近現代史アカデミズムのワヤ・メモ

 近現代史のアカデミックは本当にヤバいよ。自分がテーマにしてる日中戦争なんか公平な視点の論文は通らない。実際に自分が査読で受けた指摘で「日本の善政を喧伝する気か?」ってのがあった。いや、そうではなくて…の完全論破したけど、過去3本の論文はすべて投稿から掲載まで2年以上かかってる。(続)


 学者がコントロールする学会誌は査読以前にリジェクトだから(実際にそうだった)、自分の投稿先は公的機関のジャーナルだけ。それでも査読者の片方は概ね左翼系なんで、元ツイのような指摘が入る。本職なら潰されてお終い。というか、日中関係史をやるなら、実証研究は清末までしかできない。(続)


 だから日中関係史の1911-45年は左翼の反日史観だけがあって、実証研究は疎らなんだよね。これが自分のような在野の趣味人でも査読論文が出せる理由。3本の論文を出したときの自分の学歴は高卒。高卒でも論文出せるほどスカスカってこと。日本で「学問の自由」を最も侵害してるのは左翼学者だよ。(続)


 自分が過去3本の論文でガチンコした経験からすると左翼学者は論破しやすい。すごい剣幕(の査読コメント)でガーガーやってきても、自分のような素人の論破で掲載に至るわけだし(遅滞戦術の効果は認める)。主義思想が先行して盲目なうえ、仲間うちのなあなあでやってるから知的退化するんだと思う。


 どんな論文なのか興味のある人はリンク先を見てね。前職時代の共著も含むリストだけど、査読でガチンコしたのは日中戦争がテーマの3論文。ジェトロのジャーナルに掲載したインフラ整備の2論文はネットでPDF公開されてます。
researchmap.jp/satoshi_tokuna…

 今に始まったこっちゃない、ではあるんだが、な。

 「歴史」と「(本邦の)歴史学」は別モノ、という認識を早い時期に持てた、持たざるを得なかったことは、自分的にはありがたかったとはおも。特に、「近現代史」おまえはあかん、と、リクツ抜きに肌身で思い知ったのは、最初にフルタイムで赴任した大学の上司のおかげだった。(以下、とりあえず忖度&自粛)

 で、それから30年以上たって、未だにこういうていたらくというか、さらに蠱毒化が進行してがんじがらめ、もう到底自らの手で内側から自浄などでけんようになっとることは、ここで触れられているごく断片からでも容易に推察できる。

 ただまあ、若い衆世代(だろう)がこういう形であれ、ワヤの実態を認識できるようになったことは、ひとつ進歩なのかもしれんけれども、それでも内側から自ら自浄、というのは、おそらくどうやってもムリなんだろうな……

安倍国葬ガースースピーチの本質・メモ


www.youtube.com




 菅前総理の弔辞について気づいたことを。まず、弔辞をスピーチライターが書いたのではないかといった噂が飛び交っていますが、私は本人が書いたと見ています。それはスピーチ冒頭にヒントがあり、ライターが書く場合あのような「7月8日…」からはじまる心情描写を選択しないだろう、と私は考えます。


 私の想像ですので外れている可能性も含めてお読みください。日本のパブリックな挨拶は基本的に岸田総理の弔辞のようなはじまり方をします。(「国葬儀が行われるにあたり…追悼のことばを捧げます。」)これは私たちの国の特性。挨拶や弔辞といえばこのようなはじまり方、という暗黙の型がある。しかし菅前総理は冒頭から心情を描写した。「あなたのお目にかかりたい、同じ空間で、同じ空気を共にしたい。… 最後の一瞬、接することができました。」この特徴ある冒頭は、本人の納得感があってはじめて実現される新鮮な入り出しであり、彼が迷いなく話す様子をみて私は、本人の言葉そのものだと感じた。


 弔辞では感情を吐露されていた。私はこの仕事をするにあたりこれまで菅前首相の話し言葉を分析してきたが、彼の感情が露わになったスピーチを読んだ記憶がない。今回の弔辞は数多の感情で溢れていた。「哀しみと怒りを交互に感じながら…」「私は本当に幸せでした。」青い炎、本心が肉声で語られた。


 特に印象深かった言葉がある。「安倍総理…とお呼びしますが、ご覧になれますか。ここ武道館の周りには花を捧げよう、国葬儀に立ちあおうと、たくさんの人が集まってくれています。」菅氏は目の前の安倍氏に確かに語りかけた。まるで安倍氏が生きているように。この言葉はより一層聴衆の集中を集めた。


