むかしつきあってた本 (のもたらす自己羞恥、のようなもの)

 書棚の本の並び方にも、その時その時の違いがあって、それは自分自身でも普段は意識していないのだけれども、でも意識的に何か整理しようとして変えた際だけではなく、何かひとつの仕事に関わっていたり作業をしている中で自然に入れ替えているうちに、少しずつそれ以前の配列というか並び具合と変わってゆくようなことは常にやっているらしい。

 図書館なんかだとおよそ論外、必ず元の書棚の定められた場所に戻す、というのが鉄則になっているから、こんなのはデータベースとしてのまっとうな書籍管理の仕方からして初手からレッドカード、本を扱う資格などない、と判断されるのだろうが、でも、そういうきっちり管理された書棚でない野良の書棚で日々起こっていることは、そういう論外な配列の変更、日々少しずつつきあってゆくうちに何となくそうなってゆくという、まあ、何というか、半径身の丈の間尺で日々暮らしながらの生身の人づきあいで互いに知らぬ間にしゃべり方や口癖、何なら身のしぐさなどまでよく似てくるという、夫婦や恋人同士のつがいでのよくある不思議、みたいな感じではある。*1

 そう考えると、書棚の本たちとのつきあい方というのも同じようなもので、おのれの日常のココロのありようやそれに伴うさまざまな動揺、微妙な揺れみたいなものを少しずつ反映してくれているのだとしたら、書棚というのは確かに、それはそれである種の鏡みたいなところはあるのだろう。

 で、そういう日々の配列の改変、少しずつそのこちら向きの相貌を変えてゆく書棚の中 (そこに入り切れていない床やら何やらそこらに雑然と積み上げられ、また崩れて散乱しているその他おおぜいの本たちはとりあえず別にして) で、ずいぶん長い間そこにあることに気づかないままだった本、というのも見慣れた中にまぎれるようになっていたり。何かの拍子にその存在に気づいて、しかもそれがはるか以前、どうかすると大学時代に買ってそれ以来ずっと身近にいた本だったりすると、何かこう、その頃つきあっていたオンナに何十年ぶりかでうっかり出喰わしちまったみたいな気恥ずかしさを感じてしまったり。なんなんだ、この感じ。


www.youtube.com

 オンナ(だけじゃないが)と違って生身の老化はしないから、そういう味気なさやそこから派生する自己羞恥みたいなものはとりあえず本からは感じないですむ。もちろん、表紙が破れてたり煤けてたり、めくったらめくったで中の紙面が日焼けしてたりはあるし、それを「老化」ととらえれば同じことなのかもしれないが、その本の中身、つまり紙面に印刷されている文字・活字の配列そのものが別のものに組み換えられていたり、あるいは人がボケて痴呆化するようにおよそ意味不明な配列になっていたり、といったことはない。(あたりまえだ)

 ただ、ブツとして同じ紙面、同じ文字・活字の文章であっても、「読む」こちら側は確実に老化している。文字を読む具体的な速度や効率が衰えている、といった意味ではない。いや、それはもちろんあるのだが、それ以上に本質的なのは、かつて読んだつもりだったその「読み」が、いま現在読んでみるとかつてと全く別の「読み」となって、老化だか劣化だか知らないがそういう生身の現在として否応なく〈いま・ここ〉にある自分の身の裡に立ち上がってくる、そういう驚きが予想外に襲いかかってくるところ。

 「発見」と言えば確かにそう。「読む」こと自体、そういう生身の自分の〈いま・ここ〉との相関で成りたっている営みであって、だからそれは (そうとは見えない/思えないながらも)「上演」を常に含んでいる、という年来の持論をあらためて自己補強してもくれる体験なのだが、*2 だからこそそれは、同時にかつての自分自身に対する違和感や距離感、不信感といった感情、ありていに言って「なにやっとったんだ、おまえ」という、本来の意味とはおそらくちょっと違うベクトルでのある種の共感性自己羞恥や自己嫌悪を強制的に自覚させられ、とりあえずしばらくの間凹むことになる。

……で、そういう体験を、その「むかしつきあってたオンナ」的な本との遭遇の具体例として示そうと思っていたのだが、長くなるのでまた別途。

*1:こういう不思議、よく言われているし、実際「似たもの夫婦」なんてもの言いでよく「あるある」で納得される日常の現象のひとつではあるんだが、でもこれ、異性のつがいでのことが主で、同性の同居、それこそ寮や寄宿舎、あるいは昨今なら「ルームシェア」的な形で「一緒に住んでいる」場合には「似たもの●●」的「あるある」になってゆくんだろうか、とかいろいろと派生して問いが………例によって継続要審議のお題箱に入れておく。

*2: king-biscuit.hatenablog.com king-biscuit.hatenablog.com

「思想史おたく」のなれの果て・雑感


 「思想史おたく」と、かつて浅羽通明に言われて30年あまり。思い起こせば、その時ちょっと鼻白んだ記憶は確かにある。「思想史」と「おたく」という組み合わせが、その頃はまだうまくこちらの身に響いてこなかったのだ。

 とは言え、大学の学部時代、教養課程の同じクラスに身を置いていたという間柄、なにせ生年月日も一日違いの早生まれの現役組で当時50人ほどのクラスに一割いたかいないかの少数派同士の親近感も下地には何となくあったわけで、今はもう往き来しなくなってずいぶん久しいものの、その程度には未だ世に棲む者になっていない一人前未満の頃を知られているだけに、ああ、あれはやっぱり何ほどか本質を衝いていた評言だったんだな、と近年、無職隠居暮らしの日々にあらためて思い返していたりする。*1

