構造的に詰んでるおんなさん若い衆世代・メモ


00〜05世代の女子、構造的に詰んでるんだよな。


「時代の隙間に落っこちてしまった」世代。大きく分けて3つの観点から、その理由を説明できる。

   ① 再現性のない母親
   ② 父性に育てられた最後の世代
   ③ 評価規準機能不全時代


では、まず①再現性のない母親 から。


① 再現性のない母親


この世代の母親世代は、概ね氷河期前期世代からバブル後期世代。つまり、男は男であり、女は女である、というのがまだ社会の当然の常識としてあった時代で、それこそ男女平等化の動きこそあれど、実社会で浸透している考え方ではなかった。
つまり「将来は誰かの嫁で母」である


そうなったら人生設計はわりかしシンプルだ。金を持っていて魅力のある男と結婚することを前提に人生を進めればいい。仮に失敗したとしても、皆がそうしている環境下なら、理解は得られるだろう。


さて、現代はどうだろうか。結婚して人生どうにかなる、みたいな設計はもはや通用しない。


つまり、「女性である事」それ自体で人生設計が出来なくなってしまった。確かに、まだ若い女そのものの価値は人口の多い中高年男性からの分厚い需要で保持されてはいる。


しかしながら、同世代の男子を考えてみてほしい。「俺が養う」なんて人、居ますか?殆どいませんね。そういう事です。


「若い女Pay」自体はまだ機能不全に陥っていないけれども、もう既に女であるから将来が保証されるという時代ではなくなっている。つまり、女だからどうにかなったタイプのお母さんの下に生まれたこの世代の女子は、「母親がまるで宛にならない」ところから人生が始まる、ということになる。


② 父性に育てられた最後の世代


母親について触れたのと同じように、父親もまた「男」である事が当たり前だった世代である。つまり親父がちゃんと親父をやっていた最後の時代ということになる。最近の小中学生のお父さんを、塾講師をやっていたので知っているのだが、とにかく、「オヤジ」じゃないんだな。なんだかこう、皆イクメンで子供の行事に顔出して、みたいな感じだ。家に母親が二人いるのか、みたいな印象を受ける。あくまで書いてる本人の親父がそういうのに顔を出さないタイプだったのはあるけども、本当に最近のお父さんは家庭に対して積極的だ。


さて、「時代の隙間」で育った当該世代の女子が見てきた父は、家庭差がでかいとはいえ、「親父タイプ」も多かったのである。家の事にはあまり関わらないけど、男としての責任は果たす。余計な事は言うけど出すところで金は出してくれる。ママがヒステリックになったときも落ち着いていてくれる。そういう「親父」になれそうな同世代の男は、果たしてどれくらいいるだろうか。そう、これに関しても完全に欠如しているのだ。


「知っているのに、どこにもいない」


そして、そういう親父じゃなかった、もしくは片親で育った女子は周りから聞いた話で「あったはずの父性」を渇望する。


これが「ナヨナヨお父さん」が普通の時代に育てばなんてことはない。しかし、昨今の当該世代女子の発狂を、元カノの零した言葉を、どこかで聞いた愚痴を並び立ててみれば、「受け取れたはずの父性」の欠如が少なくない割合を占めているのだな、という印象を受ける。


故に「父性に育てられた最後の世代」なのだ。もう手に入らないものを体験している。


そう、父親も、母親も、もう成立し得ないものが多数派だった最後の時代なんだ。


だからこの世代の女子は「令和最新に適応しているフリをしているが、思考のベースは平成」これに苦しむ運命なのだろう。



③ 評価規準機能不全時代


漢字を並び立てたらなかなか圧の強い感じになってしまった。しかし漢字の通りである


「何をもって自分を評価したらいいのかの基準が多様化・細分化しすぎて、機能不全を起こしている時代」の先頭で、青春期を迎えたのである。


ちょうど、あらゆるものが切り替わった。


  大学受験形式は一般試験から推薦試験が多数派になった。
  SNSでどれくらい影響力があるか、みたいな新概念ができた。
  多様性が認められる社会の中で、ルッキズムが加速し続けてきた。
  結婚なんて、と言ってみるけど、推しだって結婚していく。


どうしたら。


判断基準は霧散した。「女もキャリアだ、なんなら同世代の男を追い抜いていけ」と発破をかけてみてもいいけども、あの頃同じ事言ってた仲間はしれっと交際数年目で、3年目くらいで結婚していった。


「あなたのままでいい」とは言うけれど、ルッキズム社会が、マチアプが、点数を付けてくる。


この世代の女子の積んでいるOSは、直近で述べたとおり「令和のソフトを載せられる平成式」で、知ってるんだよな、お母さんが、お父さんが、若い頃どうやって生きてたのかを


「ぶっちゃけ、そっちの方が良かったんじゃないか」と思ってみても、「正しい令和感覚」に矯正される。


何が正しいかわからないから、「女性の権利」を訴えるインフルエンサーを拡散して、「でも男女の差ってあるよな、というか男が引っ張るべきだろ」みたいな尖った主張をする男の投稿にそっと鍵からいいねを押してみたりする。色々な正解に頭を乱されながら、でももう成人してしまったんだよな。