 他にも細かい点を上げれば、総理と呼ぶたびに視線を上げていたこと、銀座の焼き鳥屋で総裁選出馬を口説いたこと、1212号室の机上の本。語りたい事ばかりだが、総じて菅前首相の言葉が届いたのは「目の前の(記憶の中で生きている)安倍氏に向かって」話し「思い出を大切に記憶していたこと」ではないか


 菅前首相の弔辞を見ながら、かつての菅氏のことを日本社会が「伝え下手」だとレッテルを貼った事自体にも言及したい。言葉に思いを込めることができる菅氏があのような指摘を受けたのは、日本のパブリックスピーキングに蔓延る「正式な場面での文章の型化」に問題があるのではないかとも考えてみたい


 お決まり事のようにただいまご紹介に預かり、冒頭に来賓へ感謝申し上げる。話し言葉に適さない一文の長さ。はじめて聞く聴衆に配慮しない情報量の多さに、誰か読んでも同じ堅苦しい文章。結果、飽きた空気が会場に蔓延する。こんなスピーチのつくり方を永遠にしていたら真のリーダーは生まれない。


 前首相、現首相の言葉を聞いた私たちは今、自らはどんな言葉を普段発しているのか、自分ごととして考えていく必要がある。そして菅前首相のように「日本に蔓延るスピーチ文書の型化」から抜け出し、あなたにしか話せない言葉や思い、経験を語っていくことの重要性に気づいてほしい。

左翼マスコミの30年・メモ

 平成3年に入社したころ、静岡県警本部はまだ静岡県庁に間借りしていて、庁舎管理権がなかった。そのため、よく記者会見やレクが開かれて、左派系の弁護士や活動家がよく来ていた。弁護士はともかく、自称市民団体の活動家が、やたらに上から目線で、とにかく鼻に衝く。それにいつも同じ顔ぶれの人が「反原発」「憲法9条を守ろう」…、とにかくお題が変わっても「あれっ? この人、前も来ていたな」ということに気が付いた。以前から三島で丸正事件の自由法曹団の集会があったころから、三島で静岡市から車を飛ばして日曜日に出かける程度には「心情左翼」だった僕が<少しずつこの人たちに違和感を抱き始めた。つまり「忠魂碑訴訟」だろうと「長沼ナイキ訴訟」だろうと、「怒っている人たち」はいつも同じで、誰のためにこの人たちはやっているんだろうか、と。それに僕の高校、大学の頃から「いつか再び戦争が」とか「近づく軍靴の足音」と言っていた朝日新聞ロナルド・レーガンアメリカ大統領に就任すると「戦争の危険が」と言う。そのころは世界史が得意科目だったから「いや、戦争の原因はソ連チェルネンコじゃね?」って思う程度にはなっていた。朝日は中曽根内閣のときも「元戦犯が首相に」とか「タカ派政権に日本の危機」「軍靴の足音」とか、今の国葬反対みたいにワーワー言っていた。レーガンは米ソ冷戦を終わらせ、中曽根はあの面倒臭い官僚組織、国鉄を分割民営化させ、切符代が爆下がりした。決定的だったのは、やはり横田めぐみさんの件だった。


 「北朝鮮は拉致なんかやってねえよ」 共同通信も朝日もTBSも少なくとも僕の周囲にいた記者はみんな言っていた。きわめつけは元過激派が経営する居酒屋で「午後は〇〇テレビにキム・ヘギョン(ウンギョン)ちゃんに出てもらって横田夫妻と感動の御対面をすればいいだよ」と言い放った左翼の爺さん。もう正気を失った。「この人たちはおかしい」 それと同じことが安倍晋三さんを喪った日本で起きている。「アベは死んで当然」「山上はヒーロー」 今は心情的に左翼の味方をしていても、あのときの僕と同じように、少しずつ距離を置く人って多いんじゃないかな、と思う。だって映画化だよ!? 産経の阿部雅美さんが拉致をスクープしたときは「産経の飛ばし」、平成9年の国会で騒ぎになった段階でも「産経だから」「産経は反動だから」(本当に言い放った奴がいた) で、言い放った奴はそんなことも忘れて相変わらず、同じような記事を書いている。

拝啓 岸田首相・メモ

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拝啓 岸田首相


 首相が「新しい資本主義」と主張された時、正直、私は期待しました。新自由主義で痛めつけられてきた日本。貧富の格差が拡大し、貧しい人は這いあがれず、新型コロナで生活がままならなくなった人が増えました。そうした人たちに光を当てる経済政策がついに始まるのだ、と。