 「思想史」というもの言い自体、もうピンとこなくなっているのだろう。少なくとも、かつてわれわれが「そういうもの」として勝手に理解していたような内実においては。*2

 それは自分がよく使う語彙でいえば「教養」というやつ、大学だの学術研究の世間だのの独占的な専有物ではなく、それらと関わりのない人生を生きている世間一般その他おおぜいもひっくるめての本読み、活字好きのいわゆる「読書人」にとっての自明に共有されているべきある枠組みであり、歴史や社会、文化その他、いずれ人間存在そのものに関わる現実を理解しようとする上での最前提となる大きな枠組み、とでもいうようなものではあったらしい。*3

 で、手もとに山積、散乱する古書雑書やくたいもないガラクタの類を、ゆるゆると取り出してきてはめくり、眺めるだけが大方の日常になって以来、その「思想史おたく」としての出自来歴、ある意味おのれの本性でもあるかもしれない部分が、人生の晦日に近づいてきたことで煤払いしたように露出されてきているような気がする。*4

 もともとそれなりに貯め込んでいたから、というのもあるのだが、いずれさまざまな自伝や評伝、回顧録といった個人に属する個別具体の記憶に根ざした記述の類を、そこに記されている人名や事柄、何でもない挿話などのごくささやかな断片をよすがにたどってゆく、そんな作業を、特に意識していたわけでもないものの、ふと立ち止まってみるとやってきている。このへん、山口昌男が生きていたら、なんだ結局おまえもこういうところに流れついてるんだな、と苦笑いされるような気がするが、*5 そんな中でも、それら自伝や評伝の類があたりまえに堆積しているいわゆる文学や文芸批評界隈だけでもなく、さらに一層拗れた蓄積がごった煮に積み上げられてきている「思想」関連の分野のそれら記述類を、ガラクタ類の山の中から発掘しては手もとに並べて互いに紐つけ、例によって細切れ切り昆布状にした付箋と走り書きのノートをなけなしの得物として何とか対峙している。

 もちろん、学術研究の世間の作法によって、ではない。そんなもの、もうずいぶん前に粗大ゴミの集積場に放り投げてある。

 「近代になって歴史も科学でなければいけないというので、微に入り細を穿つ重箱史学が栄えた。また同じ科学でも「人民の科学」でなければいけないというので、あらかじめ決まったテーゼに歴史をはめ込み、都合の悪いところは切って捨てる歴史の偽造が行われた。」

 「その第一は外国の研究を祖述して事足れりとする安直さで、そういう研究はいくら量を誇ってもがらくたを積み上げるに等しい。諸外国の研究に学ぶことは大事だが、それが祖述にとどまる限り、結局は歴史の観光旅行以上のものにはならない。第二にはロシア人、アメリカ人その他になったつもりの研究で、これまたがらくたである。研究者の主体が不分明であったり、朦朧としていると、研究の方も真実を離れて絵空事になってしまう。(…)わたしがこれまでの社会運動史研究の枠組みに不足を感じ、ただ研究の自由化を推進していくだけではだめなのではないかと考える理由のもう一つに、この研究者の主体の問題がある。」*6

 この「主体の問題」と、アウトプットとしての記述との関係をさらに踏み込んで考えてゆくと、否応なくそもそもの「ものを考える」「考えて書きものにする」一連の作業の裡に宿らざるを得ない何ものか、そしてそれは必然的にその書かれたもののありようにも反映されてくる、というあたりのしちめんどくさい事情になってくる。ということは、その先には、ならばそもそも本邦日本語を母語とする環境における「文学」「文芸」的、あるいは「詩的」「美的」表現の内実とは何か、それらといわゆる学術研究的な表現との違いはどこにあるのか――つまりぶっちゃけて言えば「チラ裏」「おポエム」「感想文」の類と「(学術)論文」の違いはさて、どこにどのようにあり得るものなのか、といったさらにとりとめなくもうっかりと大事な話にもなってくるのだろうが、それはひとまずどうでもいい。*7

 「思想史おたく」と言われた、その「おたく」の部分の内実というのは、それまでの思想史であれ何であれ、いずれそういう学術研究専門性に根ざした、それなりに手続きも担保された成果とそれを「教養」として、「そういうもの」として素直に受けとることのできていた共同性の裡にめでたくおとなしく埋め込まれている主体「ではない」という、言わば否定的媒介としての意味あいだったのだろう。同じ事象、同じ問題に興味関心を抱いて接近していても、その問いを宿している主体の部分、生身も含めた〈まるごと〉の実存のところでは決定的に違うという不連続。つまりデタッチメントが骨がらみに実装されていた上での興味関心なのであり、その意味で「ココロがない」「冷笑的」などと見られてしまうようなものでもあり、それは自分も以前から指摘していた「おたくの不人情」とも間違いなく同じ根を持つ意識のありようではあったはずだ。

 思想なら思想を自分ごとにしてゆく、古めかしいもの言いならば「肉化」とか呼んでもいたかもしれないような過程を、ならばそのような「思想史おたく」はどのように自らに仕掛けてゆかねばならなかったのか、といったあたりのことが、おそらくまたゆるゆると言語化して放り出してゆかねばならないこと、なのだと思う。それを結果的に怠ってきたらしい、その程度にはこれまでとにかく無事に無難に世渡りできてきたのだろう同時代の同業他社界隈な物件たちが、さてその後、どのようななれの果てを現在、〈いま・ここ〉の切羽にうっかり晒しているのか、ということなどとも、おそらく照らし合わせながら。

 


 

*1:king-biscuit.hatenablog.com

*2:king-biscuit.hatenablog.com

*3:king-biscuit.hatenadiary.com king-biscuit.hatenadiary.com

*4:ただまあ、アウトプットへ持ってゆく過程も含めてのリアルな実態としては、たかだかこの「フラッシュ」の挙動みたいなもの、なんだとは思うけれども、世間一般その他おおぜいの傍目からは。 www.youtube.com

