続々・colabo問題について・雑感

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「「Colaboは性暴力被害者への支援活動などほとんど行っていない」という基本的な事実関係について書きました。ほぼ全てのメディアがColaboのことを「性暴力被害者の支援団体」と報じてますが、あれは誤報です。はっきり断言できます。


 当たり前の話なんですが、性暴力被害者支援って警察との綿密な連携が求められるんですよ。ワンストップ支援センターはじめ"本物"の性暴力被害者支援は常に警察や医療と連携を取って支援のコーディネートをしてる。でもColaboをはじめWBPC系団体って警察との連携がゼロに近いんですよね。警察との連携実績は令和3年度だとColaboが6回。若草が2回。BONDが5回のみ。3団体の相談人数は平均して3000人超えてますから、相談者の1/1000程度しか警察と連携するような性犯罪被害にはあってない。


 これで「性暴力被害者の支援団体」を名乗ってるのがColaboとその周辺で、自称が実態と乖離してる。言うまでもないですが、こうした詐称によって最大の迷惑を被るのが性暴力被害にあった当事者です。支援者ではないものが支援者の振りしてたら本当につながるべき支援と繋がれなくなってしまう。あらゆる意味で害しかないことやってんなと思います。」(狂人氏のnote)

「Colabo問題、正しくは厚労省の子ども・子育て困難な問題を抱える女性への支援、または男女共同参画事業。私は令和の同和事業だと思います。同和行政の負の部分だけを引き継いだと言っても過言ではありません。恐ろしいことに役人は住民のお金を預かっているという意識が皆無ですよ。
私ども津市相生町自治会長事件の取材に関わったのですが、当の自治会長である田邊哲司氏はこんな話をしていました。

「津市に同和対策室があった時代は担当課長の机には札束が入っていて、トラブルが起きるといくらか包んで持っていく」

 こうした現象は他の自治体でも聞きました。ただ今のご時世、さすがにこのような露骨なマネはできません。そこで市役所は一般対策として補助金制度を作って分配しています。通常「隠れ同和対策」と呼ばれています。


 これは本件と構造が似ています。役所の補助金制度など一般人は知る由もありません。長ったらしい行政文書や内規、要綱を読むほど暇ではないから。だから職員が「特定市民」「特定団体」にレクチャーした上で支給するのです。若年女性支援事業もその可能性が大と思います。だって30歳そこそこの女性活動家が各種制度を理解できるはずがない。役所の暗部が詰まったのが「若年女性支援事業」ということです。これを暴くのは今が最大のチャンス。」(三品純氏のnote)


 お伝えしてきていたcolabo問題、そこに端を発する「困難女性支援法案」などまで含めて、単にネット上、Twitterを中心としたSNSなどの一部で問題化されていた段階から、年明け、いくつかのネットメディアがとりあげ始めたあと、紙媒体のマスメディア、週刊誌や一部の新聞、産経新聞が記事にするようになり、さらには月刊誌の「正論」が、いま発売中の号で、このcolabo問題を割と早くから問題視して都庁以下行政に対していろいろ働きかけてきた都議会議員川松真一朗さんと川崎市議会議員の浅野文直さんの署名記事を掲載しています。

 また、国会でも、参議院本会議で維新の政調会長音喜多駿さんが、colaboと若年被害女性等支援事業に関する懸念を質問、閣議決定の上、岸田総理に直接答弁を求めました。共産党から「品がない」その他のヤジが飛んだのはお約束というか、シッポ丸出しで笑いましたが、総理の答弁は、以前、日本テレビのBS番組で加藤厚労相が質問に答えたのと基本的に同じ、「適切に運営されていると承知している」「2月末に東京都が再調査するので、その結果等踏まえて対応する」の2点、まあ、霞ヶ関や永田町的には現状、こう答えるのが当然でしょう。要は、今のところは東京都とcolaboの間の問題であり、監査委員会が会計その他について再度の調査を要求してその締切りが2月末なのだから、国はそれを注視している、というわけです。

 まあ、音喜多さんはcolaboとは早くから親密な関係だったことがすでに周知されていて、2018年段階で東京都のモデル事業になって会計処理があれこれ指導されるようになったのにcolabo代表の仁藤さんがブチ切れ、こんなめんどくさいことわたしたちにさせないで、と、音喜多さんその他に泣きついた形跡があり、その結果、何らかの圧力が都庁の現場にかかったらしいことも指摘されているくらいですから、自分が延焼することも含めてのある種の火消し役、一連の事態の落とし所を公的に示してゆく役回りだったとみていいでしょう。それが証拠に、今回の質問でもcolaboだけにきれいに絞って、それ以外のWPBCのそれ以外、若草BONDぱっぷすには一切触れない形になっていたあたり、語るに落ちるところです。それほどまで元厚労省事務次官であった村木厚子さんとその界隈については、何があってもアンタッチャブルな聖域にしておきたい、という何らかの方面の意志の反映なのでしょう。

 このようにいくらか表沙汰にもなり、世間一般の眼や耳にも知られるようになってきたわけですが、それでも、大手の新聞のほとんど、そしてテレビなどは未だに正面から取り上げることはないまま、来年4月の「困難女性支援法」本格施行に向けての準備年が具体的に始まるこの4月まで、とにかく時間稼ぎしながら、予定通りの下準備を粛々と進める現状を黙って後押しするようになっています。

 一方で、Twitterその他SNSだけでなく、近年浸透した動画系のコンテンツを使った情報の拡散は一気に拡がっていて、火付け役とった暇空氏となる氏のコンビ以下、多くの匿名の有志がそれぞれの関心で「しらべもの」を続けていて、それに伴い、単なるcolaboだけではない大きな問題の根の深さが少しずつあらわになってきています。このあたり、まさに集合知、その他おおぜいの知恵を集約してゆける双方向のネット環境SNSの強みが発揮されているところでもあると思うので、みなさんもそれぞれアクセスしていただければと思いますが、と同時に、単なる興味本位、注目を集めることのできるコンテンツとしてcolabo問題を取り上げる向きも増えていて、単なるコピー&ペーストの切り貼りに始まり、真偽不明の情報から憶測以上のまさに陰謀論の類まで含めて、まさに玉石混淆、このあたりも含めていまどきの情報環境に接する際のリテラシーもまた強く求められていることを改めて痛感します。

 暇空さん以下、匿名有志らがそれぞれ東京都や関連行政などいわゆるお役所に、文書の開示請求をかけてきて、それに対して一部の情報を隠して開示してくることも含めて、そのやりとりもまた今回の騒動で眼につくようになっています。

 情報開示の透明化という趣旨と、個人情報保護といった趣旨とがバッテングする局面で、書類を開示しながら一部黒塗りにして出してくる、「のり弁」などと揶揄されていますが、それだけでなく、一定の手続きに従って記録され保管されているはずの文書書類が、割と手軽に書き換えられていたり、あるいは削除されてなかったことになっていたり、といった事態が、小さなレベルから割と看過できないレベルまで含めて、一連の「しらべもの」の過程で見えてきています。Colaboその他WBPCの会計関連書類の記載のいい加減さは、それをそのまま確かめることもなく受理しているとしか見えない東京都以下、お役所仕事のずさんさとセットになっているはずで、このあたりの手続きのいい加減さがわれわれの不信感を増幅することになり、また同時に、どうしてこれら一部の団体、一部の人たちにだけそのような優遇が、はっきり言って「ズル」が許されているのか、という根深い不公平感の源泉にもなっています。

 前回触れたように、このcolabo以下の諸団体から、「困難女性支援法案」に至る大きな動きが、かつての部落解放運動、同和運動が新たな形で再生されているように見えるという意味で「ネオ同和」と呼ばれるようになっているのも一理あります。たとえば、三品純さんという、これまでも解放運動に対する真摯な批判をされてきている方が、ネット上で、このようなことを言っています。

「Colabo問題、正しくは厚労省の子ども・子育て困難な問題を抱える女性への支援、または男女共同参画事業。私は令和の同和事業だと思います。同和行政の負の部分だけを引き継いだと言っても過言ではありません。恐ろしいことに役人は住民のお金を預かっているという意識が皆無ですよ。役所の補助金制度など一般人は知る由もありません。長ったらしい行政文書や内規、要綱を読むほど暇ではないから。だから職員が「特定市民」「特定団体」にレクチャーした上で支給するのです。(…)若年女性支援事業もその可能性が大と思います。だって30歳そこそこの女性活動家が各種制度を理解できるはずがない。役所の暗部が詰まったのが「若年女性支援事業」ということです。」