 しかし、首相が「資産所得倍増計画」と言われた時、耳を疑い、呆気にとられました。「それでは『新しい資本主義』どころか、新自由主義、あるいは株主資本主義そのままではないか」と。その時の衝撃は、私ばかりではなく、多くの人たちも感じたようです。


 首相が5月にロンドンの金融街ティーで講演され、「資産所得倍増」を唱え、だから「日本に投資してほしい」と述べたこと、私は次のように解釈しました。首相は、「もし『新しい資本主義』で労働者に手厚く配分し、富裕層に課税するようなら、日本株を売り浴びせるぞ!」と脅されたのではないか、と。


 海外投資家は今や、現物の売買代金で58.2%、先物の売買代金で73.0%と、最大の投資家となっており、もし日本が株主資本主義から足を洗い、投資家や富裕層に課税をするなどしたら、海外投資家からすれば、日本は魅力を大きく損なうでしょう。

 しかも、株主資本主義の先進国だった英米が、見直しを始めていると聞いています。そんな中、日本まで株主資本主義の見直しがなされれば、海外投資家は金儲けする場所を失ってしまいます。そこで岸田首相に働きかけ、「新しい資本主義」を改めさせようとしたのではないでしょうか。


 「資産所得倍増計画」なら、理屈としては、国民全員が株などの資産を持ちさえすれば、国民も資産所得を得る立場となり、首相が訴えてきた「新しい資本主義」とも理屈の上では整合する、と、首相に入れ知恵した方がいらっしゃるのでしょう。そうでもないと、この変貌ぶりは説明できません。


 しかし、首相もすでにご存じでしょう。2019年の調査では、日本人の半分以上の家計で、貯蓄が100万円以下しかございません。この人たちは、突発的なことがあれば貯蓄をすべて吐き出さねばなりません。株を買う余裕が一切ない方たちです。それが国民の半数以上です。

 貯金額の平均値は317万円、全体の53%が貯金100万円以下 「貯金実態調査2019」を実施


 新型コロナでさらに困窮した家庭が多いことを考えると、この数値はさらに悪化している恐れがあります。株などの資産を買うには、何年も使わずに済ませられる現金が必要です。しかし、そんな余裕もなく、新型コロナでそのわずかな貯蓄も使い果たした方が大勢いらっしゃるようです。


 従って、残念ながら、「資産所得倍増計画」は、国民の半数以上には、一切無関係な政策となる恐れがございます。もし、首相が全国民に日本の株を分配するというのなら別ですが、首相のこれまでのご発言から拝察するに、自らの貯蓄で資産を買うように、というご意図のようです。だとすれば。


 国民の半数には、「資産所得倍増計画」は無意味なものになり、資産を形成できる、多少なりとも余裕のある人たち、あるいは富裕層だけが所得を倍増させ、豊かな生活を送れる、ということになります。つまり、貧富の格差をますます拡大することになります。



 日本の労働者のうち、年収200万円以下が28.3%、男性は12.3%、女性は49.7%が年収200万円未満です。私の知人でも、関関同立の、関西では有名な私立大学出でも、200万を超えると「けっこうもらっているね」という感想になるそうです。低所得化が非常に進みました。
https://www.mhlw.go.jp/shingi/2010/02/dl/s0205-8a_3.pdf


 低賃金層が多く、貯蓄が100万円もない社会状況で「資産所得倍増計画」を推し進めれば、格差は広がるばかりです。しかも、「資産所得」のお金はどこからひねり出すのでしょう?それは、働く労働者が稼ぎ出したお金ということになるでしょう。株主は、労働者から搾取する形となります。


 となると、「資産所得倍増計画」とは、労働者からさらに搾り取り、低賃金化し、それで浮いたお金を株主に配分する、という、株主資本主義そのままとなります。それが果たして首相の望んでいた「新しい資本主義」なのでしょうか?首相への国民の期待は、裏切られたと申すべきではないでしょうか。


 なぜわざわざ、ロンドンの金融街シティで「資産所得倍増計画」の講演をしたのか。海外投資家から「日本株を売り浴びせるぞ!」と脅されたのではないでしょうか。もしそうなれば、日本株は暴落、日本株の最大の所有者である日本銀行の信用がぐらつき、現在と比べ物にならない円安となったかも。


 首相はそれを食い止めるべく、「新しい資本主義」を「資産所得倍増計画」に読み替える、という苦しい言い換えをすることで、この危機を回避したのではないか、と拝察します。一国の宰相ともなれば、こうした腹芸が必要だと思いますので、やむを得ぬ仕儀ではないか、と、一定の理解をしてました。