*5:king-biscuit.hatenablog.com] king-biscuit.hatenadiary.com

*6:大沢正道「土民社会運動史の試み」『土民の思想――大衆の中のアナキズム社会評論社、1990年。

*7:  king-biscuit.hatenadiary.com king-biscuit.hatenadiary.com king-biscuit.hatenadiary.com king-biscuit.hatenadiary.com king-biscuit.hatenadiary.com

人文社会系の信頼回復?・メモ

 人文社会系の信頼回復のためには、まず、日本語を母語とする情報環境での日本の近現代、明治維新前後から現在に至るまでの歴史や文化、経済や政治、民俗レベル含めた生活史などについての語られ方そのものがさまざまな偏りの上にあることを淡々と自覚し認識することから始めるしかないのだとおも。

 そんなことはあたりまえだ、わかっている、という風に脊髄反射で反応したくなったのなら、それがおそらく一番ヤバい。

 その脊髄反射で反応したくなっていること自体が、「そういうもの」化した蠱毒エリジウムな言語空間&情報環境の内側だけでめでたく育ち、社会化してきた症状だったりする。

 「そういうもの」化した言語空間&情報環境においては、脊髄反射的な「反応」の「速度」が、まるで超伝導のように異様にあがる。打てば響く、どころか、打たずとも勝手に相互に反響、共鳴しあう連鎖反応だけが日常化している蠱毒エリジウムなエコーチェンバーの楽園であり、そこだけが世界である。

石破ですら戦争の原因は統帥権干犯論により統帥権が政治から独立したことだということであくまで民主主義や二大政党制のもとで戦争が始まったと認めているのに、未だに天皇主権だから戦争になったのであり、国民主権・民主主義なら戦争にならないという神話を信じ続けてますからね

 「戦後」パラダイムだかスキームだか、あの安倍ちゃんが好んで使っていた語彙と枠組みにしても、その内実についてほぐしてほどいて言語化して、世間一般国民有権者その他おおぜいの間の最大公約数の了解事項にまでとてもできないままだったことを、いまこういう状況だからこそ、「失われた30年」――これもまた内実を言語化されきらないままほぼミーム化している残念かつ気の毒なもの言い――の射程距離と焦点深度とで「直近手もと足もとからの地続きの現代史」の過程としておさえなおそうとする意志の必要。

 「現代民俗学」(名前は何でもいい)ってのが未だなお、それなりに信頼されるに値する人文社会系の足場として、たとえ微かにでも可能性があり得るのだとしたら、そのあたりの意志をゆるぎない初志としてまず、思考思索の橋頭堡として設営することからでしかないんだろうな、と。

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続・「向都離村」のいまどき、から・メモ

*1

私はいわゆるヤンキーコミュニティ出身なんですが、この界隈は後先をあまり考えず、避妊もせずに行為に及ぶので、まず子どもが出来る。そして子どもが出来た瞬間から、生き方がガラッと変わり、必死で金を稼ぐようになる。


一方で、世間の多くは「まず経済力をつけて安定してから家庭を持つ」。


ここが逆なんです。順序そのものが違う。


学歴がない人が多いので、進路はだいたい二つ。
自分で起業するか、地元の友人の会社に雇ってもらう。
多くはブルーカラーの職種で、身内同士で仕事を回しやすく、新しい繋がりを一から作る必要がない。昔から続くコミュニティの中で仕事も生活も完結する。


長年の友人関係には確かな信頼があって、助け合いも早い。
家族ぐるみの付き合いが多いので、経済的にも相互扶助が自然に機能している。
学歴がない分、人類がずっとやってきた“村の文化”を、現代で地続きにやっているようなもの。


いわゆる「残クレファミリー」と言われる人たちがどこか幸せそうなのは、こうした仕組みが根っこにあるからだと思う。


実際、うちの旦那も地元の友人らと立ち上げた会社で働いているので、仕事もプライベートも融通が利きやすい。

反響が多かったので少し補足。


彼らにとって「仕事」は、いわば部活に近い。
仲間と協力し、同じ目標に向かって進む“チーム戦”であって、
仕事そのものはその手段にすぎない。


もちろん、社会に迷惑をかける場面が多いのも事実。
けれど、彼らが見ている“社会”は日本全体ではなく、自分たちが生きている地元コミュニティそのもの。だから日本社会に対する遵法意識が低く見えるのも、構造的な話だと思う。


感覚としては、彼らは自分たちの「国」を持っているようなもの。その小さな世界の中だけで完結し、そこで生き抜いている。


彼らは別に大げさなことをしてるわけじゃない。
便利になりすぎた現代で多くの人が手放した“面倒な人間関係”を、昔のまま続けているだけ。


テクノロジーと都市化で、1人でもそれなりに生きられる時代になった。
そのぶん、人間関係はどんどん薄くなった。


ヤンキー社会はその逆で、“濃さ”がまだ残っている。
実はこの構造、一般生活にも応用できる部分が多い。


どのポイントを取り入れれば日常がラクになるのか。
そのあたりをnoteに詳しく書きました。

皆ポジティブに捉えすぎ、東横やグリコ界隈や、地方の夜の街ではこのヤンキー親の犠牲者いっぱいいるやろ、親が離婚して片親母親になって父性がなく引きこもりやチー牛かしてる人も多いと思うで、後学校で上手くいかない部活も勉強できないヤンキーは衝動性も強く発達障害愛着障害多くてでき婚

そういう子達はどの界隈でも一定数いると思いますね!もしヤンキーの子供がほとんどそうなるなら日本はヤンキーより東横キッズ達の人口が多いはずですからね!