母親の辿ってきた道はもうない。パパみたいな男はもういない。何を基準にしたらいいのか分からない。


更に後ろの世代は先輩の失敗を観測して対策すればいいけど、彼女らは時代の隙間に落っこちて、救済されることはない。


故に「詰んでいる」んだよな。


俺は同世代にあたる男だが、男はいつの世も大して変わらないだろう。どうにもならないなら、ならなかった人間なりに楽しく生きていった先人達が沢山いる。


でも、「答え」を出せずに老けていった先輩女性が辿った道に、輝きはあるのか?
俺目線では、探すのは難しい


というあたりが、めちゃくちゃモテてきて常日頃から女の子と喋ってたとかではないけども、普通の男なりに話して向き合ってきた推測だ。多分俺には分からないことも多いだろうが、同じ時代を生きた男としては、こういうふうに見える。


以上

話をつまらなくして悪いけど、男も


  ① 稼ぎさえすれば黙ってついてくる母世代のような女性はもういない
  ② たまに吠えれば後は妻が子どもを何とかしてくれる時代はもう終わった
  ③ 世間の多様な価値観に触れて道を迷ってる のは同じ。


男女とも詰んでると諦めず新しい生き方を模索すべき時代なのよ

もう少しだけ下の世代だけど、①、②は特に共感できるな。


まず①について 男女の機会平等は素晴らしいけど、男性より体力が劣るのに同じ働きを求められると中々キツいものがある。嘘松っぽすぎる実話なんだけど、高校時代マックの向かいに座ってた女子大生2人組が「正直男女平等とかどうでもいいから普通に専業主婦やりたくね?」『それなら飯炊き要員で良いんだよね』と言っていて衝撃だった。私はバリバリ働くつもりだったので(まともに働きたい女性が不都合になることを大声で言ってくれるなよ…)と思ったが、今考えると彼女たちの主張もわからなくはない。


彼女たちはそれこそ00〜05世代で専業主婦の母親の元で育ってきたかもしれないし、母親をロールモデルにするのも当然だ。でも今の時代それだけで生きていけるのか、という疑問もある。特に東京で生活するとなると、かなり高所得の男性と結婚するか、共働きするかしかないので。


それから②について


私の父親はちょっと変わったタイプなので父性云々の話はできないのだが、最近気づいた事実として「自分の父親は同世代の中でもかなり上澄みだった」ということがある。


00〜10辺りの世代だと両親とも氷河期世代だったりするのだけど、そもそも就職氷河期の時代に結婚して子供をもうけている時点でかなり優秀なんだよね。大体の女性は恋愛するとき無意識に身近な異性のスペックを意識していると思う。そんなつもりは毛頭ないのに、歴代彼氏が父親と似たタイプだった、なんて話はよくある。


ただ、00〜05世代が周りの男性と恋愛しようとしたとき、思ったより自分の父親みたいな人がいないという現実に直面するはず。父親のように若い頃から大企業勤めで家族を養える給料を貰っている異性を探すのは意外と難しい。さらに最近では円安物価高に給料の上げ幅が追いついていないから、実質賃金で考えると該当する人間はもっと少なくなる。結果として自分たちの中では"普通"の条件で婚活しても高望みになってしまう。かといって妥協して結婚したからといって幸せになれるとも限らない訳で。


00〜05世代の女性たちは、平成ベースの価値観で育ったものの、令和の情勢やコンプライアンスに適応させられているから、その狭間で宙ぶらりんになっていると思う。平成という理想と令和という現実の間で最適解を探り続ける人生は、他の世代に比べてハードモードであるに違いない。

この世代の母親像が「専業主婦で家を守る人」一色じゃなくなり、仕事も持つロールモデルが増えたのに、娘にはその「再現不能な生き方」だけが刷り込まれてしまった歪み。母のようにはなれないし、ならばと違う道を探すにも地図がない、その宙吊り感が辛い。

 00年代生まれの若い衆世代、ということは、親は概ねいわゆる氷河期世代で、つまりざっくり団塊ジュニア世代でもあるわけで。昨今「老害」ムーヴがイメージとしても実態としても集中的に可視化される世代あたりの、つまりは孫世代ということになるわけで。このあたりの雑な「世代」理解の枠組みは、雑ではあっても社会の構成、それがどのような「逃げられない要因とそれに規定される属性」含みで成りたっているのか、というあたりのことをうかうかと忘れてしまわないためにも、最後の歯止めのひとつとして大事なのだといつも思うようにしている。

 団塊ジュニアの氷河期世代の生き辛さみたいなものをベースにしたさまざまな恨み辛み毒吐き言説の類は、すでにもうミーム化しつつある部分も含めて、決して無視してはならない本質的な「分断」の現在形を測候、言語化して考えようとする際、重要な民俗資料的素材になっていると思うけれども、それとは少し別なところで、さて、「親」世代であるはずの団塊世代(と、そこにまつわる団塊的なるもの)に対する親子対立――要は、父殺しや母殺しといったモメントへ向かう葛藤の気配がちょっと奇妙なほどに欠落しているように見えるのがずっと気になっていた。

 いわゆる「反抗期」にあたる精神的な経験が希薄になっていたのか、たとえ通過儀礼的な意味あいとしてでも、それらをスキップしてしまうような背景が社会的にもあり得ていたのか、など、この世代に関して必ず言われるあの「勝ち組/負け組」の苛酷な世代内「分断」の様相と比較しても、生物的にも社会的にも「親」世代であったはずの団塊の世代への対峙のモメントが、個々の生身の生活史や体験に根ざしたものでなく、いきなり通り一遍大文字の、最も薄味通俗的な意味での「世代論」の水準でしか出てこないようには感じている。