 Colaboが居場所のない若い女の子たちの相談窓口、駆け込み寺的な意味で東京は新宿歌舞伎町に設置しているピンク色に塗ったバスがあるのですが、最近ではこのピンクバスの写真を撮っただけで、用心棒のようないかつい一団が威嚇してきたり、場合によっては実際にトラブルになったりもしていて、またそれらの中にはcolaboの弁護団の弁護士まで混じっているようで、このへん、あの沖縄の辺野古の暴力的な座り込みやデモなどと同じじゃないか、かつての解放運動の「糾弾会」や数と暴力に任せた「抗議活動」などとどこが違うんだ、という声も出ています。

 どうしてこのようなことになっているのか。いや、これは手続きとしては何も問題ない、法的にも触れるようなところはない、だって文書や書類はそのように記載されているのだから、といった「説明」がされて不信感や疑問は受け皿のないまま、事態だけが進んでゆく――実際、colaboを擁護する人がたはそのような理屈を振りかざしてるようですし、共産党の機関紙「赤旗」などは、先の音喜多議員の国会質問に対して、「維新が女性支援活動を攻撃」「colaboに関して見過ごせないデマ、誹謗中傷などが拡散されている」「女性支援活動の妨害は許されない」と堂々と紙面で主張し、逆に関係省庁を呼びつけて「認識を質す」という形での圧力までかけていました。会計処理がずさんかもしれない、という最初の疑問、文書書類を確かめたらそうとしか見えない、その謎から発した一般人からの文書公開請求だったのに、それに直接具体的に答えることもせず「デマだ、誹謗中傷だ」「女性差別だ」「ヘイトだ」とだけ一方的に騒ぎたてるこの手口、何かうしろめたいことのある時のこういう人がたの常套手段なのでしょうが、またこれら「女性差別だ」という大文字の言い方に、うっかり考えなしに反応してしまう人がたもまだまだ多くいるようです。

 問題は常に個別具体、個々のつぶさな言葉によって、まずやりとりすべきもの。どんなに口あたりよく、耳ざわりのよさげなものであっても、無駄に抽象的で日々の実感からかけ離れた大文字の大きなもの言いにいきなり直結してしまわないこと。このような、ためにする言いがかりに対しては、Twitterでのある匿名の御仁の、この発言で充分でしょう。

「結構、勘違いしてる女性もいるけど、今問題になってるのは、ラディカルフェミニズムの女性を盾にして人権問題や福祉問題の予算を要求し、それを自分達の思想のために、被害女性を救う名目の予算を使って、韓国の慰安婦詐欺団体などへ活動資金を寄付し、反日を煽り、北朝鮮のスパイとも繋がってること。」

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 いずれにせよ、そのような意味で、本来、お役所仕事に限らず、組織にとっての文書書類という「記録」がどのように扱われるようになっているのか、という問題もまた、この一連のcolaboをめぐる騒動で改めて注目されるようになっているところがあります。

 文書や書類、それらの 「記録」されたものが適切に保管され、必要ならば参照し再確認できるような状態に維持されること、それらが一定の規則と規律のもとに適切に扱われているべきこと――これがわれわれの社会を制御し、適切に動かしてゆくための基本的な手続きであり作法であるはずでした。それは公的セクターに直接関わるお役所のみならず、会社であれ何であれ、それこそ町内会などに至るまで、社会的な活動に携わる組織や集団にとって守るべき約束ごとである、という認識が、もしかしたら昨今、最もそれらを厳しく遵守しているはずのお役所の人たちの認識からでさえ、割となしくずしに蒸発しつつあるのかも知れない、colaboをめぐって露わになってきた文書記録の扱われ方は、そう考えざるを得ないようなずさんさです。

 いわゆるデジタル化、パソコンを使って文書仕事をするようになってきたこと、も影響しているのでしょう。紙の文書書類に手を加えるよりも、デジタル化されたデータを改竄したり削除するのは手間がかからず、簡単ではあります。文書そのものをなかったことにする削除もですが、一部の数字や日付を書き換えることなど、ほんとにたやすく、その分、作業をしている間の心の葛藤や躊躇をせず、気軽にできるようになっている。とりあえずざっと作って出しておいて、あとで書き込んだり手を加えればいいや、といった悪い意味での気楽さも含めて、このようなデジタル化による「便利」や「簡便さ」「合理化」の進展は、同時に、少し前まであたりまえのはずだった記録文書と手続きの関係を、それを扱う人がたの意識や感覚も含めて、変えてきているようにも思えます。このへん、「デジタル庁」といったお役所の役回りとも関わってきますが、それはまた別の機会に譲ります。

 もうひとつ、「記録」する/されていることと、それを誰がどのような立場と目的とで記録しているのか、ということの間が切り離されるようになっていることもあります。

 たとえば、監視カメラというのがあります。昨今、どこにでも設置されるようになっていて、街角や駅前、銀行のATMやコンビニの店内は言わずもがな、ドライブレコーダーなんてのもクルマに安く積めるようになっていて、日常生活四六時中、そのような「記録」映像の死角がどんどん少なくなっていますが、でもあれ、「誰が」「何のため」に記録しているのか、記録された映像にデジタルでタイムコードはついてるでしょうし、記録した機器の特定もできるでしょうが、ならばその映像記録自体どこの誰が責任を持ってある目的と共に記録したものか、という部分は、紙の文書記録の約束ごととは少し違ってきているように思えます。言わば主体なき記録、「誰が」と一義的に紐付いていない記録が日常的に、気づかない間に蓄積されているらしい。つまり、記録 が 主体 との関係で必ず紐付けられているべきもの、という認識自体、昨今の情報環境の変貌によって、「どこか」で「誰」が「何のために」か不透明なまま、「自動的に」何らかの「記録 が行われているもの、という認識が鈍く一般化してきているようです。 

 社会とは、われわれが日々生きているこの現実とは、少なくとも文明の位相においては、何らかの「記録」とそれらを一定の約束ごとの上に維持、管理し運用する仕組みを前提に成り立つものである、という認識がありました。なのに、どうやら昨今では、 主体なき「記録」、少なくともこれまでのように記録する者と記録されたものとが紐付けられて初めて「使える」ものとして存在する、というあたりまえから外れた「記録」のありようが、すでに静かに淡々とあたりまえに存在し続けるようになっているらしい。

 意識しないから「そういうもの」としてそれ以上意識的に自覚的に関わることも薄くなります。それこそ、かつての録画ビデオの集積のように、録画=記録されているということだけに安心して、それらを再度観る、反復して関わるということを忘れてゆく、物理的にできなくなることも含めて、にも似ています。文書書類といった紙媒体の「記録」ベースに蓄積されてきていたわれわれの社会、共有する現実を維持し、メンテナンスしてゆくためのあたりまえの手続きを、もう一度あたりまえの正気に引き戻すこと、それは記録されたものだけでなく、われわれの日々使うことば自体から個別具体の水準にとりもどすことでもあります。

 「寄り添う」だの「伴走型支援」だの、困難女性支援法案に至る過程で、それらを策定していった人がたや会議の場などで繰り返し出てくるキーワードは、常にそのようなふわふわした、個別具体の伴わない、でもその分耳ざわりのいい「誰もが正面から反対できない程度の正しさ」をまつわらせたものばかりでした。それは、先廻りして言っておけば、ネズミ講ネットワークビジネス、マルチ商売などの現場で勧誘員が使い回すことばやもの言いと、基本的に同じようなものに自分には見えます。そういうネズミ講的、ネットワークビジネス的な言語空間がお役所や政治家などを含めて、大きな拡がりをもって構築されてきていて、それを前提に「困難女性支援法」以下、福祉やエコ、弱者支援などを「正義」に掲げた「ネオ同和」のたてつけはすでに根を張り始めているらしい。このあたりのことはまた改めて、考えてみたい別の大きな問いに連なっているようです。

 ともあれ、未だに今後どこまで拡がってゆくのか先行きも見えないほど大きな闇、「戦後」パラダイムの本当の意味の総決算にもつながりそうな、このcolaboに端を発した一連の問題群ですが、今月末には東京都の再調査結果も出るでしょうし、それにあわせて国会議員の杉田水脈さんなどもまた改めて、この問題をさらに大きな枠組みで追及するという話も出てきているようですので、統一地方選挙のスケジュールもにらみながら、大きな政治的イシューにつながってゆく可能性があると思いますので、われわれ世間一般その他おおぜいもまた、いまどきの情報環境における「良き観客」として注視を続けておかねばならないと思います。