全員が東横には集まらないよ、地方だとホストやキャバクラ、ホステス、不登校、引きこもり、施設、後は精神病、境界知能、発達障害ですかね。後はチンピラ、ヤクザ、半グレ、グレーな商売など、ヤンキーの子の方が普通の家庭より多いと思いますよ。あやさんのところはまだ民度が高かったのかも


そして連鎖していく、何故ならヤンキーになる子の家庭環境が悪いから、本来ならadhdでもないのに、愛着障害になってadhdと同じようになったり、複雑性ptsdになるのもいる、刑務所や少年院にもいるでしょうね、ケーキの切れない子供達みたいなのも、愛着障害で壊れてる人はいると思う

個人的には逆に思うけどな。


残クレアルファードの方が、学歴コンプレックスを抱えないから、普通に子育てすると思う。
東横に集まってきてる子達だって、県外からの子どもが多いのが実態ですよ。
あと、地方だと、ホステスとかキャバとか言ってるけど、そもそも、そういう働き口自体が少ないし。

スナックやバーも含めた水商売ですね、女の子は多いですよ、後、男でもイケメンならバーで働いてる子もいるし、残クレと肉体労働したことあるが、普通に高学歴コンプレックスだぞ、ただ体動かしてるから鬱々とはしてないけどな、してる奴もいるけど

腹立つけど結局そうなんですよね(T . T)


だけど家族の為にスジも通さず無茶な事をしたら、問答無用でクビならまだ良いが。


場合によっては半◯しか陰湿な嫌がらせを永遠にやり続けかねないですし、元組織関係者外には冷遇や単にパシリとしか思ってない場合も有りますから一長一短(T . T)

ちなみにヤンキーと言っても反社とはまた別の界隈ですね。
もちろん繋がりはありますがこの歳になると反社とは一線を置いてますね。
大人になればなるほどどっちつかずでは生きていけないのがこの界隈です。

 かつて高度成長期あたりでも、あるいはそれよりまだはるか以前、それこそ明治期の「向都離村」熱が社会現象として、同時代の世相として認識されるようになっていた頃でも、「田舎」「地方」「ムラ」に紐つけられていた「そういう人々」というひとくくりの「他者」形象というのは、まあ、連綿としてあったとは思う。その「そういう人々」を「そういう」存在、自分(たち)とは「違う」「異物」として見てしまうようになっていた「こちら側」の主語を担っている人々の意識のありようと共に。

 これもまた、あの discourses of the vanishing のある派生的なあらわれ、でもあるのかもしれないけれども、それはまた別途、考えてみるべきお題として手もとのお題箱に放り込んでおく。*2

 「マイルドヤンキー」とか「下層社会」とか、ここ四半世紀ほどの間でも、詮無く新書ベースの間尺に切り縮められてしまった「文明批評」的目線と感覚からの言語化仕事として、いくつか目につく流れはこさえられてきてはいた。その内容の是非や、おそらく同時代的な風土病としての書き手側の主体ぐるみなゆるふわキラキラぶりなどはともかくとしても。

 洗い晒しの骨組みとしての部分でだけ言うなら、それはまさにこの「彼らは自分たちの「国」を持っているようなもの。その小さな世界の中だけで完結し、そこで生き抜いている」で概ね言い尽されているようなもので、ということはそのような存在として「そういう人々」を認識してしまっている「こちら側」の意識のありようが裏返しにあぶり出されている、それだけのこと、ではある。そしてそれは、言わずもがな「近代」由来の大量生産大量消費の複製技術が伸張してゆく中、活字主体の情報環境において文字の読み書きを介したリテラシーを武器にしつつ社会化してゆく「自分」を編制してきてしまった意識が必然的に持ってしまう対社会像、「世間」に対するイメージの表象の汎用一般形、のようなものではあるのだろう。おそらくは洋の東西不問の、文明史的規模での最大公約数的な意味あいにおいてさえも。

 ただ、本邦の〈いま・ここ〉現在形として言うなら、そのような普遍的な「疎外」の表象というのもまた、〈いま・ここ〉の色合いを否応なしににじませているものになっている。それはたとえば、ここで言及されているような「地方」「いなか」というのは、すでにその「自分(たち)」の生身の身体性やそこが根ざす生活感覚や意識なども引っくるめた領域と、すでにあらかじめ切断されたものであり、あるいはそこまで明確でないまでも、少なくとも平板でフラットで奥行きも高さも希薄な単なる「情報」「記号」としてのみ立ち現れるようなものになっている気配が濃厚なのだ。

 かつての「いなか」――自分が生まれ育ち、父母や先祖の墓もそこにあるような、「生まれ故郷」であり「サト」であるような、だからこそまた鬱陶しく疎ましく、強く意志的に拒絶を自覚しないことにはたとえそこから遠く離れた場所に身を置くようになってもなお、折りに触れてしつこく身の裡にあるルサンチマンを間歇的にせよ喚起してくるようなもの、ではすでにない。だから、「残クレアルファード」に象徴されてしまうような消費生活のずさんさをテコに、学歴や教育や出産から子育て含めての「家族」の生活設計とその行末などについての冷笑含みの、しかしどこか鈍い敗北感やそのようになれなかった自分(たち)の現在についての不安や疑問などもちりばめられたうしろめたさも必ず入り交じっている感覚が、同じ「そういう人々」をめぐるやりとりの中に揺れながら反映されてゆく。