 それは、もしかしたら同じ意味あいで、なのかもしれないが、世代内での男女間の問題についての言語化に関しても、どこか他人事というか初手から大文字というか、同じく個々の生身の生活体験に紐ついた、もちろんだからこそめんどくさく入り組んだものにならざるを得ない領域の〈リアル〉をうまく、あるいは小賢しく回避したところでのもの言いにならざるを得ず、まただからこそ、世代を越えたところでの問題化にだけムダに効率的な問題提示として流されてゆく、という事態とパラレルな印象ではあった。このへん、これまたいわゆる文学などに収斂されてきていた人文社会系の「教養」とそれに関わる言語空間の煮崩れ過程ともどこかで関連してくる話ではあるのかもしれないけれども。*1

 そんなこんなの各種違和感がわだかまりながら推移してきていた、これらいわゆる「世代」論的なことばの水準の隔靴掻痒感に、世代がひとめぐりして団塊の孫世代になってようやくこういう問いかけが世代内でまず兆してくるようになったことは、おそらく悪いことではないのだろう。少なくとも、「自分の父」「自分の母」という射程距離と解像度とで問いを自分ごととしてとらえようとし始めていること、言語化をそこから始めてできるならその先へ、といったひとまずまっとうな身の丈の間尺からの思考を延ばしてゆこうとしていること、などは、彼ら彼女らの親世代――「親」になれている時点で「勝ち組」だ、という怨嗟も含めて、それら氷河期世代がめぐりあわせゆえの苛酷な状況をくぐってきたことによる世代内での煮詰まりや蠱毒化の弊害を、ここにきてほぐしてゆける糸口が発見され始めているのかもしれない、と感じたりもする。

 親世代である氷河期世代における「男女」問題、がうまく言語化されてこない/これないままだった(らしい)こと、のツケのまわり方がこういうかたちで、という言い方も、まあ、可能ではあるのかも、ではあり。そしてそれは、あれだけ猖獗を極めてあたりをうっかり考えなしに焼き払い続けてきた本邦倭フェミorジェンダー論界隈由来の言葉やもの言いも、その本質として実はそれら氷河期世代的な(と、ここは敢えてわかりやすく当面の対応としてくくってはおくけれども)世代内的な煮詰まりや蠱毒化と同根な場所から生えてきていたものかもしれない、という、あまり当たっていて欲しくはない気づきと共に、でもあるのだが。

*1:こういう意味での「文学」の不在は「内面」の欠落、あるいは「内面」に見合う一人称的な「自分」の輪郭がぼやけて主体があらかじめ失われてゆく過程とも関わっているのかもしれない、というこれまた年来の大きな問いと共に。

「公金」乞食と「公共」の中の人がた

 補助金や助成金、名目や予算上のたてつけが何であれ、いずれそういう「公共」からの出費をみかじめ料や口止め料的な意味あいで、お役所世間で大過なく見過ごしてもらえる程度の手続き的な正当性も、時には地雷原疾走的な濃厚グレーゾーンも踏んづけながらも整備した上でなんだかんだでつまりは「適切に」出費する、というのは、まあ、行政運営上の手口のひとつとしてあらゆるところであり得てきたかたち、かと。

 昨今ようやく知られる&言われるようになってきたあの「公金🐭🐭」にしても、意図的か否かはともかく、結果的にそれに加担していることになる「公共」側の意識としては、そういうある種の「みかじめ料」的な厄介払い、ないしは口止め的な意味あいも含めての必要悪、といった認識が、どうやら伝統的に下地にあるのだと思う。

 そういう「公共」の側の中の人がた、日々現場で文書や書類作業に追われる現場の末端から、概ねデスクや居室に居座っての指示や判断、そこから会議や折衝に忙殺され、議員や議会、関係団体その他あれこれとの調整に追われるような一定以上の「エラい」人がたに至るまで、いわゆるお役人側に共通している意識としては、あの手この手で「公金」支出を求めてくる各種組織なり団体なりは概ねそういう「公金にたかろうとしてくる乞食」であり、それは議員や弁護士を伴って生保の申請、昨今だと外国人居留資格の取得にやってくるような連中と基本的に同じなんだろうな、と。

 霞ヶ関であれ都道府県市町村レベルであれ、実際に現場で日々起こっているあんなワヤそんな理不尽のあれこれを確かに把握しているにも拘わらず、結局のところ「民間(地元)が独自のご判断でやられていることですから……」といった殺し文句で見てみないふりするのも、そういう「乞食」に関わって面倒に巻き込まれたくないからという気分は正直、あるはず。

 「公共」への信頼がみるみる低下している昨今の状況、もちろんよろしくないことは言うまでもないが、ただ、同時にその「公共」への接し方が一方的に「消費者」目線、それこそ昨今のもの言いだと究極のテイカー気質無限大で対するのがあたりまえ、みたいなこちとら世間一般その他おおぜい国民市民選挙民サマの間に濃淡はあれどそれなりに共有されてしまっているこういう戦後80年の間「自由」と「個人」と「民主主義」の野放し過程で醸成されてきたものらしいココロの習慣と、それと合わせ鏡のように反映し結像している「公共」の側からの「たかりにくる乞食」という見方に根ざした軽侮見下し不信感ありあり気分が共有されている状況は、共に構造的な危機として認識されるべきではあるはず、なのだが、さて。