*1:ch桜北海道の配信番組のためのレジュメ。

続・colabo問題について・雑感

「思った以上に抱樸(奥田知志理事長)や村木厚子氏に関連する団体が多いことに驚いたし、奥田氏と村木氏がWPBC、生協関連、住宅支援関連団体、一部地域の社会福祉協議会中央共同募金会の「ハブ的」な役割をを担っているのではないかと推察する。」(暇空氏のtweet)


 前回、年明け配信のこの番組でもお伝えした、昨年来、主にインターネット上、Twitterなどを足場に大きな問題になっているcolabo関連の公的資金をめぐる疑惑ですが、年が明けてもその疑惑はおさまるどころか、さらに裾野が大きく根深いものであることが、次から次へと明らかになってきています。*1

 相変わらず表の既存のマスメディア、は、ほとんど黙殺を続けていますが、一部の週刊誌がネット上のサイトで言及を始めたり、また一般の中波ラジオでも話題にしたり、あるいは、地上波の日本テレビが、衛星放送ではありますが、加藤厚生労働大臣を招いた番組の中ではっきり言及して質問したり、と、少しずつ問題が世の中に知られつつあります。

 何より、これは前回ご紹介したように、ここ10年ほどの間に浸透した、インターネットへの24時間接続環境とスマートフォンの普及など、情報環境の大きな変化のもたらした効果だと思いますが、ネット上で問題化していることをさらにそれぞれの見方や立場で「まとめる」、そういう発言を発信するサイトやプラットフォームが想像以上に多くなっていて、それらの中には、現役のジャーナリストや政治評論家、さらには地方も含めた議員さんがたなども、それぞれ独自に動いて発信したりといったことも含まれており、これらはみなさんもすでにアクセスしてご覧になっている方も多いと思います。

 いずれにせよ、ひとつのできごとの二次流通、三次流通の裾野がものすごく広くなっていることが、今回のこのcolabo関連の問題が、これまでのように単に「一部のネット上での騒ぎ」とだけ片づけて表のメディアで黙殺しておけばそのうち鎮静して忘れられてしまう、そんなものでもなくなりつつあることが同時に明らかになりつつあると思います。

 暇空茜さんとなるさんのコンビが火付け役というか、もともとの告発をして訴訟にしているわけですが、彼らはcolabo問題からその背後にある3団体、若草、BOND、ぱっぷすという同じく女性問題に関連した一般社団法人やNPOですが、これらが複合して東京都その他から公的資金を効率的に自分たちの組織に流すようになっていた、その構造を問題にして、そこから派生的に明らかになってきている問題、たとえば小野寺さんがch桜その他でやっている赤い羽根共同募金との関連や、あるいは生活協同組合(生協)との関わり、女性保護施設の取得などに関わる国土交通省につながる関わりから、奨学金などで便宜を図ってもらうための文部科学省との関係、さらには農水省の農福プロジェクト、などなど、単に東京都と厚労省だけに限らず、地方自治体から中央官庁霞ヶ関までをカバーする大きなある種のシステムが構築されてきているらしいことまでが、世間一般その他おおぜいのわれわれの眼にまで何となく見えてきてしまった、そういう意味で、古い言い方をすれば「一大疑獄」的な問題になってきているところがあります。

 暇空氏は、自分はcolaboとそこに直接つながる若草ら3団体と、それら全部に見え隠れしている元厚労相事務次官村木厚子という御仁に関わるところだけに注力する、他のあれこれ見えてきた部分はやりたい有志にまかせる、という主旨のことを言っていますから、colabo関連以外の大きな構図については、それぞれ問題意識と関心のある向きが各自で掘ってゆこうとし始めているような状況です。それらを、良き観客としてのわれわれが注視しながら、それぞれの認識を新たにしているというわけです。事件は会議室や現場だけでなく、いまやそれらと連携してネット上でさらにわかりやすく起こっているわけです。

 Colaboとその背後の3団体、4つまとめて頭文字をとってWPBCと暇空氏は呼んでいますが、ここに関わる限りでも、韓国の挺体協、最近は「正義連」というんですか、例の慰安婦問題での賠償金の受け皿となっていた団体ですが、これら反日的な運動を行ってきた団体との政治的な連携が明らかになってきていますし、そこにキリスト教の一部会派がからんでいたり、さらには北朝鮮との関係などまで垣間見えてきて、韓国国内ではすでに横領などであげられ始めています。いずれにせよわれわれこの日本の国内で、そのような背景が疑われるような隠しようもなく政治的な運動団体として動いていたこと、そこに公的資金が不自然に不公平に投入され続けていたらしいこと、などはこれ自体、大きな問題なのは言うまでもありません。


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 で、それらの大きな拡がりを見せつつあるcolaboをめぐる問題ですが、今日はcolabo問題から派生して改めて見えてきた法律、実はこっちもかなり大事な問題だと思っている、この4月から施行されることがすでに決定されている「困難な問題を抱える女性に対する支援法」について触れておきたいと思います。これがどれくらいあやうい内容なのか、colabo問題でもわかるように、はっきり言ってすでに既得権益化している「女性」「フェミニズム」利権をさらに拡大して法律で固定化するものなのか、またこれは、内閣府の外局として同じくこの4月から新たに発足する「子ども家庭庁」とも関わってくることなのですが、Twitter上でそれぞれしらべものをして、わかった範囲でわかりやすく説明してくれているHenryさんや狸穴猫さん、チョックリーさんなどの、例によって匿名アカウントの有志たちのtweetを手助けに、ざっと見ておきたいと思います。

 この「困難を抱える女性への支援に関する法律」は厚労省の管轄です。長いので「困難女性支援法」と呼んでおきます。一方、新たに発足するこども家庭庁は内閣府の外局です。

 colaboは、「若年被害女性等保護支援事業」という枠組みの「モデル事業」として、東京都から委託されている団体です。2018年から委託が始まり、厚労省から東京都を介して公的資金が投入されていて、で、その使い途や会計処理がずさんじゃないの?ということが、今回のcolabo問題の発端でした。

 この若年女性保護支援事業というのは、もともとさらに大きな枠組み、「困難な問題を抱える女性の支援に関する法律」を実際に施行してゆく過程での、言わばお試し事業みたいなもので、これらのお試しをもとに、全国の自治体にこのような枠組みを広げて展開してゆく、そのための法律が「困難女性支援法」と理解していいと思います。

 「困難を抱える女性」という言い方がわかりにくいのですが、これはもともと、売春防止法の中の「婦人保護事業」の「保護更生」の見直しから始まっています。政治評論家の須田慎一郎さんがご自分のチャンネルで断言していましたが、立憲民主党の女性議員が中心になって動いた議員立法だそうです。これに共産党その他の野党が相乗りして、自民党も賛成して可決され、通された法案になります。

「婦人保護事業は、昭和31年に制定された売春防止法に基づき、売春を行うおそれのある女子を保護する事業として発足しました。その後、支援ニーズの多様化に伴い、家庭関係の破綻や生活困窮等の問題を抱える女性に事業対象を拡大してきました。また、平成13年からはDV被害者、平成16年からは人身取引被害者、平成25年からはストーカー被害者が、それぞれ事業対象として明確化され、現に支援や保護を必要とする女性の支援に大きな役割を果たすようになりました。」(厚労省の資料から)

 「補導処分」を廃止、「保護更生」を民間団体に委ねて、そこに援助を入れるという構図のようです。つまり、売春防止法の中の「保護更生」を現状に併せて拡大、修正して、その担い手を「官から民へ」ということに成ります。ただ、お試しの東京都などだけでなく、全国にこのやり方を雛型にした法律を作るには、colabo的な民間団体を全国に広げなければ成り立たない。NPOや一般社団法人とか、まあ、そういう民間のボランティアないしはそれに準じた働きをする団体です。

厚労省子ども家庭局(子ども家庭庁に移管予定)モデル事業の例
BOND(以下、東京)
Colabo
ライトハウス
BOND(神奈川)
そだちの樹(福岡)

 これに加えて、モデル事業から正式に稼動を予定する段階で、札幌が加わっていて、さっぽろ青少年女性活動協会、という団体が新たにcolaboや若草と並んで、支援事業に新規参入しています。これはこのために新たに立ち上げたというより、もともとあった青少年婦人活動協会、のちに青少年女性活動協会と名前を変えた公益財団法人のようですが、滝野の運動公園や男女共同参画センターなどの指定管理業務請け負っている団体で、札幌にはcolaboにあたるような民間団体がなかったのか、既存のこの団体を受け皿にしたものと思われます。

https://www.syaa.jp/recruit/

 これらの大きな動きのキーマンというかキーウーマンとされている村木厚子さんは厚労省時代には「生活困窮者自立支援法」を成立させた実績があり、その次にこの「困難女性支援法」に手をつけたということのようです。その過程で、それまで家出その他で居場所のない女子中高生に対する支援をやっていたcolaboと接触、信頼できる民間団体として引き立てるようになったらしい。役所の仕事としては限界がある、だから民間で手弁当でボランティアでやってきた団体が、問題の当事者の声を現場で訊いているのだから間違いない、それらの経験を活用する――ざっとこういう理路で、民間団体との協業が言わば正義になっていったようです。