 「家族」とその行く末、についてだけ中心的に合焦されていて、その背後に実際に控えているだろうはずの「親」や「親戚」といった血縁から、具体的な周囲に日々とりまいて現実を形成している近所や地域の人間関係、つまり地縁についてもまた、ひとまずきっちり後景化されているところでやりとりは展開されている。その限りにおいて、これら「そういう人々」について言及する際にそのような地縁血縁的な背景については「なかったこと」にしてしまって構わない、あるいはそうすることがよりくっきりと「自分(たち)」の〈いま・ここ〉の問題を言語化してゆく上で自然なことになっているように見える。個人と家族だけが社会なり地域なりといった背景から切り離されたところに設定されていて、そしてそれらの漠然とした集まりが現在として、文脈に応じて「社会」や「公共」「世の中」「世間」といったまとまりをガワとして装わされることに。「歴史」や「経済」、あるいは「法」や「制度」、さらには「国家」といった、少し前までの人文社会系の「教養」を支えていたはずの鉄筋とも言うべきそれぞれの枠組みと文脈のからみあう立体的なイメージはそこにはどうやらなく、奥行きのない平面的でのっぺりとした想像力の空間が広がっているばかり。

 「いなか」「地方」を疎外した、ということは同時にそのような「自分(たち)」も同時に疎外されている、そんな文脈での平板な想像力の空間における「向都離村」には、たとえばかつての「錦を飾る」といったような惹句と共に「帰るべき場所」としての「故郷」的な意味あいは失われている。「いなか」と自分(たち)の〈いま・ここ〉との間には、どのような形であれ「逃げられない関係」はすでになく、だから「帰るべき場所」としての磁力も魅力も失われている。あまたある個人と家族のまとまりの横並びのうちに、たまたま「異質」なone of them としてだけ存在しているにすぎない、そんな関係。「マイルドヤンキー」と言い、「下流」と呼んで、その「異質」ぶりだけを際立たせようとしても、しかしそれら「異質」ぶりが自分ごととして、〈いま・ここ〉の自分(たち)との間にのっぴきならない疎ましさと共に紐付けられることもない。そういう意味では本質的に「他人事」の「異質」ぶりなのだ。

 「エリジウム」と自分が仮に名付けているいまどきの東京と、東京に象徴されるようなゆるふわキラキラお目覚め系マインドを「そういうもの」として実装した/させられた情報環境と言語空間において、見えない天蓋のように意識の上限を覆っている同時代の〈いま・ここ〉の表象というのは、こういう「向都離村」の現在形もまた、あらかじめその懐の裡に丸め込み、取り込んでもっともらしく表層をとりつくろっているものらしい。*3
 

*1: 先に触れた「向都離村」のお題に関連してのスレッドにたまたまなっていたと思うので、こちらの文脈で。

*2: 当時からいい本だと思ったけれども、いいや、どうせどこかで誰かが眼をつけて邦訳が出るだろうと思ってたんだが、結局その後出とらんみたいなのはあれか、やはり本邦翻訳業界人文社会系の世間もご多分に漏れず、いろいろ枯渇してしもとるということなんだろうか……

*3:つかこうへい、が「熱海殺人事件」の終盤、大山金太郎のモノローグの中に挿入していた、「向都離村」と「錦を飾る」意識が高度成長以降の「豊かさ」の中でどのように切なく吹きちぎられつつあるか、についての原風景を語ってみせる一節を思い出すのだが……どういうセリフになっていたのか、ここはうろ覚えでの走り書きでなく、できれば正確な引用をしておくべきところだと思うので、別途また。

「向都離村」のいまどき、から・メモ

俺、地方都市の塾講バイトで「これ」の子供を見てたけど、みんな無気力だし教えても何も覚えないし、親はこんな感じだからまあ、次世代は終わりだなと思った

本当にこの通りだと思います。


30歳から一年勃起して「俺はFIREする!」と宣言し、結婚もせず、友も無く、50台中盤で会社を辞めて「俺は経済的自由を手に入れた!」なんて言うよりも、


地方で残クレアルファードに乗り、若くして子供を複数人作る。生活はそこまで豊かではないが、両親に助けてもらいつつ、子供が家を出ていくまでしっかり面倒をみきる。その後、50台中盤には孫もできる。こういった人生のほうが圧倒的に豊かだし幸福度も高い。

平成まではそれで良かった。
では何故いま地方の若者が壊死寸前なのかという話をする。


端的に言えば「少子化」と「スマホ」 で、少子化及び地方からの人口流出により、そもそも競合が著しく無くなって、もはや若ければ仕事がある状態になってしまった。これでわざわざ努力する人なんていないのである


地方の子供たちはそれをよく分かっているので、地元からの脱出を志さない層はもはや何もしない。適当に遊んで、事実上機能していない高校受験で40から55くらいの公立高校に行く。そもそも人口が減っているのでまず落ちること自体珍しく、そもそも地方県の偏差値60以下は全部同じなので考える意味もない


さて、彼らは全く努力しなくてももう高校生までは上がることができる。そして彼らはまた、今度は勉強しなくても入れるFランの推薦か、勉強しなくても入れる専門学校か、普通に高卒で就職するかの3択だ。つまりそもそも「努力する」という土壌そのものが存在しないのである。


では、もう一つの要素である「スマホ」である。というかこれがほとんどではあるんだが、結局スマホの誘惑に勝てる人そのものが少ない。特に地方の中高生においては、イオンモール以外に価値のある「外」がそもそも存在しなくなった為、廃れた街を歩くくらいならスマホで友達とゲームしたほうがマシだ


サッカー部少年でさえ部活が終わったらさっさと家に帰ってスマホで友達と通話しながらゲームするのである。さて、女の子も同様であるが、ここでスマホというものが「外界」と繋ぎうることに注目しなければならない。アルファード息子とアルファード娘は、もう釣り合わないのだ。


「残クレマイヤンの子供同士お似合いだろ!」と思うかもしれない。しかし、残念ながらもう、残クレの息子は似た家庭環境で育った女の子を捕まえることはできない。なぜだろうか?
スマホが地方の女の子に「正確な価値」を提示してしまうからである