 しかし、先日のNHKスペシャル中流危機を超えて」を視聴し、首相への信頼は、完全に崩れ去ってしまいました。この番組で登場した駒村教授(慶応大)は、低賃金の中でも必死になって働いてきた労働者さえ「企業依存」だとし、新しい仕事に順応できないなら解雇できる社会に変えることを示唆しました。


 成長分野に人材を集め、成長分野に順応できない人材は切り捨て、国が用意するセーフティーネットで救う、と駒村教授は提言していました。しかしこの主張は、たとえば竹中平蔵氏が20年来主張し、日本企業と政府が実践し、現在の日本にしてしまった政策と、瓜二つです。


 その結果、日本企業はイノベーションが起きず、雇用も増えず、賃金も増えず、イノベーションもだから起きない、という悪循環を続けてきました。竹中氏の路線がこの悪循環を生んだわけですが、番組で登場した駒村教授は、この政策をさらに強化せよ、と主張したわけです。


 このNHKスペシャルは、「政府寄り」と感じる方が少なくなかったようです。ということは、駒村教授に述べさせたのは、岸田首相など、政府首脳の方針なのでしょう。「新しい資本主義」は、派遣社員契約社員の形であろうとなんとか雇用してきたのを、全員解雇するものということになります。


 しかし、こんなことをしたら、「有能」とされたわずかな労働者と経営者、そして株主(富裕層)だけがお金を手にし、貧しい人は仕事も得られず、国から与えられるわずかな「お恵み」で生きていく、そんな社会にしよう、ということになります。ですが、この社会は成り立たないように思います。


 駒村教授の主張は、これまでの竹中平蔵氏の主張と違いが見えないくらいに一致しています。ということは、竹中氏と同様、「成長分野の邪魔をしないように、この分野には減税すべきだ」と主張することでしょう。すると、「有能」とされた労働者、経営者、株主はたくさんの利益を得ますが、国には。


 減税されているわけですから、国にはたいして税収が入ってきません。税収がないのに、多くの失業者に「セーフティネット」として、生活するためのお金を配分しろ、と駒村教授は言っているわけです。これでは国家財政が回りません。ということは、セーフティーネットはほぼ機能しないことでしょう。


 貧しい人は生きていくことができず、捨て置かれた状態になり、その憎悪は岸田首相をはじめとする、政府首脳に向かうでしょう。他方、「有能」とされた人、経営者、株主は栄耀栄華を楽しみ、しかも自分たちに向かうかもしれない憎しみは、政府に向かってくれるわけです。これは国家を危うくします。


 経済という言葉は、「世を経(おさ)め、民を済(すく)う(経世済民)」からきている、ということは、首相もよくご存じでしょう。しかし、駒村教授の提言をもし実現すれば、富裕層はますます富み、貧しい人はますます困窮し、貧しい人の憎悪は政府に向かい、社会不安は増幅するでしょう。


 つまり、駒村教授の提言は、「世を乱し民を棄(す)てる」、乱世棄民の政策だと言えます。しかし駒村教授がNHKスペシャルに出演したということは、政府の考えでもあるのでしょう。だから、私は首相に抱いていた信頼が失われてしまった、と申し上げたわけです。


 しかし、今からでも遅くはございません。海外投資家をはじめとする、株主による「日本売り」を回避する腹芸は必要ですが、駒村教授の提言は無視すべきです。そして、日本で低賃金で苦しむ国民のために、その雇用条件の改善を目指す政策運営をすべきです。


 賃金の条件が改善され、生活にゆとりが出れば、アイディアが生まれやすくなります。それがイノベーションを促し、日本経済を浮上させる力になります。たとえ一時的に苦しくても、全国民的に賃金を押し上げる努力を、少しずつ始めるべきです。


 戦後昭和の日本が、2000年代に突入するまで、数多くの世界的商品を開発し続けられたのは、全国民的に生活にゆとりを持てたからだと考えます。しかし竹中平蔵氏による政策が2000年代初頭に始まってから以降、日本は世界で強みのある産業を次々に失いました。


 ということは、竹中・駒村路線は、結果的に日本を弱体化させる政策だと、歴史が示していると言えます。もうこんな政策は、続けるべきではありません。首相が「新しい資本主義」と語り始めていたころの初心に戻り、日本の強みを取り戻すべきです。伏してお願い申し上げます。