<こども政策基本方針>
アウトリーチ
・切れ目ない包括的支援
・困難な状況にある子供支援
NPO等と連携
男女共同参画
・連帯
・伴走型支援

「今話題の『困難女性支援法』は厚生労働省だけど、『こども家庭庁』は内閣官房だから大丈夫やろ思ってたら、こども家庭庁に移管された厚生労働省の子ども家庭局の元局長が、暇空さんが今まさに深掘りしてる若草プロジェクトの村木厚子氏で心の底から驚いている。」

「こども家庭センターは2016年の児童福祉法の法改正によって厚労省が進めた施策なのね。※村木氏が厚労省事務次官だった頃」

 『女性相談支援センター』と『こども家庭センター』が全ての市区町村に設置されることになります。そして女性支援法の有識者会議で関連組織間で相互に連携しろ、とも要求している。これらの有識者会議に、colabo以下、既存の団体の関係者がたくさん名を連ねていて、自分たちに都合のいいような要求を並べているわけです。



 〈おんな・こども〉というくくり方は、少し前まであたりまえにありました。今は差別だと言われるのかもしれませんが、でもそれは、社会的に責任ある立場に置かれたおとなのオトコが身体を張って守らねばならない存在としての言い方でした。「家庭」にあって直接社会のさまざまな荒波なり関係なりに直面しないですむよう庇護する、まもる、そういう存在をひとまとめに〈おんな・こども〉といってきた。必ずしもバカにしたおとしめた言い方でもなかったはずなのですが、ある時期からは差別だと言われるようになって最近は使われないもの言いになってしまいました。

 もちろんそれは一人前ではない、社会的存在としておとなのオトコと同等ではない、という約束ごとの上に成り立っていたわけで、その意味でもう時代遅れのものかもしれませんが、それでも、そのようなもの言いが生きて使われていたということは、良し悪し別に、われわれ日本の世間の裡に連綿としてそのような「守られるべき存在」「リクツでなく立場の弱い者で社会的に一人前ではないから庇護されるべきもの」としての〈おんな・こども〉というのはあってきたと思います。

 わが国のフェミニズムの運動は、そのような意味での、社会的に保護されるべきという属性の〈おんな・こども〉の存在を否定してきた。ひとりの個人として、一人前としておとなのオトコと等しく扱うべきだ、と主張し、事実そのように世間の側も戦後このかた「そういうものらしい」ということで、それをある程度までよしとしてきた。児童福祉法売春防止法、そして男女共同参画法などもそのような意味で〈おんな・こども〉を社会的に個人として、一人前として扱うための法律的なたてつけを決めてきた、そういうこれまでがすでにあります。それはそれで評価すべきですし、また、時代の流れというのもそのようなものだったと言えるでしょう。

 ただ、ここにきてcolabo問題をきっかけに見えてきた風景は、保護すべき〈おんな・こども〉を、ひとりの個人として社会的存在として扱うという前提で、あらかじめ囲い込んで、それをダシに公的資金をある方向、ある場所に集中的に流してゆく、そのような仕組みになってきているようにも見えます。言わば、本来の意味で「自立」させないまま、そうと気づかないままに生きながら公的資金を吸い上げるための素材にさせられている。「弱者」ビジネス、貧困ビジネスなどと言われるのも、そのような「弱者」の地位に固定しておくような仕組みになっていないか、という疑問からでしょう。

 これは、〈おんな・こども〉を喰いものにする、それもこの先ずっとそのように収奪して自立させないようにしてゆくからくりと言っていいでしょう。

 近年、〈おんな・こども〉を一括した「女の子」という言い方が特に強力なもの言いになっています。30代40代の女性までもが「女の子」という自称を平然と使うようになっているのは、そういう意味で、〈おんな・こども〉がそれら公的資金の捕捉対象になってきている時代の流れを敏感に反映したところがあるのかもしれません。

 大文字のきれいごと、誰もが何となく反対しにくいもの言い、そんなものにはまず立ち止まって「ほんとかな?」「それって、どういう目的でどう使われてる言葉なんだろう」と思うようにすること。それがおそらく、このような気づかぬ間に大きな法の網がかけられて、「あたらしい公共」として再編されてゆきつつあるらしい事態に、それぞれの生活の場で流されぬように足場を作ってゆくための、ささやかながら大事な心がけなのだと思います。

「たかだか2600万円の東京都の事業とかフェミだとかアンフェとかそんな矮小化した話ではなくて、困難女性支援法は『客観的事実として日本を腐敗させられる法律』なのよ。だからロシアとウクライナの戦争みたいなものって(暇空氏の)表現はあながち過剰ではないし、放置はできないなと思ってる。」

「『与党関係ねぇだろ』って反応を見るに、与党も含めて可決した困難女性支援法の話はあまり知られてないのねぇ。東京都の2600万円の事業なんて誤差みたいなもので、その1000倍もの公金が困難女性支援法の施行後には使われるようになるのよ。」

「記者『岸田首相は異次元の少子化対策に挑戦するとして、こども家庭庁発足まで議論の開始を待つことなく 子ども政策の強化について取りまとめるよう指示する と述べたが?』
大臣『少子化対策ではなくこども対策』
本音出てもうてるやん。
やはりこども家庭庁は弱者支援ってことですか。」

発達障害者も増えたし、トランスジェンダーも増えたし、貧困世帯も増えた。チー牛も増えたし困難女性も増えた。
名前を付けると見えるようになるのよね。ただそれとは別にポリコレカードバトルが流行ってるせいもあるだろうなって。
人類みな何かの社会的弱者。」

「Colaboが推してる通称・女性支援法を調べてみたけど、凄いねこれ。
解釈(こじつけ)次第で自分たちにいくらでも予算が引っ張れるようになっている。


・困ってる/困りそうな女性をずっと支援しろ
・その際はNPO等を活用しろ
・必要なら生活に関することは全てやれ
・やらないと罰則


・既存の仕組みでは不十分
NPO等の活用ニーズが高い
・もっとNPOの事業やシェルターが必要

法整備によって新規参入の団体が増えて競争が働くはずなんだけど、恐らく排除する動きがあるだろうな、って思ったら既にあって心底驚いている。


・新規参入可否は既存団体が決める
・新規参入業者は既存団体が教育する
自治体はNPOを支援しろ
自治体の費用は国が出す


他の条項も見てみたけど…これはさすがに陰謀論とか揶揄できない。


・女性支援センターを設けろ
・女性相談支援員を雇用しろ
・そしてNPOと連携しろ
・その他必要な支援はNPO等に委託し自由に活動させろ
・これは全ての都道府県と市町村の義務
・その費用は国家予算から出せ
・既存のNPOメンバー等で構成される支援調整会議を設置せよ
・女性支援の内容はここで決める
・その内容は秘密


NPONPOによるNPOのための法律です。


自治体はNPO等の宣伝をしなければならない
・その他各種事業を増やさなければならない
・費用は全額公金で負担しなければならない
・タレコミは罰則


これらを全国の都道府県と市区町村に設置を義務化しているので、


都道府県:47
市区町村:1718


1765箇所にそれぞれ5000万の事業としても883億円。
これだけの金が件のNPO等に流れ込んでいく。
お見事だわ。これらの義務に基づき全て事業化・予算要求されてる。


【総額52億円/年】
・相談員の雇用費
・相談員の研修費
・施設の運営費
・女性限定生活保護


まだごく一部の自治体で52億なので今後拡大見込み。
上でコメントした義務に基づき全て事業化・予算要求されてる。

ここまでの話を纏めると、


✅年間数百億円の予算が全て既存の少数のNPOや一般社団法人へ事業委託という形で流れ込んでいく
✅その事業内容はその委託先である既存の少数のNPOや一般社団法人から成る組織体で決められる
✅新規参入はしづらい仕組みになっている
✅法律で裏付けされてるので止まらない

Q.悪意を以てこの状況を利用すると?