実は、ヤンキー君と付き合うしかないなんてことは無いとか、実は、イオンモール以外に娯楽があるとか、実は、子供を作らなくてもいい人生があるとか、実は、首都圏の男は金持ってる上にエスコートしてくれるとか、そういう情報の津波が来る上に、自分の年齢・容姿の「相場」が見れてしまう


つまり、10代後半、20代前半の「女」をわざわざこんなバカで金無くてロクに女の子も理解しないような地元の男に捧げる意味が分からなくなるのである。実際、都市の男からしてみたら、大抵の場合産地なんてどうでもよくて、顔と身体があればそれで勝負できる。


そういうわけで、スマホが繋いだ「外界」の基準によって正しい値段が付けられ、地元を見限る「女」と、スマホによって活力をスポイルされより強い男を延々と見せつけられて無気力化する「男」の悲惨な格差が拡大するのだ。これが令和の地方である。そして、この思想は既に中高生層に対してSNSを通じて浸透しているのだ。


ただでさえ少子化で競合もなく頑張る理由もない地方の若者達に、さらに地元の女をどんどん都市圏の男にぶん取られていくという、原義無気力地獄が完成したのである。これが令和だ。

ものすごく重箱の隅をつつく様な話かもしれませんが、田舎だと偏差値60以下の「進学校」があって、実際そこから国公立とか有名私大にも行くんですよね。学校の選択肢が狭い故に、校内の学力格差や生徒個々の志向の差が激しくなってる様に思える。高校なのに中学校みたいな。

さあ、個人の幸せを他人が決める事は出来ない
FIREするのも幸せだし、子供や孫に恵まれて生活するのも幸せだろう
幸せは他人が決めるものではない。自分で決めるもの
私は高校入学時に大学進学の学費出せないから(姉が4年制大学行ったから)高卒なって言われた時、幸福で幸せだった。早期就職希望ね。

なぜだろう

こうゆうひとたちは

庭でバーベキューしてる印象だし

仲良くなれるはずがない

と、思ってしまうのだ

娘が不倫して慰謝料で離散する事例がある家庭やんけ

残クレアルファードスクールカースト上位じゃないと狙えないんですよ

このツリーは地方の若者の現状を正確に分析している。少子化で競争がなくなり覇気のなくなった男、スマホを通じて世界を知り、そんな男を相手にせず都会に行けば自分をより高く売れると悟った女。これでは若い女性が都会に流出するのも必然。


女子は都会で自由に生きるのが幸せな価値観が浸透したら、地方在住の親にとっては将来結婚して孫を作る訳でも近くに住んで老後を見てくれる訳でもない娘を育ててもってなりそうですね。特に秀でてもない頭と容姿の女子を大金かけて進学で都会に出すのは親からしたらリターンが見合わないのではと。

そうですね。男子の場合でも、地元で寝そべり族やって嫁を連れてくるわけでも老後の面倒を見てくれるわけでもないならわざわざ育てても…ってなりそうです。地方の出生率はこれからガクッと下がりそう。

スマホ少子化とか関係なく地方から若者は流出してますよ
むしろ高度経済成長期の方が割合が高いです
元々地方に競争はなく、競争したい人は都会に行ってたのでは。
むしろ地方の良さは競争が無いこととされます
よく競争に疲れた人が脱サラして地方に移住してメディアに取り上げられますよね

高度成長期以降の人口流出で親世代の人口が少ないので、流出する以前に子供の絶対数が少ないのは確かです。今の課題は流出する若者の男女差で、女性ほど地元を嫌って都市部に出る傾向があること。なお、田舎への移住者は珍しいからメディアに出るのであって、都会への流出の方が絶対数は多いです。

売買ということから市場原理で考えてみました
都市部への女性の流出が進み、現在は供給過多で価値が暴落し始めるフェーズですかね
当然買い叩かれるので、将来的には地元に戻ったり都市部へ行かない女性が増える流れになるんじゃないかなと思います

都会のキラキラが虚構であることが分かれば流れは変わってくるかもしれません。都市部に多い事務職もAIの普及で減ってくるでしょうし。ただ、古い価値観のクソジジイが地方でのさばっている限り、都市部への流出は止まらないように思います。

親の10年にわたる洗脳もスマホ1台で解けてしまう。

そもそも20代以下の男は自分の人生に嫁と子供がいる想定をしていないという話から始めないとこれ理論がまずダウンロードできない説あるか?

地方民に「情報」って一番与えちゃいけないモノでだったんですよね。そういった意味でSNSができた時点で地方は終わった。世界一幸せだった国ブータンは、国民が情報を得たことでただの貧国に成り下がりましたが、地方もそうなんですよね。

 いろいろと〈いま・ここ〉世相からの、その裡に共に生きて棲んでいる世間一般その他おおぜいの側からの印象、反応として、あれこれ考えておくべき内容は豊富に含まれてある素材として。

 ただ、それらとは別に、さらに引いたところで別途、考えておいていいことも、また。

 こういう〈いま・ここ〉の身の丈由来の世間・世情についての「考察」「分析」言説の系譜というのは、古くは「文明批評」(ああ、死語だ……)とか呼ばれて、おそらくは新聞や雑誌という活字メディアの伸張に応じて必然的にコンテンツのひとつになってきたものではあるんだろう。同じ言語を共有している範囲での〈いま・ここ〉感覚の、主として身の丈で個別具体な散文文脈における言語化が、それら「マス」――つまり世間一般その他おおぜいを相手取った媒体においての大事な発信情報となってゆく過程。それらマス・メディアを反響板としてのとりとめないエコーチェンバーが編制されてゆく道行きでもあり、「社会」だの「同時代」だのといった〈いま・ここ〉感覚が「おはなし」として共有されてゆく道程でもあったんだろうが、まあ、そのへんのしちめんどくさくも茫漠とした大文字のお題はともかくとして。