*1:Twitterに限らず、それ以前から、割とあるある、なこういう「提言」系の、それもそれなりに筋の通った言説、良くも悪くもこういう言説を紡ぎたがり、かつ、表明し、時に直接行動に訴えて「成果」を得ようとする自意識のありようと共に。

*2:それが「正論」であり、そうでなくても一定程度の説得力を持った言説であること、と、このような訴え方を、おそらくはある種の「正義」の自覚として行なうこと、それが「良き選挙民」のとるべき選択肢のひとつ、であるかもしれないことも含めての、要審議の必要。

サイゼリヤ問答是非 (「外食」はハレの機会)・メモ

 サイゼリヤ問答、やっぱり的外れな「貧しさ」という言葉の用法に問題があると思う。だってバブルの頃は家族でデニーズに行くのが豊さやったんやで。どう考えてもこっちの方が貧しいやん。


 あとあの頃は高級ラーメンの作り方が分からなくてタラバガニそのまま乗せたり金箔乗せたりしてたんだよ。寿司もネタがシャリに対して五十倍くらいの大きさがあったり。


 そういうので育った人等のサイゼリヤdisですやん。滑稽ですやん。


 よく引き合いに出される「サイゼリヤ"で"喜ぶ彼女」の"で"にある含意も読み取れてないしね。そういうのが「読解力がない人らに燃やされてる」とか云うの、笑うしかないでしょう。


 この話、マジで歴史の話としてしないと通じてない人がいるようなので、歴史として云ってみる。


 デニーズ、サイゼリヤを含むファミリーレストランってのが出来はじめたのが1970年代のことで、その頃から1990年代の中頃くらいまでは家族連れがハレの日的な時に行く場所だったのよ。今みたいに気易くいくようなところではなかったし、これを「貧しさ」と云われるようなことは決してなかった。


 それ以前はデパートの食堂がそれに近い場所で、だからサザエさんとマスオさんのお見合いもデパートの地下の食堂で行われた。今だったらホテルの1階にある喫茶店とかでやるようなことを、デパートの食堂でしてたの。今のフードコートより随分地位が高かったの。


 抑も外食という行為それ自体が非日常的で地位が高かった。出前なんかもそうだったな。ドライブインの食事なんかも特別なことだった。


 それが、皆の生活水準が上がって、出前も、デパートの食堂も、ファミリーレストランも、相対的に地位が下がったのよ。ファミリーレストランなんかは、品質もバリエーションも上がり続けてるのに、非日常ではなく、日常になって、普通に行くようになった。


 今、とっておきの食事をファミリーレストランにしに行くってのは、貧困呼ばわりされるじゃないですか。バブル期にとっておきで食ってた料理よりも上等のものが出てくるのに(昔と違って厨房で一から作るようになってたりするのに!)。


 我々が豊かになってしまったことで、相対的に地位が下がり、非日常から日常に落ち着いてしまって、今顧みると随分とショボいもので喜んでたんだな、というバブル期のショボいものに大枚叩いてた頃の話をしていたわけです。


 PCエンジンメガドライブのグラフィックを当時「写真みたいや!」と喜んでいた奴が「Switchのグラフィックがショボい」とか、笑わせんなよ、という話なんである。


 だいたいバブルの頃って日本中にお金はあっても買うものがなかったのよ。それでボジョレーヌーボーを急いで飲んだり音が鳴ったら踊る花やジュースの缶の玩具をいい大人が買って部屋に並べてたの。足が生えた電話機とか。


 そういえばガッチャマン白鳥のジュンがデパートだったかで催された「外国の靴が貰えるかも」ってイベントに迂闊に参加した為にギャラクターに科学忍者隊の変身システムの秘密を盗まれて全員戦闘中に変身を解除されて困るってエピソードがあったな。


 あの頃のデパートと「外国」の地位の高さよ。
マクドナルドも仕方なく食うようなものになってしまったが、昔は子供の誕生日に行くようなところだった。


 ああいうのの地位が極端に下がったのはバブルの後半頃かなぁ。手前の感覚だと89年頃だが、これは地域によって差があるだろうな。今でも高い地位を保っている土地もあるだろうし。


 ファミリーレストランなどの地位が下がったからか、それが原因で下がったのか、そういうのを特別視しなくなって食うようになったのが、タラバガニ乗せたラーメンだったり、無闇にネタがデカい寿司だったりしたんだから、ホントにあの頃って、値打ちがない時代だったなぁ、と。