A.保護女性経済圏が作れる。
助成金で保護施設や保護事業を運営し、
助成金で保護女性を雇用/研修して、
助成金で衣食住を提供し、
助成金で各種生活サービスを提供する。


この経済圏を既存団体が取り纏め、その過程で発生する利潤を吸い上げられる。
法律に紐づく政令・省令・告示がどうなるか、という話もありますが、既にいつものメンバーで案は議論されている。

その中でも「女性自立支援施設」が凄い。女性専用のホテルみたいだ。
特にこれだけの設備を持つ施設を新たに建設するためには用地取得とセットで考える必要があって、NPOや一般社団法人が誰かから土地を買わないといけない。誰にでも噛みつく上に会計処理がずさんな団体によって善意で適切に制度が運用されるとは信じられない。

*1:ch桜北海道での配信番組のためのレジュメ。

colabo問題について・雑感

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 Colaboという団体があります。一般社団法人だそうですが、この一般社団法人というたてつけが曲者でもあり、何だか善意で何か世のため人のためにいいことを行うボランティア団体、のように漠然とイメージしてしまいますが、そう考えていると、まず足もとをすくわれます。このへんはあとでもう少し触れます。

 何をしている団体か。まあ、いわゆるフェミニズム系の団体で、街なかで深夜遅く徘徊し、家に帰らない、あるいは帰る場所もないまま、場合によっては売春などに手を出すような行き場のない若い女の子たちを保護し、支援するのを目的としたグループではあります。その限りでは、目的はまあ、いいことであり、必要なことでもあると言える。

 代表は、仁藤夢乃さんという若い女性で、フェミニズム関連でこれまでもさまざまな活動を行ってきた、その意味では有名な運動家です。

 で、このcolaboの会計報告に、公開されているデータをシロウトが見ても疑問な点があるので、ある普通の人、それこそなんでもない一般市民が、住民監査請求の手続きを使って、東京都に調べてみてほしいと請求した。そうしたら、そのcolaboという団体は、いきなり弁護団の弁護士7人と共に、なんとわざわざ衆議員会館で記者会見を開き、根拠のあいまいなデマでcolaboを誹謗中傷しているこの人は許せないから名誉毀損で訴訟する、と、その監査請求をした一般市民個人に対して、いきなり恫喝に等しい対応をしてきました。ことが大きくなった発端はひとまずここからでした。

 普通の人ならいきなりそんな弁護団を従えて、訴訟する、と言われたら、怖くなって腰が引けるでしょうし、またそれをあてこんでそんな対応をしたのでしょうが、この住民監査請求をした普通の人、Twitter上では暇空茜さんというハンドルネームの御仁なのですが、一切怖じず臆せず、喧嘩上等と受けて立って、さらに都庁や関連各所に正当な手続きをとって、このcolaboという団体のまわりをいろいろ掘って、いわば普通の個人のできる範囲での「調査取材」、つまり「しらべもの」を始めました。

 そして、その成果を差し障りのない限り、随時Twitterその他ネット上に公開し、その他おおぜい他の人の眼に触れてもらって、果して何が起こっているのか、訴えるぞと言われている自分のやっていることが間違っているのかどうか判断してもらうという戦い方を始めた。そうしたら、その他おおぜいの無名匿名の人たちが、寄ってたかってそれぞれで「しらべもの」、個人でできる調査取材を開始、その結果、単にこのcolaboだけでなく、その背後や周辺にどのような組織や団体がぶらさがり、政党や議員、宗教団体までもが関わって、公的資金を効率的に自分達の利益になるよう流してゆく仕組みがあるらしい、ということまで明らかになってきたので、事態は一気に大炎上、それがまあ、ざっとここひと月半、11月の半ばのその記者会見からこっち、Twitterその他ネットを舞台として起こっている事態です。

 一般人が一般社団法人に対して住民監査請求をすることは許されない、オンブズマンとかならいざ知らず――弁護団の弁護士のおひとりが、奇しくもそういう趣旨の発言までされていました。オンブズマンは概ね共産党が介在している行政の監視団体みたいなものですが、タックスペイヤーとしての市民の権利として認められている住民監査請求という手続きを、このような党派的な意識をタテに抑制させるような言い方をする弁護士は、果して、いかがなものでしょう。

 何より不思議なのは、新聞やテレビなど既存のマスメディアがこの件、未だほとんど正面からとりあげず黙殺していることです。森友学園加計学園の件で、「モリカケ」とひとくくりに言われたように、あれだけ疑惑をかけられた側が説明するべきだ、領収書を出せ、などと執拗に長い間攻撃し続けていた野党・反政府界隈も、見事なまでにスルーしているどころか、共産党などは男女共同参画関連の助成金補助金を統括する内閣府にわざわざ質問して、根拠のあやしいデマで民間の団体の活動を萎縮させるのはいけない、という一般論を、あたかも今回のこのcolaboに関わる個別事案をさすかのように赤旗で報じたり、TwitterなどSNS上でも共産党員を名乗る若手の議員や落選中候補などが寄ってたかって、colabo擁護の論陣を張ったり、もうシッポを隠すどころか、政治的な背景ありきの色濃い団体であることのタテマエすら守らないなりふり構わなさで、かえってそれほどまでにこの公的資金を吸い上げる仕組みと、一部勢力の癒着が強いことを印象づけてくれています。まあ、少し前までのインターネットが特別なものだった頃ならいざ入らず、今や誰もが普通にアクセスできるようになっているネット環境上で、すでにこれだけ騒ぎになっていても、表のメディアがほとんど黙殺しているということ自体、よっぽど都合の悪い何かが裏に隠されている、陰謀論めきますが、さすがにそう思わざるを得ない事態になっています。

 現在進行中のできごとで、まだ事態は大きくなってゆきそうです。Colabo、仁藤夢乃、暇空茜、男女共同参画、などのワードで検索していただければ、いくらでも関連のアカウントの発言や、Twitterに限らず既存のブログ、noteなどを舞台にした「調査取材」「しらべもの」の成果はひっかかってきますし、さらには昨今また増えてきている「まとめサイト」的な、情報整理を行うニュースサイトを介してこの問題の全貌と進行中の事態をわかりやすくしてくれるネット上のプラットフォームも複数ありますので、お手もとのスマホやパソコンを介して、ぜひ試してみてください。これまでの既存のマスメディア、テレビや新聞などを介したニュース報道というのがどれくらい偏った、あらかじめ何らかの取捨選択をした結果した流していないものか、それがわかりやすく見える事案にもなっていますから。

 とは言え、お役所界隈はもとより、政治的にも見過ごせない事態であるのでしょう、まず直接関わりを持つ東京都庁に対して、都議会議員、殊に都議会与党の都民ファースト系の議員がすでに動いて、ある意味火消し的な立ち回りも含めて、あれこれ動き始めたようですが、一方では、それ以外の都議や、東京都以外の自治体でcolaboと連携しているところの地方議員や、一部の国会議員とその周辺でも、独自に動いて、この問題の根の深さをそれぞれあきらかにしようとし始めています。また、年明けの国会でこのcolaboの件について質問主意書が出されるという話も出てきていますので、おそらく早晩、表のマスメディアでも何らかの報道をせざるを得なくなってくるものと思われます。


●●
 ただ、事態は事態として、それとは別に、われわれ普通の世間一般その他おおぜいの立場として、引き出しておくべき教訓、学んでおくべき問いがあります。

 たとえば「女性」を「救済」するという目的を掲げて、これまでの男女共同参画関連の予算が、「困難を抱える女性への支援法案」といった形で、さらに網を広げて公的資金を投入してゆくような仕組みが着々と作られてきているらしいこと、それは政務次官を辞任させられた杉田水脈参院議員が数年前から指摘していたことでもあるのですが、その杉田議員への集中的な攻撃が一部マスコミや野党から行われて、政務官の辞任にまで追い込まれていることなど、この「女性」「男女共同参画」系の公的資金の行方とそれによって確立されてきているらしい「利権」のありようについて、世間に知られては都合の悪い勢力が、このcolaboをめぐる騒動で一気に可視化されてきたことがひとつ。

 そしてそれは、かつて被差別部落の解放運動が、高度成長の過程で「同和利権」とひそかにささやかれるほどに増長して本来の趣旨と違う利権化をしていった、そのしくみとある意味同じような形で、今日「女性」「男女共同参画」を掲げた「利権」構造が生み出されつつあることでもあるようです。一部では、すでに「ネオ同和」と呼び始めている向きもあるのですが、ただ、それは単に「女性」だけでなく「子ども」「弱者」「外国人」「マイノリティ」、北海道ならば「アイヌ」などもその位置に代入することで、新たな「利権」構造を構築できる、ある種公的資金を自分たちの活動や主義主張のために都合よく収奪するまさにパブリックエネミー、社会の敵の存在があらわになってきているらしいこと、でもあります。