 公共サービス、ともいうあの「サービス」の内実が、「奉仕」としか置き換えられていないあたりの問題が、ここでもまた。警察も軍隊もひとしなみにそういう「サービス」であること、そういう感覚が未だ本邦では「そういうもの」としてなじんでいないこと。

 「公務員」というもの言いにも、そういう「サービス」本来のふくらみや豊かさ、自分ごととして受け止め得るだけのココロの習慣が一定程度宿るようになって初めて、かつて「公僕」などと呼ばれることもあった仕事の輪郭にも、同じく自分ごととしての誇りや矜持、「やりがい」などもまた、うまく失地回復させてゆけるものではあるんだろうが、ここでもまたもや、さてさて、としか言いようのない現在。

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AI生成感のある文章(やら何やら)のこと・メモ

 AI生成感のある文章(テキスト情報)の内容は、全然頭に入ってこない(「読む」ものでない)かわりに、いつの間にか埋め込まれてしもとる身体内ゆるふわキラキラ神経叢(そんなもんがあるとして)を土足で蹂躙してぶっ挿してきて、広告コピーやキャプションの類の極限化された形態になっとる。

【悲報】
AI生成感のあるポスターの内容が、全然頭に入ってこないことに気付く

 AI 生成感のあるニンゲン、ってのもすでに存在し始めてきとるような……

 AI 生成の文章が「使える」になる分野や領域ってのは、文章をそういうある水準に特化したところでだけ「使う」ような場所、「論理」でも「説得」でもいいが、とにかく単線的で単層的な意味においてのみ「使う/使える」を「実用」の「合理性」で判断する場のような気がする。

 たとえば、そう、「論文」とか「プレゼン」とか「企画書」とか、ゆるく一般のビジネスの現場でやりとりされるような文書の大方は、ようわからんけれども、そういうものさしでAI任せになってはゆくんだろうし、それはまあ、必然ではあるのかもしれんけれども。

 そして、文書であり「文字で書かれた書類」ってのは、ほぼほぼ「そういうもの」としてしか日常には存在してこなかったのかもしれず。学校での「作文」教育が逆に「そういうもの」としての文書作成を疎外してきたところは、確かにあるっちゃあるわけで。

 「文学」「文芸」準拠の「作文」教育、いや、「国語」教育全般についての弊害というのも、本腰入れて見直してゆかにゃならん問題のひとつであることは間違いない。

 あ、もしかして、「ラノベ」なんてのもあれはある意味AI 生成化or最適化した/された「文学」「小説」だったりす……うわ、なにをするくぁwせdrftgyふじこlp

 ……閑話休題。少し真顔なことを言うなら、「大衆小説」をめぐる議論(だか揉め事だか)の経緯の中で、「筋」が大事なのが大衆小説、という主張があって、それってAI的な発想が「大衆」「市場」に最適化するのには重要、って意味ならいろいろともう一度洗い直す値打ちのあるハナシかもなぁ、とかいろいろと……

 文字とかフォントを使わずAIが自力で書き出している(だから謎の記号も現れる)から逆に「これは人間の仕事じゃないな」と思うかも。

 ああ、そうか、あれは「文字」ではないのか、だからああいう謎の生成記号な漢字がまぎれこんでくるのか。

 でも、考えたらそれって、文字も含めて「映像」的に一律に見てしまう、そういう視覚と解読のセットがインストールされてしまっているような、デジタルネイティヴ(死語かな?)ならぬ、スマホ&SNS的情報環境ネイティヴなZ世代の第二陣あたりにとっては、むしろそっちの方が「そういうもの」化してしまっているのかもしれんわなぁ、とかいろいろと。


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NPOをめぐる闇のおはなし・メモ


これなー
リアル身バレするからアレなんだけどもう時効やしええやろ(あくまでフィクションですよ?)

  ① 俺は2000年代序盤、俗に言う公共事業の談合屋してた
  

  ② 特殊事情と言う業者同士の交渉で金を引っ張るのが仕事で、その中には当然のように反社みたいなフロントが居て、営業としてその筋のチンピラがウヨウヨしてた
  

  ③ 当時は同和推進法が生きてて、いわゆる同和利権で予算が付く物件も多かった

  
  ④ 同和推進法が時限措置切れで予算が付かなくなり物件減、更に不景気で公共事業自体も減る


  ⑤ かすり取りのチンピラ営業マンが食い詰める


  ⑥ そこでそいつらが目を付けたのは、小泉改革の小さな政府路線と阪神大震災後のボランティアブームに乗ったNPO法人経営


  ⑦ そこでビジネスモデルが確立される(勿論善意のNPOもあったが)


  ⑧ 目鼻の利く、今で言う社会起業家らも東日本大震災のドサクサで「人道支援」という錦の御旗を掲げてわんさか参入(中には人材育成プロと言う免許も必要無いけど有名人になったアレやらアイツやらおるやろ?)


  ⑨ お人よしジャポンから寄付もホクホクで金も「人格者」の権威も得られる超ウマ案件


  ⑩ それが広がり雨後のタケノコみたいにNPO法人が乱立しましたとさ

糸冬

ちょいバズってるからもっと深い闇の話しよかー
(あくまでフィクションですよ?)