 「地方」「いなか」が対象化されているのも、そしてそれがある種の人間像、日頃何となく眺めて認知しているような、でも「自分(たち)」とは少し違う種類の暮らしぶりや、それに根ざした生活上の価値観や世界観、判断基準などを持っていると感じられる、そういう意味での「日常生活での隣人」像であり、それらを鏡として逆に「自分(たち)」の輪郭を確かめてゆくことにもなるような形象、でもあるらしい。

 ということは、これらの言説やもの言い、それが「おはなし」として整えられてゆく過程も含めての表象の背後の、隠れた主語、主体である「自分(たち)」というのは、「地方やいなかではない場所(おそらくは「マチ」「都市」とでも呼ばれるような)」に生活し、若くして結婚し子どももいて、そういう意味での「家庭」をめでたく営むことができていて、たとえ自分(たち)ほど豊かではなくともそんなに気にせず、「実家」に象徴されるような地縁血縁一次紐帯系の逃げられない関係に、その恩恵含めてがっちりホールドされていて、そしておそらくそういう生活のありようのまま今後も「そういうもの」として生きてゆくような人生――「ではない」側の現実を生きている存在、といった感じになるのだろうか。

 「いなか」(かつては「故郷」「ふるさと」などと概ね同義でもあった)から「出てきた」その結果としての現在〈いま・ここ〉がある、という自覚や現状認識は、「向都離村」感覚として近代化の過程における新たな多数派感覚として本邦世間一般その他おおぜいに宿っていったものではある。たとえ生活実態としてはそれらの感覚からかけ離れた現実を生きている身にとってさえも、何らかの切実さと共に憑依してしまったようなものとして。これまたもはや忘れられつつある大文字の語彙としての、あの「疎外」を引っ張り出しても構わないかもしれない。そのような意味では、その程度に連綿と引き継がれてきているらしい近代的「社会意識」のありようではあるのだろう。

 ただ、大きな枠組みの「おはなし」文法・話法としては共通しているとしても、それでもなお、細部はそれなりに、かつさまざまに同時代的な要素の違いはちりばめられるものだし、何よりもそれに応じて「おはなし」の上演に際して宿ってゆく内実の重心も微妙に移り変わってゆく。

 たとえば、かつての「向都離村」と異なり、いまどきのこれらの意識や感覚には、全身全霊で否定されたような「いなか」「ムラ」が生活実態としては失われている。同時に、それらと密接に結びついて、同じく絶対的に拒否されるものであったような地縁血縁一次紐帯系の人間関係のしがらみや疎ましさなどもまた、文脈含めての意味ではすでにないと言っていいだろう。「家族」であり「家父長制」などと偏った言い方もされてきたような「そういうもの」化して動かしがたいものに感じられていたものからも、戦後80年の過程でひとまず解き放たれるようにはなっている。めでたしめでたし、になっていて不思議はないのだが、しかし、ここに示されているようないまどきの「向都離村」的心性には、そんな一方的に脳天気な解放感は宿っていない。

 自分(たち)と「違う」人間たちが、あるまとまりと共に、眼前の同時代を生きている。そしてどうやらそういう「違う」人間たちは、他でもない自分(たち)の感じているような不安や懸念、苦労や心労の類――「生きづらさ」とか昨今はひとくくりにされて片づけられるようなあれこれのもやもやなどとは無縁のまま、「そういうもの」として生きてゆけるもののように見える。

 彼ら彼女らみたいになれるとは思えないし、またなりたいわけでもない。でも、ああいう人生、あんな生き方が現実に同じこの国の同時代に「ある」というのも確かだし、そして自分(たち)もまた、かつてどこかの時点であの彼ら彼女らと同じ立ち位置、同じ境遇にひとつところに生きていたような気もする。しかし、自分(たち)はそこから違う途を歩いてきて、そして〈いま・ここ〉がある。

 それはそれ、これはこれ、互いに違う人生と割り切ってしまえばいいのだろうけれども、なぜかそうはなれない。

 これが明らかに異物、それこそ外国人だったり異教徒だったり、とにかく初手から「違う」人間だと思えてしまうような存在ならば、また話は早いのだろうが、残念ながら彼ら彼女らはそうではない。同じ日本語を普通に話し、肌の色目の色変わらない同じ日本人同胞ではある。まただからこそ、こういう彼我の「違い」に早くから明快な裁断をしてしまえない、あいまいな現状がだらだらと続いてしまうようにも感じる。

 差別だの分断だのと呼ばれる社会的な問題は、これまでも確かに本邦この世間にあったし、今もあると言えばあるのだろうが、ただ、それらもまた、あたりまえに前提にしていたのは、本質的な意味での「異物」「違う存在」が日常にいなかった本邦のそれこそ「同質性」(言い方ともかく)の高い社会のありようだったのであり、昨今言われるような「多文化共生」的な現実というのは、そもそもそれを具体的にどういう事態になるのか、どれだけ頑張って想像してみたところで、あらかじめ何らか「ガラスの天井」的に想像力の上限が決まっていてのお花畑でしかあり得ていないのではないか。

 言葉はカタコト程度、やることなすこと直感的な違和感を喚起させられ、どう努力したところで理屈抜きに意思疎通ができないと感じさせられざるを得ない、そんな具体的な「異物」「異質な存在」が日常あたりまえに眼前にいる。それもたまさか遭遇するのではなく、半径身の丈ご近所に普通に徘徊し、日常生活の風景の一部になってしまっているという事態。「外国人」問題と呼ばれるものの、その根底に横たわっているのは、われら日本語を母語として「そういうもの」として生きてきた側にとっての「異物」「異なる存在」についての想像力のありようであり、その限界を介してしか当面、われわれは「外国人」を日常の裡に意味づけ、落ち着かせてゆく手立てを持っていないということになる。