 そして、これは現在あからさまに動いている共産党や一部野党界隈だけでもなく、与党内部、それこそ公明党自民党の一部も同じように手を染めてきている、その意味ではこれまでの政治をめぐる枠組み、保守だ左翼や、与党だ野党だ、といった図式を超えたところで、すでに静かに広く根を張ってきていた新たな、でも未だうまく世間の側から見えていなかった利権構造でもあるようです。

 さらに、こんなこともありました。事件そのものはたまたまでしょうが、兵庫県警が元ヤクザで覚醒剤の前歴のあるキリスト教牧師をつい先日、逮捕した。この御仁もなぜかcolaboとの接点が明らかになり、キリスト教プロテスタント派の一部がこのような新たな利権とからむ一部の社会運動と密接な関係があることが奇しくも露わになってきました。その関係はこれまでも知られていたのですが、韓国の同じ組織、教団との関連も含めて、colabo以下「女性」関連の「支援」の仕組みを介して、公的資金がそちらに流されているのかも知れないという疑惑も出てきています。事実、colaboに助けを求めてきた未成年の女の子たちを、colaboは沖縄県名護市辺野古の米軍基地移転反対運動の現場に連れてゆき、あきらかに自分たちの政治的に運動に巻き込んで道具として使っていることも明らかになっています。

 まあ、共産党も高齢化著しく、また資金源の赤旗の売上げも低迷、組織維持の基礎づくりとして若い世代を巻き込むことに必死なのは、昨今の限界集落化した地方と同じようなもので、限界野党とでも言うべきでしょうが、それは公明党が同じように限界政党化していて、外国籍の党員までも認める方針をとってきていることなどとも期を一にした、貧すりゃ鈍する、苦し紛れに売国反日に加担する動きに他なりません。少子化対策外国人労働者を入れる、外国人留学生を入れる、そこにも公的資金を惜しげも無く投入して、本来の日本国籍の日本国民の福利厚生や、安心して暮らせる社会、国土づくりに利するとは思えない施策を繰り出してきていることなども、大きく言えばどこかでつながってくる事案なのだろうと思います。

 このcolabo、一般社団法人という資格を持つ団体であることをさきほど言いました。何やら言葉の響きだけからは、公益法人とかと同じような、何か世のため人のためにいいことを事業としてやっている、カネ儲けだけが目的の団体ではないような印象を持つと思いますが、ところがこの一般社団法人という枠組み自体、今回のこのcolabo騒動を介して明らかになってきたことのひとつなのですが、どんなずさんな会計をしていようが、それを直接に監督する官庁、お役所が存在しないようなのです。公的資金を、つまり税金を何らかの形で投入して、それをもとに活動している団体にもかかわらず、監督官庁が存在しない。そういうたてつけになっているのがこの一般社団法人に関わる法律らしいのですが、いろいろ理屈や経緯はあるにせよ、普通に仕事をしていても、個人でも自営業ならばあのめんどくさい申告処理をするものですし、会社員でも副業その他で別途収入があれば確定申告するものです。なのに、公的資金をもらっておきながら、それを適切に使っているかどうか、責任をもって監督する役所なり官庁が規定されていない。こんな騒動にならなければ、多くの人はそんなこと知らないままだったでしょう。事実、ボクもよくわかっていませんでした。

 ざっと調べてみると、2006年小泉内閣時代に法案が起案され、2008年麻生内閣時代に正式に制定された形になっているようですが、あの「官から民へ」「民間でできることは民間へ」という小泉内閣時代のスローガンが当時、時代の空気として「善きもの」になっていて、そのような空気を下地として、民間の団体が善意で、もともと官庁がやっていた公共的な仕事を請け負いやすいようにする、そのことによって「小さな政府」の実現にも寄与する――まあ、ざっくりこのような考え方が下地となって、制定された新たな法律だったのだろうとは思います。

 ただ、それが悪用され、「抜け穴」のようになっていたらしい。いや、もともとそういう「抜け穴」として活用することを考えていた人がたもいたのかもしれませんが、いずれにせよ、法の趣旨とは違う文脈で法律を利用し、このような公的な資金を自分たちの活動や運動にだけ利するような流し方をするようになっていた。そしてそこに国会議員や地方議員、与野党不問の政党から、いわゆるお役所、さらには報道機関などメディアに至るまでが、結果的に「グル」と見られてしまっても致し方のないような、今となっては不思議な絡まり方をしながら、全体としては「いいこと」のように装われながら、その裏で実際は、公的資金つまり税金を私的に使うからくりが作り上げられていたということのようなのです。

 われわれと同じ普通の人、世間のどこにでもいるいわゆる市民が、あれ?なんかヘンなんじゃないのこれ、と思い、住民監査請求という当然の権利を使って、東京都庁に問い合わせた。そうしたら、その団体はいきなり弁護士複数と数十人に及ぶ応援団などを使っていきなり記者会見をして、名誉毀損だ訴えるぞ、と圧力をかけてきた。会計がちょっとヘンみたいなんだけど、と言われたのならば、いやそれは違う、これこれこういう理由でこういう数字になっている、とか、あるいは、領収書がこれこれこういう風にあるんですよ、とか、何にせよそれに対して説明すればいいだけのことのはずです。なのに、この団体はそれをしないどころか、いきなり恫喝に等しい行動に出た。

一般人が住民監査請求したら、
セブンナイツ、83-1委員会、国会議員(立憲民主党共産党)、大手アカ新聞、が議員会館かりて提訴記者会見して偏向報道し、 「住民監査請求するやつは反社」とかいって「連合赤軍やオウムと同じ」って言われて攻撃されるんだぞ。――――暇空茜

 フェミニズムを看板にした活動や運動をしている人たちや勢力が、攻撃の主力なのは明らかです。仁藤さんという若い女性が、困っている同じ若い女性たちのためにいいことをやっている、本来ならば公共がやるべき福祉関係の事業を民間で頑張ってやっているのだから大目にみるのがあたりまえ、いちいち細かいカネの使い方をあげつらって足を引っ張るのは、女性差別的な考え方があるからだ――ざっとこういう趣旨のことを会見では非常に強い調子で訴えていました。「反社会的存在」であり「連赤やオウムと同じ」といった表現も、暇空さんが言うように散見されました。まともなやり方ではありません。

 いわゆる「ポリティカルコレクトネス」と言われるような、問答無用の正しいこと、疑問を持つこと自体許されない正義、のひとつとして「女性」「弱者」「被害者」「外国人」その他あれこれあげられている属性、アイテムが、知らない間にここまでわれわれ日本社会の、普通の世間の裡に食い込んでいます。それに対して異を唱えることも許されない、それってヘンじゃないの?と言ったら最後、あからさまに攻撃が加えられ、「なかったこと」にされる――「キャンセルカルチャー」という言い方もされるようになってきていますが、まさにその「なかったこと」にする/される動き方というのが、これまでよりもずっとスムースに、まるで自動的に発動され、今回の暇空さんのように標的にされる。北海道ならば「アイヌ」なども同じ属性の単語になっていますね。このような「ポリコレ」に準拠した「キャンセルカルチャー」の横暴、まさにこれこそファシズム的な弾圧なのだと思いますが、このような動き方に対して、それぞれが生きる場で身を守り、スジを通してゆくためには、まず暇空さんのように、怖めず臆せず「おかしいものはおかしいから、言うべきことを言い続ける」それを自分自身の態度でまず示すこと、が第一歩であり、大事なことなのだと思います。

*1:ch桜北海道の配信番組のためのレジュメ。

近現代史アカデミズムのワヤ・メモ

 近現代史のアカデミックは本当にヤバいよ。自分がテーマにしてる日中戦争なんか公平な視点の論文は通らない。実際に自分が査読で受けた指摘で「日本の善政を喧伝する気か?」ってのがあった。いや、そうではなくて…の完全論破したけど、過去3本の論文はすべて投稿から掲載まで2年以上かかってる。(続)


 学者がコントロールする学会誌は査読以前にリジェクトだから(実際にそうだった)、自分の投稿先は公的機関のジャーナルだけ。それでも査読者の片方は概ね左翼系なんで、元ツイのような指摘が入る。本職なら潰されてお終い。というか、日中関係史をやるなら、実証研究は清末までしかできない。(続)


 だから日中関係史の1911-45年は左翼の反日史観だけがあって、実証研究は疎らなんだよね。これが自分のような在野の趣味人でも査読論文が出せる理由。3本の論文を出したときの自分の学歴は高卒。高卒でも論文出せるほどスカスカってこと。日本で「学問の自由」を最も侵害してるのは左翼学者だよ。(続)