  ① NPO乱立ブームの中、地元の名士連中は「介護NPO・老人ホーム経営」にも目を付けた


  ② 小泉改革の「小さな政府」路線で公共事業が減る分、国や自治体の介護報酬・補助金がデカい狩場になる


  ③ 政治家(特に地元選出)は、施設指定や許認可、報酬単価引き上げ、便宜を図るだけで「恩を売れる」


  ④ 日本の要介護者は700万人強。経営者側は1施設平均60〜80人の要介護高齢者を抱え、特養・老健・介護医療院はほぼ満床


  ⑤ 「指定施設不在者投票制度」と言うのがある。施設内で職員が用紙請求→代理投票(2人体制)まで一括管理可能


  ⑥ 建前は第三者の監視が必要だがここの運用がザル。認知症進行者や依存度の高い入所者は「職員の言う通りにうなずく」だけで票が動く構造。もっと酷いと無断で投票券を使う


  ⑦ 実際に本人の同意なしで勝手に投票した不正も発覚してる

digital.asahi.com

  ⑧ 1施設で実質50〜100票のブロック票を固められる。複数施設を持ってれば数百〜数千票の「票田」完成
 

  ⑨ 政治家は選挙前に「よろしくw」と軽く匂わせるだけで、経営者経由で介護者の票が固まるwinwinの関係
 

  ⑩ 田舎の小選挙区や比例票固めとして、NPO→介護ホーム→不在者投票票田の利権の鎖が綺麗に繋がる
 

  ⑪ 左翼ガーはこの構造を知らない。これを悪用してるのは主に右派と呼ばれる党
 

  ⑫ 選挙に勝つ右派がシステムを構築し、政党助成金と企業献金で儲け、川下で左派が公金のおこぼれを頂く構造が出来上がってる


  ⑬そして左右winwinの令和のNPO利権大政翼賛会が誕生


  ⑭だから左翼嫌い拗らせて叩きまくった結果、システムを作る右派を利する構図をアシストする馬鹿ウヨが一番愚かな存在 。善意の介護施設も勿論あるけど、仕組み自体が票の完全掌握を許してるんやで

  中共の関連団体
    ↓(寄付)
  NPO A(国際交流)
    ↓(業務委託)
  NPO B(人権団体)
    ↓(助成金)
  NPO C(環境団体)
    ↓(協賛金)
  シンクタンク(左翼政治団体系)
    ↓(政策活動支援)
  左翼政党

 NPO同士でクロス送金を繰り返せば、資金洗浄になる。 足がつかない。

「方言」的身体から、どのように「言文一致」は認識されていったのか・メモ&雑感

 身近に書き散らしているメモ書き備忘録の類から、ひとつのお題として。

 大宅壮一や富士正晴ら、旧制三高人脈が「言文一致」を大阪弁で自覚的にやり始めるのは、相当に遅かったのではないか。

 同じ大阪弁圏内で生まれ育っていた漫才作家としての秋田實が、旧姓大阪高校から東大を経由しての西下組で、大阪弁のダイアローグに敏感に反応していたこと。その理由や背景なども、また。

 何が言いたいのかというと、つまり自分自身が社会化してゆく過程で身につけ、刷り込まれた話し言葉、日常のおしゃべりのもの言いとしての大阪弁を、自覚的に客体化して意識するようになるためには、そうではない話し言葉の生活圏に放り込まれて自らの日常的な言葉の作法に何らか違和を感じる体験が必要なのではないか、ということなのだが。

 文字の書き言葉による文章表現、ここはひとまず主に散文表現に限ってもいいが、さて、そこに書き手自身の身体化された日常の話し言葉の調子や響き、話体などが直接に反映されるようになっている事例が、さて、どれくらいあるものか。少なくともそのように確認し得るようなわかりやすい例をおいそれと引っ張り出せるほどの「文学」方面での蓄積がない身ゆえ、いずれにしても茫漠とした話にしかならないのだが、そんなメモ書き由来のとりとめない仮説ついでにさらにアテにならないことを言うなら、本邦日本語を母語とする範囲でのそれら近代の散文表現については、書き手の生身のおしゃべりを規定している話し言葉のありようが、質や程度の差はあれど、その同じ書き手のものした書き言葉の文章に反映されているかどうか、といった部分への選別の感覚は、読み手一般のリテラシーにおいてもそれほど意識されてこなかったのではないか。その程度に日本語というのは、近代の書き言葉についてはそれぞれの話し言葉の多様性、それこそ「方言」として実にさまざまなありようをはらんでいたはずの実態と引き比べて、実は見事なまでに均質で統一的な書き言葉を生成するようになっていたとは言えないか。

 「言文一致」と一様に言われる。けれども、その「言」の依拠する話しことばは必ずしも方言でなかったこと。少なくとも、当初、あの二葉亭四迷なりが刻苦した作業の前提にあったのは、言うまでもなく「江戸弁」としての、あるいはまた当時の彼らインテリ知識人予備軍たちの日常の話しことばであったはず。まただからこそ、速記を介した寄席の芸人たちの話しことばに刺激されながら、彼ら自身の「言文一致」を模索することもできたはず。

 インテリ知識人予備軍たち、少なくとも近代的な教育の内側で主体化していったようなありようの彼らにとっての「話しことば」の自明というのは、同時に彼らがそれぞれの生い立ちの中で、彼らの郷里や肉親らとの関係の中で育まれていたはずの「方言」としての話しことばとは明らかにズレていたに違いない。けれども、そのへんの違和感やズレの感覚は、しかし彼らの書き残した文章表現からははっきりそれと認識し、指摘できるような痕跡は正直、あまりないように思う。