 価値あるものを無駄にすることが豊かさだと勘違いしてた時代だったと思う。

 何故かケンタッキーだけがクリスマスに食う特別なものという地位を今でも保っている。実はターキーがそんな望んで食うほど旨いわけでもないものだ、っていうのはあるかも知れない。

父がヤクザだった話・メモ

 私が4歳の時、母は父と一緒になった。パンチパーマで強面の人だった。何も持たずDV夫から逃げるように転がり込んだ。父の部屋に行くと「タンスの下を開けてごらん」中にはキキララやミニーちゃんのかわいい生活用品がぎっしり詰まっていた。一体どんな顔して揃えたのだろう。


 動物に好かれて優しくて、ちょっかいを出したら「意地悪するな!」って言われた。
 友達を家に連れてきた時「トイレ貸してください」と言われ「ちゃんと返してね」と精一杯の冗談を言ったつもりが逆に「返さなかったら俺どうなるんだろ!海に沈められたかな…」って怯えてた。


 同じ頃クラスメイトに「ムヨシちゃんのお父さんってヤクザ?」と聞かれた。親に聞いてこいと言われたのだろう。
 まわりのヤクザと呼ばれるおじさんは優しくてパンチパーマだったので「そうだよ」と答えた。罪である。次の日から知らない人のお母さんまで挨拶してくるようになった。


 いじめられた時は「学校なんて行かなくていい!」と言ってくれた。その後母を連れて学校に乗り込んだらしい。ヤクザみたいな親父が学校の真ん前に車停めて担任に「お前じゃ話にならん教頭と校長を呼べ」と立派なモンペである。(結果相手から謝罪の電話が来ていじめはなくなった。しかし全校で浮いた。)


 中一の時父が死んだ。葬式にガチのヤクザが来て「○○組で組葬をさせてほしい」と言われた。誰もが本物だったんかワレと思った。父は家庭に恵まれなく面倒を見てくれた人がその筋だった。


 ヤクザだけどクッキー焼いたよ!みたいな人で、手先が器用でテトリスはいつもコサックダンスだしお気に入りの毛布が破れた時は綺麗に縫ってくれたし、アホほど胡椒の入ったもやし炒めすごく美味しかった。雀荘の名前決めるのに私のりぼんやなかよしを読み漁ってた。初婚で本当は子ども欲しかったろうに私が寂しい思いをしないよう子どもは作らなかった。そんな最高の親父のことを思い出した。 #父の日


追記:器用な親父なんてどこにもいると思うだろ?親父片腕なかったんだ。子供の頃事故で。私は両手あってもテトリスは□と長い棒しか許せないし縫い物もできない。血は繋がってなくても爪の垢煎じて飲んでおけばよかった。

 父の日になんとなく呟いた思い出がこんなに伸びてしまいましたが…とくに宣伝することもないので書き足しを。


 母は不倫?→お金がなく私が寝てから飲み屋で働いていた母。母に惚れ込んで毎日通ってきたのが父。口数少なくただ飲んでるだけの人で事情を話したら「来い」と言ってくれた。交際0日です。


 ヤクザなんて悪どいことやってるだろ美談にすんな→私はその道に詳しくないので仰るとおりかもしれません。
 母が「あんた組に入ってんの?」と一度だけ聞いたら「入っていない」と言いそれ以降は聞かなかったそうです。
 ちゃんと働いていたし、組からお金も貰っていませんでした。
 人を苦しめるのはチンピラと三流ヤクザです。
 本職の知り合いが多かったし、組葬をあげれば組にお金がはいるので今思えば来るんですよね。昔のことなのでなにもわかりませんが。

夢見る「家庭」の光と影

 今年で30になります。僕、恥ずかしい話なんですがこれまで一度もデートに行ったことないんですよ。もちろん彼女がいたこともありませんよ。最近ニュースで話題でしょう。なんでなんでしょう?僕が悪いんですか?それとも社会が悪いんですか?僕の人生を振り返ってみるので、みんなで考えてみませんか?