 自分が過去3本の論文でガチンコした経験からすると左翼学者は論破しやすい。すごい剣幕(の査読コメント)でガーガーやってきても、自分のような素人の論破で掲載に至るわけだし(遅滞戦術の効果は認める)。主義思想が先行して盲目なうえ、仲間うちのなあなあでやってるから知的退化するんだと思う。


 どんな論文なのか興味のある人はリンク先を見てね。前職時代の共著も含むリストだけど、査読でガチンコしたのは日中戦争がテーマの3論文。ジェトロのジャーナルに掲載したインフラ整備の2論文はネットでPDF公開されてます。
researchmap.jp/satoshi_tokuna…

 今に始まったこっちゃない、ではあるんだが、な。

 「歴史」と「(本邦の)歴史学」は別モノ、という認識を早い時期に持てた、持たざるを得なかったことは、自分的にはありがたかったとはおも。特に、「近現代史」おまえはあかん、と、リクツ抜きに肌身で思い知ったのは、最初にフルタイムで赴任した大学の上司のおかげだった。(以下、とりあえず忖度&自粛)

 で、それから30年以上たって、未だにこういうていたらくというか、さらに蠱毒化が進行してがんじがらめ、もう到底自らの手で内側から自浄などでけんようになっとることは、ここで触れられているごく断片からでも容易に推察できる。

 ただまあ、若い衆世代(だろう)がこういう形であれ、ワヤの実態を認識できるようになったことは、ひとつ進歩なのかもしれんけれども、それでも内側から自ら自浄、というのは、おそらくどうやってもムリなんだろうな……

安倍国葬ガースースピーチの本質・メモ


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 菅前総理の弔辞について気づいたことを。まず、弔辞をスピーチライターが書いたのではないかといった噂が飛び交っていますが、私は本人が書いたと見ています。それはスピーチ冒頭にヒントがあり、ライターが書く場合あのような「7月8日…」からはじまる心情描写を選択しないだろう、と私は考えます。


 私の想像ですので外れている可能性も含めてお読みください。日本のパブリックな挨拶は基本的に岸田総理の弔辞のようなはじまり方をします。(「国葬儀が行われるにあたり…追悼のことばを捧げます。」)これは私たちの国の特性。挨拶や弔辞といえばこのようなはじまり方、という暗黙の型がある。しかし菅前総理は冒頭から心情を描写した。「あなたのお目にかかりたい、同じ空間で、同じ空気を共にしたい。… 最後の一瞬、接することができました。」この特徴ある冒頭は、本人の納得感があってはじめて実現される新鮮な入り出しであり、彼が迷いなく話す様子をみて私は、本人の言葉そのものだと感じた。


 弔辞では感情を吐露されていた。私はこの仕事をするにあたりこれまで菅前首相の話し言葉を分析してきたが、彼の感情が露わになったスピーチを読んだ記憶がない。今回の弔辞は数多の感情で溢れていた。「哀しみと怒りを交互に感じながら…」「私は本当に幸せでした。」青い炎、本心が肉声で語られた。


 特に印象深かった言葉がある。「安倍総理…とお呼びしますが、ご覧になれますか。ここ武道館の周りには花を捧げよう、国葬儀に立ちあおうと、たくさんの人が集まってくれています。」菅氏は目の前の安倍氏に確かに語りかけた。まるで安倍氏が生きているように。この言葉はより一層聴衆の集中を集めた。


 他にも細かい点を上げれば、総理と呼ぶたびに視線を上げていたこと、銀座の焼き鳥屋で総裁選出馬を口説いたこと、1212号室の机上の本。語りたい事ばかりだが、総じて菅前首相の言葉が届いたのは「目の前の(記憶の中で生きている)安倍氏に向かって」話し「思い出を大切に記憶していたこと」ではないか


 菅前首相の弔辞を見ながら、かつての菅氏のことを日本社会が「伝え下手」だとレッテルを貼った事自体にも言及したい。言葉に思いを込めることができる菅氏があのような指摘を受けたのは、日本のパブリックスピーキングに蔓延る「正式な場面での文章の型化」に問題があるのではないかとも考えてみたい


 お決まり事のようにただいまご紹介に預かり、冒頭に来賓へ感謝申し上げる。話し言葉に適さない一文の長さ。はじめて聞く聴衆に配慮しない情報量の多さに、誰か読んでも同じ堅苦しい文章。結果、飽きた空気が会場に蔓延する。こんなスピーチのつくり方を永遠にしていたら真のリーダーは生まれない。


 前首相、現首相の言葉を聞いた私たちは今、自らはどんな言葉を普段発しているのか、自分ごととして考えていく必要がある。そして菅前首相のように「日本に蔓延るスピーチ文書の型化」から抜け出し、あなたにしか話せない言葉や思い、経験を語っていくことの重要性に気づいてほしい。

左翼マスコミの30年・メモ

 平成3年に入社したころ、静岡県警本部はまだ静岡県庁に間借りしていて、庁舎管理権がなかった。そのため、よく記者会見やレクが開かれて、左派系の弁護士や活動家がよく来ていた。弁護士はともかく、自称市民団体の活動家が、やたらに上から目線で、とにかく鼻に衝く。それにいつも同じ顔ぶれの人が「反原発」「憲法9条を守ろう」…、とにかくお題が変わっても「あれっ? この人、前も来ていたな」ということに気が付いた。以前から三島で丸正事件の自由法曹団の集会があったころから、三島で静岡市から車を飛ばして日曜日に出かける程度には「心情左翼」だった僕が<少しずつこの人たちに違和感を抱き始めた。つまり「忠魂碑訴訟」だろうと「長沼ナイキ訴訟」だろうと、「怒っている人たち」はいつも同じで、誰のためにこの人たちはやっているんだろうか、と。それに僕の高校、大学の頃から「いつか再び戦争が」とか「近づく軍靴の足音」と言っていた朝日新聞ロナルド・レーガンアメリカ大統領に就任すると「戦争の危険が」と言う。そのころは世界史が得意科目だったから「いや、戦争の原因はソ連チェルネンコじゃね?」って思う程度にはなっていた。朝日は中曽根内閣のときも「元戦犯が首相に」とか「タカ派政権に日本の危機」「軍靴の足音」とか、今の国葬反対みたいにワーワー言っていた。レーガンは米ソ冷戦を終わらせ、中曽根はあの面倒臭い官僚組織、国鉄を分割民営化させ、切符代が爆下がりした。決定的だったのは、やはり横田めぐみさんの件だった。


 「北朝鮮は拉致なんかやってねえよ」 共同通信も朝日もTBSも少なくとも僕の周囲にいた記者はみんな言っていた。きわめつけは元過激派が経営する居酒屋で「午後は〇〇テレビにキム・ヘギョン(ウンギョン)ちゃんに出てもらって横田夫妻と感動の御対面をすればいいだよ」と言い放った左翼の爺さん。もう正気を失った。「この人たちはおかしい」 それと同じことが安倍晋三さんを喪った日本で起きている。「アベは死んで当然」「山上はヒーロー」 今は心情的に左翼の味方をしていても、あのときの僕と同じように、少しずつ距離を置く人って多いんじゃないかな、と思う。だって映画化だよ!? 産経の阿部雅美さんが拉致をスクープしたときは「産経の飛ばし」、平成9年の国会で騒ぎになった段階でも「産経だから」「産経は反動だから」(本当に言い放った奴がいた) で、言い放った奴はそんなことも忘れて相変わらず、同じような記事を書いている。

拝啓 岸田首相・メモ

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拝啓 岸田首相


 首相が「新しい資本主義」と主張された時、正直、私は期待しました。新自由主義で痛めつけられてきた日本。貧富の格差が拡大し、貧しい人は這いあがれず、新型コロナで生活がままならなくなった人が増えました。そうした人たちに光を当てる経済政策がついに始まるのだ、と。


 しかし、首相が「資産所得倍増計画」と言われた時、耳を疑い、呆気にとられました。「それでは『新しい資本主義』どころか、新自由主義、あるいは株主資本主義そのままではないか」と。その時の衝撃は、私ばかりではなく、多くの人たちも感じたようです。


 首相が5月にロンドンの金融街ティーで講演され、「資産所得倍増」を唱え、だから「日本に投資してほしい」と述べたこと、私は次のように解釈しました。首相は、「もし『新しい資本主義』で労働者に手厚く配分し、富裕層に課税するようなら、日本株を売り浴びせるぞ!」と脅されたのではないか、と。


 海外投資家は今や、現物の売買代金で58.2%、先物の売買代金で73.0%と、最大の投資家となっており、もし日本が株主資本主義から足を洗い、投資家や富裕層に課税をするなどしたら、海外投資家からすれば、日本は魅力を大きく損なうでしょう。