 たとえば、誰でもいいが、川端康成にしても、生まれ育った大阪の話し言葉が彼の作品の散文表現に反映されていると言えるのかどうか。会話の部分にそれらが反映されている、これはまあ、わかりやすい。けれども、ここでこだわっているのはそういうことでなく、地の文なども含めた文章表現一般、散文の文体というか、そのありようについて、ということなのだが。

 それは、字ヅラのことだけでもなく、それを「読む」に際して読み手の内面、気分の裡にある調子やリズム、テンポやピッチといったような、「発声」される「音声」としての話し言葉に伴う要素が喚起される度合いとか、そういう〈まるごと〉の「上演」としての「読む」における機微についてまでも強引に視野に入れての、敢えての問いになってゆく。

 公式見解としての「言文一致」の言説に、そのような「方言」の位相がどのように隠され、あるいはまた無意識も含めて抑圧されていたのか。「書きことば」としての彼らの文字、文章の中に彼らの生身がおそらく宿していたような「方言」としての「話しことば」のありようはどのように反映させられていたのか、あるいはまた反映させられることから切断されていたのか。

 「書きことば」というのは、まずそのように漢文脈のものである、という常識があり、その上に習い性としての読み書きがある程度まで肉体化習慣化されてあり、しかしそのような生身が「話しことば」の水準であらかじめインストールされているのは「方言」を前提としたある種全く別の言語環境だったりする。

 「方言」的身体を自明の前提として、しかし知的世界へアクセスしてゆくための条件として漢文脈の「書きことば」に習熟してゆかねばならないという環境で、しかし彼らが「言文一致」に気づき、自覚し、発見してゆく過程というのもまた、おそらくかなりの部分そのような漢文脈の「書きことば」を前提として知り、意味づけてゆくことのできたものだったりするはず。

 そのようにほぐして考えてゆくなら、漢文脈の「書きことば」を先んじてインストールされていない身体にとっては、「言文一致」という問い自体が宿りようがないことになるし、その先にはさらに、そのような身体にとっての「音」や「映像」がどのように受け取られていたのか、という、そもそもわれわれ人間存在にとっての現実認識の仕組みにまで話の視野は拡がってゆかざるを得ないことになる。

 話しことば「だけ」を言語活動として実装されている身体にとっては、「書きことば」の存在がどのように受け取られていたのか、それをあやつる人間がどのように見えていたのか。

  「言文一致」という考え方自体が、どのような情報環境、どのような言語環境で「発見」され「認識」されていったのか、という問いは、話しことばと書きことばという単純な図式の上にもうひとつ、ある種異なるレイヤーとして「方言」、つまりドメスティックな言語環境とその内側で形成されていった生身の主体がそれら図式とどのように関わっていったのか、という問いを可能にする仕掛けを作ってゆくことになる。

 「方言」的身体から、どのように「言文一致」は認識されていったのか。

 「言文一致」が明治後半にすでに具体的な試みとして発動されていったにも関わらず、そのような「言文一致」を構想し作業として行っていった者たちの生身の多くが依拠していたはずの「方言」を、その「書きことば」の側に反映させてゆくという試みは、そのような試みを可能にする意識のありよう自体と共に、相当に遅くなっていたと言わざるを得ないのではないか。

 大阪弁、が話しことばとして「言文一致」的な枠組みと文脈とにおいて現前化していったのはいつ頃、どのような場においてだったのか。あるいは、他の「方言」においても、また。

 陸軍が長州弁、警察その他が薩摩弁の影響のもとに、それら職業世間での「話しことば」として成り立ってきていることはすでに指摘されている。そのような限定的な脈絡で限られた職業世間での「書き言葉」、たとえば書類の書式などにおいて結果的に「方言」の痕跡が記されてゆくことはあり得るかも知れない。役所や法曹関係などの扱う文書に、そのようなある種の「方言」の痕跡とも見えるような特殊な「隠語」めいた成りたちの語彙が未だに混じっていたりするのも、広く言えばそういうことなのかも。

 話し言葉しかない言語空間で社会化していった主体の意識や感覚にとって、耳から響く言葉によって喚起される想像力、身の裡に宿ってゆくはずのイメージがどのようなものだったのか。「イメージ」とひとくちにくくってしまうしかとりあえず仕方ないようなものだが、でもそれを映像的なビジュアルなあらわれとして見る、感じる枠組みというのは、文字の読み書きを実装してしまった生身の裡にあるそれとどう違うのか、あるいは地続きなのか。

 速記を介して書き言葉に変換された講談を「読む」ことができるのは、少なくともひらがなプラスアルファ程度の読み書きが可能なリテラシーを実装した生身だっただろう。けれども、その同じ生身はその少し前まで文字とは無縁の、話し言葉だけの言語空間で社会化して人となってきた個体だったりもしたはず。ということは、そういう生身の「読む」文字というのが、同じ書き言葉であってもまた異なる響き方、イメージ喚起力を伴っていたかもしれないことも、可能性の相においては考えておいていいはず。

 それは講談本だけでもない、新聞であり、あるいはビラであっても、いずれ文字によって記されているものを「読む」段において、想定外な読み方/読まれ方というのが同時並行的にされていた可能性について、どこまで留保してゆけるかということにもなってゆく。

 

「年上のオトコの人(先輩?orキャプテン?その他)」のこと・雑感

 すでにどこかで誰かが考察していることかも知れないけれども、浅学非才の無職老害化石脳ゆえ、半径身の丈の見聞では未だちゃんと遭遇したことがないので、やっぱり自前でお題にしておくことにする。(とは言え、40年以上前からわだかまっているお題のひとつ、ではあるのだが、例によって例の如く)*1