 生まれたのは九州のあたりです。あのあたりってヤンキー文化というか、悪そうな人がモテるんですよ。頭がいい学校でもそうなんですよ。腰パンは当たり前。短ラン着てる人までいました。そういう街の公立校で、僕は教室の隅で大人しく勉強していました。もちろんモテませんでした。


 大学は慶應に行きました。早稲田も受かったし、地元の人は結構そっちに進学する人も多かったけど、なんと言うか、慶應のほうがカッコいいじゃないですか。地元の目の届かないところで、僕はいわゆる大学デビューをして、急にモテる人間になれるんじゃないかと、そんな甘いことを考えていたんです。


 日吉に行ったことがありますか?テレビに出てくるような慶應生なんてほんのひと握りで、大半は早稲田と変わらない芋臭い学生ばかりなんです。棲み分けがあるんです。内部生といえば志木高生しかいないような、大人しい人が集まってウェイウェイ言ってる川原の石の裏みたいなテニサーもあるんです。


 僕はそこにすら入れませんでした。最初は無理して新歓ディズニーとか行ってたんですけど、そうするうちに僕は人とうまく話したり、飲み会に誘ったり誘われたりするのが苦手なんだと気付きました。地元では地元のせいにしていたそれを、東京に来てまざまざと、自分のせいだと思い知らされたんです。


 テニサーはフェードアウトしました。語学の授業なんかでも僕は誰からも話しかけられませんでした。期末試験も入ゼミ試験も就活も情報戦です。情報は友達から入ってきます。僕に友達はいません。4年経てば、名前も聞いたことのないSIerの内定しか持っていないコミュ障の慶應生が仕上がりました。


 就職先はマーチが多くて、日東駒専もいました。僕は同期の中で一番学歴がよくて、でも相変わらず友達はできませんでした。同期ラインは動かなくなりました。でもみんな飲みに行っていました。たぶん僕以外の同期ラインができたんだろうと気付いて、耳がカッと熱くなって、心臓がドキドキしました。


 仕事を頑張ろうと思いましたがうまくいきませんでした。文系の仕事なんてのはつまりコミュ力です。段取り調整です。潤滑油あるいはローションです。「地頭はいいだろうからもっと周囲とうまくコミュニケーションを」毎期末の評価はB続き。日大の同期が先に昇進しました。死にたくなりました。


 ところで私生活はどうでしょう?驚くほど何もないんですよ!親の言うとおりに帰宅部でお勉強ばかりしてきたせいか、趣味らしい趣味はありませんでした。でも休日、芝浦の日当たりの悪い海っぺりの狭い1Kで潮臭い空気を吸って吐くだけでは頭がおかしくなりそうで、無理やり家を出る理由を探しました。


 銭湯にサウナ。スパイスカレーにクラフトビール。シングルオリジンにオリジナルブレンド。共通点が分かりますか?全部「ひとり」でできるものなんです!東京には目に見えない孤独なコミュ障がひしめいていて、彼らのためのビジネスが張り巡らされているんです。東京とはそういう街なのです。


 それらの趣味の情報収集用に、ツイッター始めてみたんです。嘘です。ほんとは趣味を理由に人と繋がりたかったんです。でも駄目でした。フォロワー2,000人くらいのアカウントに媚びてオフ会に行ってみました。恵比寿のエイト。陽キャぶってる陰キャばかりで馴染めなくて、一次会で帰りました。


 じゃあ陰キャ同士仲良くなればいいじゃんと言うかもしれませんが、人とうまくやれない人同士がうまくやれるわけないじゃないですか。日程調整の会話すら成り立たないんですよ。そして偉そうに俯瞰して語っている僕自身がそのひとりだと「分かってしまっている」のが、死にたくなるほど辛いんですよ。


 本題に戻ります。友達もできない、飲みにも行けない人が、デートなんてできると思いますか?出会いがない、という言葉は甘えというか逃げです。職場に、クラフトビールバーに、ツイッターに、女の子は無限にいます。ただ自分に彼女らを惹きつける魅力がないから「出会い」が生まれないだけなんです。


 世の中にはマッチングアプリという便利なものがあります。アレをやればいいじゃないかと言う人もいるでしょう。でも何となくやりたくないんです。あんな出会い系をやっている女とは付き合えないとか、そんな偉そうなことを思っているわけではないんです。何となくやりたくない、それだけなんです。


 たぶん僕は「恋」を、あるいは「女の子」を、あるいは「他人」を神聖視しているんだと思います。なぜならそれらは、いつも僕の遠いところにいて、僕はいつもそれが欲しくて、じっと眺めて、でもどうしても手に入らなくて、今更ジェネリック品なんて買えなくて、理想ばかりが高くなってしまったんです。


 「つまり私は極めて高尚な愛の理論家だったのです。同時にもっとも迂遠な愛の実際家だったのです。」夏目漱石「こころ」の一節です。これを芝浦の誰もいない部屋のニトリのベッドで読んで、これは僕だ、と思いました。のちに自殺することになる「先生」の言葉です。先生は僕だと思いました。