 しかも、株主資本主義の先進国だった英米が、見直しを始めていると聞いています。そんな中、日本まで株主資本主義の見直しがなされれば、海外投資家は金儲けする場所を失ってしまいます。そこで岸田首相に働きかけ、「新しい資本主義」を改めさせようとしたのではないでしょうか。


 「資産所得倍増計画」なら、理屈としては、国民全員が株などの資産を持ちさえすれば、国民も資産所得を得る立場となり、首相が訴えてきた「新しい資本主義」とも理屈の上では整合する、と、首相に入れ知恵した方がいらっしゃるのでしょう。そうでもないと、この変貌ぶりは説明できません。


 しかし、首相もすでにご存じでしょう。2019年の調査では、日本人の半分以上の家計で、貯蓄が100万円以下しかございません。この人たちは、突発的なことがあれば貯蓄をすべて吐き出さねばなりません。株を買う余裕が一切ない方たちです。それが国民の半数以上です。

 貯金額の平均値は317万円、全体の53%が貯金100万円以下 「貯金実態調査2019」を実施


 新型コロナでさらに困窮した家庭が多いことを考えると、この数値はさらに悪化している恐れがあります。株などの資産を買うには、何年も使わずに済ませられる現金が必要です。しかし、そんな余裕もなく、新型コロナでそのわずかな貯蓄も使い果たした方が大勢いらっしゃるようです。


 従って、残念ながら、「資産所得倍増計画」は、国民の半数以上には、一切無関係な政策となる恐れがございます。もし、首相が全国民に日本の株を分配するというのなら別ですが、首相のこれまでのご発言から拝察するに、自らの貯蓄で資産を買うように、というご意図のようです。だとすれば。


 国民の半数には、「資産所得倍増計画」は無意味なものになり、資産を形成できる、多少なりとも余裕のある人たち、あるいは富裕層だけが所得を倍増させ、豊かな生活を送れる、ということになります。つまり、貧富の格差をますます拡大することになります。



 日本の労働者のうち、年収200万円以下が28.3%、男性は12.3%、女性は49.7%が年収200万円未満です。私の知人でも、関関同立の、関西では有名な私立大学出でも、200万を超えると「けっこうもらっているね」という感想になるそうです。低所得化が非常に進みました。
https://www.mhlw.go.jp/shingi/2010/02/dl/s0205-8a_3.pdf


 低賃金層が多く、貯蓄が100万円もない社会状況で「資産所得倍増計画」を推し進めれば、格差は広がるばかりです。しかも、「資産所得」のお金はどこからひねり出すのでしょう?それは、働く労働者が稼ぎ出したお金ということになるでしょう。株主は、労働者から搾取する形となります。


 となると、「資産所得倍増計画」とは、労働者からさらに搾り取り、低賃金化し、それで浮いたお金を株主に配分する、という、株主資本主義そのままとなります。それが果たして首相の望んでいた「新しい資本主義」なのでしょうか?首相への国民の期待は、裏切られたと申すべきではないでしょうか。


 なぜわざわざ、ロンドンの金融街シティで「資産所得倍増計画」の講演をしたのか。海外投資家から「日本株を売り浴びせるぞ!」と脅されたのではないでしょうか。もしそうなれば、日本株は暴落、日本株の最大の所有者である日本銀行の信用がぐらつき、現在と比べ物にならない円安となったかも。


 首相はそれを食い止めるべく、「新しい資本主義」を「資産所得倍増計画」に読み替える、という苦しい言い換えをすることで、この危機を回避したのではないか、と拝察します。一国の宰相ともなれば、こうした腹芸が必要だと思いますので、やむを得ぬ仕儀ではないか、と、一定の理解をしてました。


 しかし、先日のNHKスペシャル中流危機を超えて」を視聴し、首相への信頼は、完全に崩れ去ってしまいました。この番組で登場した駒村教授(慶応大)は、低賃金の中でも必死になって働いてきた労働者さえ「企業依存」だとし、新しい仕事に順応できないなら解雇できる社会に変えることを示唆しました。


 成長分野に人材を集め、成長分野に順応できない人材は切り捨て、国が用意するセーフティーネットで救う、と駒村教授は提言していました。しかしこの主張は、たとえば竹中平蔵氏が20年来主張し、日本企業と政府が実践し、現在の日本にしてしまった政策と、瓜二つです。


 その結果、日本企業はイノベーションが起きず、雇用も増えず、賃金も増えず、イノベーションもだから起きない、という悪循環を続けてきました。竹中氏の路線がこの悪循環を生んだわけですが、番組で登場した駒村教授は、この政策をさらに強化せよ、と主張したわけです。


 このNHKスペシャルは、「政府寄り」と感じる方が少なくなかったようです。ということは、駒村教授に述べさせたのは、岸田首相など、政府首脳の方針なのでしょう。「新しい資本主義」は、派遣社員契約社員の形であろうとなんとか雇用してきたのを、全員解雇するものということになります。


 しかし、こんなことをしたら、「有能」とされたわずかな労働者と経営者、そして株主(富裕層)だけがお金を手にし、貧しい人は仕事も得られず、国から与えられるわずかな「お恵み」で生きていく、そんな社会にしよう、ということになります。ですが、この社会は成り立たないように思います。


 駒村教授の主張は、これまでの竹中平蔵氏の主張と違いが見えないくらいに一致しています。ということは、竹中氏と同様、「成長分野の邪魔をしないように、この分野には減税すべきだ」と主張することでしょう。すると、「有能」とされた労働者、経営者、株主はたくさんの利益を得ますが、国には。


 減税されているわけですから、国にはたいして税収が入ってきません。税収がないのに、多くの失業者に「セーフティネット」として、生活するためのお金を配分しろ、と駒村教授は言っているわけです。これでは国家財政が回りません。ということは、セーフティーネットはほぼ機能しないことでしょう。


 貧しい人は生きていくことができず、捨て置かれた状態になり、その憎悪は岸田首相をはじめとする、政府首脳に向かうでしょう。他方、「有能」とされた人、経営者、株主は栄耀栄華を楽しみ、しかも自分たちに向かうかもしれない憎しみは、政府に向かってくれるわけです。これは国家を危うくします。


 経済という言葉は、「世を経(おさ)め、民を済(すく)う(経世済民)」からきている、ということは、首相もよくご存じでしょう。しかし、駒村教授の提言をもし実現すれば、富裕層はますます富み、貧しい人はますます困窮し、貧しい人の憎悪は政府に向かい、社会不安は増幅するでしょう。


 つまり、駒村教授の提言は、「世を乱し民を棄(す)てる」、乱世棄民の政策だと言えます。しかし駒村教授がNHKスペシャルに出演したということは、政府の考えでもあるのでしょう。だから、私は首相に抱いていた信頼が失われてしまった、と申し上げたわけです。


 しかし、今からでも遅くはございません。海外投資家をはじめとする、株主による「日本売り」を回避する腹芸は必要ですが、駒村教授の提言は無視すべきです。そして、日本で低賃金で苦しむ国民のために、その雇用条件の改善を目指す政策運営をすべきです。


 賃金の条件が改善され、生活にゆとりが出れば、アイディアが生まれやすくなります。それがイノベーションを促し、日本経済を浮上させる力になります。たとえ一時的に苦しくても、全国民的に賃金を押し上げる努力を、少しずつ始めるべきです。


 戦後昭和の日本が、2000年代に突入するまで、数多くの世界的商品を開発し続けられたのは、全国民的に生活にゆとりを持てたからだと考えます。しかし竹中平蔵氏による政策が2000年代初頭に始まってから以降、日本は世界で強みのある産業を次々に失いました。


 ということは、竹中・駒村路線は、結果的に日本を弱体化させる政策だと、歴史が示していると言えます。もうこんな政策は、続けるべきではありません。首相が「新しい資本主義」と語り始めていたころの初心に戻り、日本の強みを取り戻すべきです。伏してお願い申し上げます。

*1:Twitterに限らず、それ以前から、割とあるある、なこういう「提言」系の、それもそれなりに筋の通った言説、良くも悪くもこういう言説を紡ぎたがり、かつ、表明し、時に直接行動に訴えて「成果」を得ようとする自意識のありようと共に。

*2:それが「正論」であり、そうでなくても一定程度の説得力を持った言説であること、と、このような訴え方を、おそらくはある種の「正義」の自覚として行なうこと、それが「良き選挙民」のとるべき選択肢のひとつ、であるかもしれないことも含めての、要審議の必要。