 いわゆる「恋愛」的な体験として、異性間の関係のつき方/つけられ方――つまり「男女交際」のありようが、「学校」的環境を前提に展開されざるを得なくなって以降――違う言い方をするなら、地域の共同性に根ざして「そういうもの」として維持され稼動してきていたような、それこそ若者組・娘宿的なたてつけでの「男女交際」が、「学校」という場を介して体験されざるを得なくなっていった過程がマチであれムラであれ避けられないようになっていってこのかた、おんなさんが「年上」のオトコとくっつきたがるという習い性によって、学年が上のオトコとオンナはくっつくものだ、という共通理解が「学校」を介した「男女交際」の経験において、おとこ側に認識されていったことと、その意味やその予後について、なのだが。

 同じ教室、同じクラスで「同学年」としてくくられて日々すぐそばにいる異性――この場合自分がオトコなのでオトコ目線&感覚で言うのだが、そういう異性であるおんなのこ、が「恋愛」的な感情を抱いてくれる対象として自分(たち)同学年のオトコを見てくれることが、「実は」そうそうないらしい、ということを思い知らされていった過程。

 いまどきの若い衆、お子たちにとっては、また全然状況も事情も違っているだろうから、ひとまずすでに昔話、それも半世紀以上も前の昭和で高度成長期な本邦ニッポンの一隅での1/n事例ベースの与太話として聞いてもらえばありがたいのだが、自分らの時代、昭和40年代あたりの小学生にとっちゃ「恋愛」はおろか、サシの「男女交際」なんてのもまず想定外、いやそりゃ当時なりに好ましいと思えるなんとかちゃんというのはいなくはなかったけれども、だからと言ってそれをあからさまに「告白」すること自体がものすごいハードルであり、それは実際に実行に移すことに対する敷居の高さもさることながら、そういうことをやる自分自身に対するある種の嫌悪感なり罪悪感なりがおのがココロの裡にものすごくあって、おそらくまずそこを何かの覚悟と共に目をつぶって乗り切らないことには、具体的にどういう局面、どういう状況でどういう風にその「告白」をするべきなのか、そもそもどうやってきっかけをつかむのか、つかんだところで何をどう言えばいいのか、などなど考えれば考えるほどわけわからんことになるしかなく、だからまあ、とてもじゃないが実践的な立ち居振る舞いにまで考えが及ぶようなものではなかったということであります。

 「告白」した結果、どういうことになるのか、という恐れももちろんあった。あったけれども、しかしそれは「フラれる」ことへの恐怖感というよりも、一対一、個と個の関係でサシでこれまでとは違う何かトクベツなものになる、少なくともそのように相手はもとより「まわり」にも見られるようになる、自分のまわりのオトコたちと共にもちろん相手のおんなのこたちの間にも同様に、というあたりの事態への想像力がもたらす得体の知れない明日について、だったように思う。

 つまり、まわりからひとり違う存在になる、そうやって「浮く」ことを異性に対する「好き」という感情を介して敢えて選択して行動する、ということへの忌避感が、そのハードルの高さを現実的に感知する最大の理由だったかもしれない。

 それはひやかされたり茶化されたり、そういう風ないじられ方をまわりからされる、という方向だけでもなく、それまでひとからげに「ともだち」なり「遊び仲間」なりの関係で、もちろんそれなりに濃淡はあったにせよ、でも「学校」の「教室」ないしはそこと紐付けられた「地元」「近所」の文脈においてはまごうかたなく「子ども」であり「おとこのこ」つまり「クソガキ一般」でしかなかったカテゴリーの中から、ひとり違う一線をまわりとの間に好んで引いてしまう、そのことで「子ども」「おとこのこ」「クソガキ」であることは相変わらず変わらなくても、でもそれとは別にちょっと違う属性がついた見られ方をされてしまう、まわりの「友だち」からもだが、それ以上にその「学校」なり「地元」「近所」なりも含めた文脈においてもそうなるかもしれない、という、人間関係の拡がって行き方についてのそれまでの経験の限りでは想定しにくい事態が次に必ず待っている、という予感によってだった。

 サシで「つきあう」ような事態が実際に訪れることはなかったけれども、それがある程度現実問題として自分ごとになってくるのは、中学校にあがってからだった。というか、そのように一対一で「学校」「教室」「地元」「近所」とは違う文脈で関係を持つ、そのような機会を望んで持つ、まあぶっちゃけ「デート」ということになるのだが、いずれそういう事態を自分も望み、そして相手のおんなのこも許容して、という手続きの後にそういうことになるわけで、いまだと「性的交渉の同意」がどうたらとかそういう剣呑なハナシにもつながってゆくのだろうが、でも当時は「デート」をすることに同意する/される、それが「男女交際」とその頃言われていた語彙の内実のほぼ最大公約数であり、まただからこそその次に「健全な」「純粋な」といった形容がついた上でのいろんな縛りも「学校」「地元」の「おとな」の側からつけられるようなものではあったのだ。

 ああ、「男女交際」! 裏返しになると「不純異性交遊」にもなり得た、そういう魔のひそんだ入口。「性教育」だの「妊娠」「避妊」だの何だのという、当時としてはむくつけな語彙も太刀持ち露払いに控えつつ、それは概ね10代にさしかかって間もない頃にそれぞれくぐらされざるを得ない、その頃なりの通過儀礼、「おとな」――と称されるいずれ近いうちにそうならねばならないものだが、でもその具体的なありようもそうなるための道筋もいまひとつよく見えないまま茫洋としていた、つまりはそんな得体の知れない「こわいもの」へ向けて横並びに誰もが押し合いへし合いに向かわされるようなものだった。*2