 30歳。慶應卒。港区在住。年収600万。努力して、悪くない人生を積み上げてきました。でも上には上がいます。恋とか愛とか家庭に逃げることもできない。それは単に僕がコミュ障というだけの話ではなく、コミュ障の僕ごときが手に入れられる程度のそれを飲み込みたくない。そんな理由なんです。


 「合コン」ごときで出会いたくない。「マッチングアプリ」ごときで出会いたくない。「お店でのナンパ」ごときで出会いたくない。「そんなに仲良くない友達の紹介」ごときで出会いたくない。「残り物の押し付け」ごときで出会いたくない。


 いつか理想的な女の子が、理想的な方法で僕の前に現れて、理想的なデートをする。そうして理想的な結婚をして、理想的な家庭を作って―― その「理想」が分からないんです。どうすればいいか分からないんです。だからこうして、今日も立ち止まったままなんです。誰か助けてくれませんか?

 「家庭」というもの言いに、何か「夢」でも「理想」でも、あるいは何かの完成形でも、託すことのできる若い衆世代はさて、昨今どれくらいいるものだろう。

 稼ぎが少ないから結婚できない――これだけなら昔からあることだったし、それこそ「ひとり口は喰えなくても、ふたり口は喰える」の喩えに従って共働き、いや、それは今や全く普通の家庭の形態だったりするんだろうが、それでもなお「喰えない」、だから結婚できない、というエクスキューズが出てくるご時世。

 おそらく、なのだが問題は、その「喰えない」という内実がかつてとはもうとっくに別ものになっているらしいこと、とにかく日々の食い扶持が確保できればそれで最低限クリア、腹すかせることなくとりあえず生きてゆけるならまず合格、といった感覚からすでに遠く、夫婦であれ家族であれ、それぞれの「個人」の「自由」が望まれる水準で確保されていること、生活空間的にも、また日常の人間関係などにおいても、といったことが、実はその「家庭」の「生活」のあるべき理想の状態というものさしがかなりの程度自明に、本邦国民一般その他おおぜいの水準で実装されてしまっていることが、金銭ゼニカネ経済的な縛りによる「喰えない」とは別のところで、あるべき「生活」を規定している要因になっている、そこなんじゃないだろうか、とは、例によってかねがね。

 異性と「つきあう」こと自体が「めんどくさい」という感想が、ちょっと話をすると、割と普通に口をついて出てくるようになっているのがいまどき若い衆世代。異性に限らず人間関係自体が、というのも含めてなのだろうが、ただ、その中でもその異性との関係が特別に疎ましいものになっているのも確からしい。もちろん、それは「性的存在」という領域が否応なしに関わってくるがゆえのめんどくささであるのだろうが、異性を前提にしたそのような「性的存在」の自覚のしかた、されかた自体がもう標準形ではないということになってしまっていて、となると、異性同士のつがいによって成り立つものになっていた「夫婦」「家庭」のたてつけの「そういうもの」としての自明の約束ごとの部分からして、すでにほどけてしまっているということになる。

 あの「おひとりさま」とか能書き並べていた上野千鶴子じゃないが、あれはそういう性的存在という領域すら勝手に否定できるものと思い込んでしまった果ての、だから異性同士のつがいによる「関係」さえも「そういうもの」から解除してしまったがゆえの、「自由」な「個人」「個体」の引き受けねばならなくなった現実についての、期せずして出てきた認識のありようが逆説的に込められていたのだと思う。単に素朴な「ひとり」でなく、わざわざ「おひとりさま」と距離を置いて、腫れ物的にまわりから扱われなければならなくなっている個体。しかもそそれを自らのありようを表現する語彙として、自分から言い出さねばならなくなっている皮肉。ある意味接客的な環境、サーヴィスが商売として成り立っているような「場」においての扱われ方しかされなくなっていることを、意識しているのかどうかはわからないが、とにかくうっかりと表明してしまっていたもの言いではある。

 そういう「おひとりさま」的な「個体」としての「自分」を前提とした日常に繰り込まれてしまっている限り、ここで表明されているような葛藤や行き詰まりは必然なのだと思う。一連のこの種のエリジウムブンガク的な記述、文体においては、そのような「おひとりさま」環境に行き着いてしまったことに由来する葛藤や行き詰まりもまた、どこか自尊心と共に薄笑いしながら肯定されている感じも拭いがたくあり、そしてそれもまた、かつての「80年代的相対主義」から「冷笑主義」に至る主体意識とやはりご眷属であることを感じ取らざるを得なかったりするのだが、それはまた、別の機会もあるだろうから、改めて。