナ水着回みたいなのが増えました。


 そのYouTubeも閉じて、ネット広告の会社で少しだけ働いて、美咲ちゃんは地元に戻ってきました。「これからはローカルの時代」また立派なnoteを書きましたが、要は東京では全然通用しなくて、それが悔しくて地元で起死回生を図ろうとしているようでした。彼女の目はまだ東京を、世界を向いていました。


 彼女から久々に会おうと連絡が来て、駅前のスタバで待ち合わせしました。この街はスタバすらまずい気がすると彼女は言いました。彼女が着ているオーラリーはこの街で彼女だけが着ているような気がしたし、やわらかなシルエットのその服は、彼女にとっての防護服のようにも見えました。


 業界に違う形で切り込もうと、彼女は都心と地方をつなぐ体験型OTAをまた立ち上げましたがそれもダメで、そのことは単なる失敗という以上に、都心の人にとって地方なんて行く価値のない場所だと言われたような気がして、彼女の心は完全に折れたようでした。noteも閉じて、彼女は静かになりました。


 彼女はひっそりとインスタを立ち上げました。そこには意識の高い調達ストーリーも、シェフを家に呼んでのタワマンホームパーティーの話も流れてこなくて、彼女は庭に咲いたタンポポとか、スタバの新ドリンクの話ばかりをしていました。最近は親の紹介で地銀勤務の彼氏もできたらしいです。


 昔、ウユニ塩湖に行ったんですよ。高校のとき「ウユニ塩湖行ったら人生変わった」って、クラスの子が夏休み明け、興奮気味に言ってたんですけど、その子、慶應に行って偉そうにしてたけど、結局地元に戻ってきて、今はスタバの新作の話ばかり。笑えますよね。田舎のスタバはまずいって言ってたのに。


 私?変わりましたよ。自分のありのままを肯定してあげられるようになったんですよ。他人なんて羨ましくないし、這い上がろうとする人を、必死だなぁ、って笑えるんですよ。地価がじわじわと下がるこの街で、彼女がじわじわと破滅してゆくのを、汚い水たまりの中に立って、楽しく眺めているんですよ。

カフェの変オジ退治

 ちょっと聞いてくれますか?今娘を慣らし保育に連れて行った後、カフェに入ってコーヒー飲んでたんですよ。久しぶりのカフェで至福の時間ってやつです。そしたら、こんな席が空いてるのに私の隣にオジサンが座ってきたんです。


 私よく変な人ひきつけちゃうんですけど、そのオジサンも隣に座った途端、店内に響き渡るクソデカボイスで「オオオオオオ~!!」って唸ったんですよ。あぁまた変な奴キタコレなって思いましたよ。でも私は慣らし保育があと数日で終わり、仕事始まったら仕事育児家事の日々でカフェなんてもう来れないも同然なんですよ。貴重な時間を春に誘われて出てきた変なオジサンに奪われてたまるかって思ったんですよ。


 なのでね、反射的に私も唸りました。「ううううううううううぅぅぅーーーーーん!!!」ってね。この土地に知り合いもいないし、貴重な時間が奪われる位なら私が変なオバサンだと思われて結構です。そしたら一瞬ね、隣の変オジが怯んだのが横目に見えたんです。


 ただね、ここまではたまたま声が出たオバサンに見えるんですよね。これではスパイスが足りないと思ってね、私バッグからおもむろにエコバッグを取り出してね、そのミシン目を数え始めてやったんですよ。変オジを越える変オバに私はなる!!なんつってね。チラチラこっち見てる変オジ。カフェでエコバッグのミシン目数えてる奴に会ったことありますか?ないよね?怖いよね?隣に座りたくないよね?


 そう、しばらくすると変オジはコーヒーを持ってスっと立ち上がってね、2Fへ行きました。勝ちました。私、勝ったんです。貴重な時間にちょっかい出てきたパッと出の変オジから死守しました!!


 エコバッグにミシン目付けた人ありがとうですよ。こんな単純な方法でね、変な奴を撃退できますよって話です。皆も変な奴が来たらね、それを越える変な奴になるといいよ。エコバッグ持ってるよね?まずはそのミシン目からいこ。女だからって舐めてる奴いるからね、舐めんなよって話。長くてごめんね。終