*1:かつ、最初に草稿にしたのがいつのことやら、すでにわからんようになっとるというのも含めて例によって例の如く、ではあり。とりあえず日付は何となくその頃だったかな、程度でよろ。

*2:以下、例によってgdgdと間歇的に、おそらくずっと続かざるを得ないお題として。

ギャル~コギャルからヤマンバまで・メモ


 「バンギャはギャルの一種か」みたいな話が流れてきて、1996年から1999年にかけて高校生だったギャル文化直撃世代のおじさんはびっくりしたので、ちょっと整理しておく。


 まず、「ギャル」には広義と狭義の2種の用法がある。


 広義のギャルは若い女性を指す俗語に過ぎず(ただし、「派手めな」とか「勢いのある」程度の含意はある)、「オヤジギャル」や、亀仙人の言う「ピチピチギャル」などの用法はこっちの意味。今では狭義のギャルに駆逐された感があり、あまり用いられない。「バンギャ」の「ギャ」は広義のギャルから来ている。


 これに対して狭義の「ギャル」は、90年代に登場した用法で、若い女性の中でも特定のファッション傾向やライフスタイルを好むグループを指す。


 「コギャル」や「ヤマンバギャル」、00年代初頭に流行った「おねギャル」などは、概念的に整理すると狭義のギャルのサブジャンルと考えられるが、成立上は、むしろ 「コギャル」が先(狭義の「ギャル」の語源)、あるいは同時発生的だったかもしれない。

 「コギャル」とは「高校生ギャル」の意味だが、派手な髪色とメイク、短いスカート、ルーズソックスといった共通の特徴を持つ女子高生を指した。つまりこれが、ファッション等のカテゴリとしての狭義の「ギャル」の起こりだと思われる。


 ただし、「コギャル」は基本的に他称だった。当の高校生は通常「コ」を付けず、「あの子はギャル系だ」などと言っていた。


 なお、ギャル系でない、モードやパンクスなど、文化系っぽい女の子のお洒落は、当時「個性派」と総称されていた。バンギャがどっちに入るかと言ったら当然「個性派」に分類されたわけであり、「バンギャが(狭義の)ギャルの一種なわけないだろ」というのがリアタイ勢の共通認識だと思う。


 ところで、「オタクに優しいギャル」と言われる場合の「ギャル」は、当然狭義のギャルを指している。だからファッション等の再現度が低いとツッコミを受けるわけである。
これに対して広義のギャルを持ち出しても反論にならないことに注意。

 Xで、ギャルのカルチャーの定義や、フィクションでの描かれ方についての話題を見かけました。現在の「ギャル」という言葉のイメージが、当時のリアルな空気と乖離しているのではないか、という内容です。


 ちょうど私が高校生だった90年代後半あたりが全盛期だったように思いますが、後から再編集されて語られるイメージや、その系譜にあたる現代の「ギャルマインド」と呼ばれるものには、当時の記憶とどこか噛み合わない部分があります。


 ただ、同時代の空気を知っているからといって、その記憶がそのまま正しいとも限りません。当時はそれをカルチャーとして意識していなかった私には見えていなかった現実もあるでしょうし、当事者であっても、意識的あるいは無意識に記憶が書き換えられていることがあります。最近『インセプション』を見返した影響もあってか、そのあたりは余計に気になります。


 そうしたときに手がかりになるのが、当時の雑誌です。流行や言葉遣い、広告や誌面の空気といったものが、そのままの形で残っています。
個人の記憶や後年に整理された情報とはまた違った手触りがあり、ページをめくるだけでも発見があります。


 当店でも、当時の雑誌をいくつか扱っています。ギャル雑誌の代表である「egg」もそのひとつです。
誌面を実際に見てみると、現在流通しているイメージとは異なる側面が見えてくることもあります。かつてはどの本屋にもあり、友人の部屋にも無造作に積まれていた雑誌から、長い時を経て新たな発見を得られるとは、当時は思いもしませんでした。


 「egg」に限らず90年代のファッションやカルチャー雑誌は、現在では流通量も限られ、気軽に手に取れる価格とは言いがたいものになっています。
海外から探されている方も多く、需要の広がりを日々感じています。
時代の空気を知る手がかりとして、こうした雑誌に触れてみるのも面白いのではないでしょうか。

 男のチーマーとかカラーギャングとかの荒くれ系のカウンタパートがガングロギャルだったんだよな。今はこういうB層若者文化が衰退して、格差が広がった令和の都内で小金持ちのお嬢がギャルというブルーオーシャンを開拓してイキってる感がある。

 妻とドライブ中ふとXの話題を思い出し


「そういやNANAってギャルじゃないんだって」と言うと「どっちかと言えばパンクスでは」と即答が返ってきたので、この際なので疑問を解消したいと思い、続けて「ギャルってなんなの?ファッション?」と尋ねると「ファッションとマインド」との事だった

  「マ、マインドとは?」
  「ギャルは反省するけど落ち込みはしないんだよ」
  「教義があるのか……その経典はなんなの?皆どこで学ぶの?」
  「eggとか?」

 というような会話をし、思ったより求道のような概念的な話だったのでこれ以上深く掘り下げるのはやめ、分からないまま終わった