……「向都離村」の話からかけ離れているようだけれども、でも、どこかで必ず通底はしているはず、と信じながらとりとめなく、でも、お題としてはゆるく続く。


 



 

タイの「外食」文化・メモ


ほう、君、今回が初めてのタイ出張か。
不思議に思うだろう、


「タイ人って、なんでスタバや日本食にあんなに金使えるんだ?」ってな。


だって、日本より高ぇんだぞ。スタバも日本食も。


で、「なんでそんなのに金出せるんだ?」って話になるわけだが——


タイ人の給料、思ってるより安くねぇんだよ。
今どきのバンコクの大卒オフィスワーカーなんて、新卒でも月10万円。
30代ともなりゃ20〜30万円ぐらいは稼いでいる。


しかも税金も社保も軽いから、ほとんどが手取りだ。


下手すりゃ日本の地方より稼いでるんじゃねぇかってくらいだ。↓


しかもタイ人はな、貯金しねぇ。
「今を生きる」って精神がすげぇんだ。


給料が入ったら、すぐ使っちまう。
次の日には新しいiPhone買ってるなんてザラだ。↓


で、さらに消費を後押ししてんのがクレカ文化だ。
タイでは5%のミニマム払えばカードは止まらねぇ。止められねぇ。


だから限界まで使っちまう。
まさに“魔法のカード”ってやつだ。


じゃあ、その金どこに消えてんのか?


外食だよ、”外食”。
タイじゃ「外食がエンタメ」なんだ。

どういうことかって?


タイは年がら年中暑いだろ。
だから外でスポーツもピクニックもサイクリングもできやしねぇ。
四季もねぇから、花見も紅葉も雪遊びもない。
外で楽しめるアクティビティが極端に少ねぇんだよ。


だからこそ、「外食が一大娯楽」になる。


みんなモールに行って、冷房ガンガンの日本食レストランで寿司つまんで、
写真撮って「今日も最高!」ってSNSに上げて帰る。


自炊?そんなもん滅多にしねぇ。


稼いだ金の多くが外食に吸い込まれてくんだ。
↓だからモールじゃ高級ブランド店はガラガラでも、
飲食店だけは激コミってわけだ。

ということで、所得は日本より低くても、
高ぇスタバも日本食屋も、繁盛してんのさ。

って、昨日うちのタイ人妻が言っていたぞ。
<おしまい>

 「外食」というもの言いもまた、戦後の過程で本邦世間一般その他おおぜいの日常語彙として組み込まれるようになったもののひとつ、だと思う。

 もちろん、実態としての外食はマチにはあたりまえにあったし、それは何も屋根のある常設店舗「常見世」で食事を提供する場所だけのことでもなく、いわゆる屋台のストリート・フードにしたところで、まさにアジア文化圏の証しのようにはびこっていたわけで、その程度に本邦とて普通にあたりまえに「アジア」ではあったわけであります。

 でも「外食」といういまどき言われているような意味あい内実を伴うもの言いとしては、まず成り立ってはいなかった。というか、そのように家の外――より正確に言うなら「家庭」と呼ばれる程度の「世帯」において、常の食事を家の外でカネを払ってとる、ということは、決してあたりまえのことではなかったし、そのように認識されるものでもなかった、ということだったのだと思う。

 例によってまたしちめんどくさいこと言ってるだろうが、ほんとにそうなのだ。「家族揃って外でお食事」といった意味でのお行儀よさげな「外食」は言わずもがな、ひとり身チョンガー(死語か)単身者が「自炊」でなく、いたしかたなく外で食事をとる場合でも、それを今言うような意味あいでの「外食」というもの言いで言い表していたかというと、決してそうではなかったわけで。

 このあたりのことをほぐしてゆくと、また別に大展開しなければならなくなるから措いておくが、都市部単身者向けの屋台などのストリート・フード系の歴史文化的背景に限ってみても、こと本邦に関してはそれがその他のアジア文化圏とどうも異なり、チェーン系のファストフード店と共に、郊外化の全面化がもたらされるようになって以降、本当にそこらに必ずあって本邦の日常風景となったコンビニに役割が集約されてしまっているところがすでに大きいのでは、といった印象がある。

 まあ、屋台系ストリート・フードの「伝統」が本邦にもあるとしても、やはり主に西南日本中心に広がっていった経緯は否めなさそうではあるんだが。そのへんの話になると、同じコンビニの同じチェーンでも、地方によって地域によって品揃えとか売れ筋があたりまえに違っているという話は今でもいくらでも耳にするわけで、そういう「文化」の現在形みたいな部分というのも、昨今の本邦人文社会系への世間の信頼度ガタ落ちの状況では、素朴な「しらべもの」としてでもあまりやられなくなっているのだとしたら、単に寂しい話というだけでなく、やはり広義の国民、いや常民を目がけた教育的な意味でもいろいろ問題ではあるんだろうな、とかいろいろと。

 
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大工の日当の戦後史変遷・メモ


昔話ね
平成元年に70歳越えてた大工さんに聞いたこと


終戦直後大工の日当は500円
お弁当は蒸したさつま芋一本
その頃世田谷村の一坪が500円


オイルショックの頃日当8000円
手間請ってシステムがその頃出来て都会の建売大工が金持ちになった


日当2万円になったのがバブルの頃
そこから40年近く手間は上がってない


ここから劇的に日当が上がるとは思えない

僕がサイディング職人として手間請出来るようになったのが26歳で今から26年前
独立当時これ以上単価下がんないだろうと思ったらリーマンショック、東日本日本大震災までは単価が下がった
当時から常用手間はほとんど変わってない
材工で商売するようになって少し潤うようになりましたが
単価勝負は相変わらず
手間請メインの親方連中は外国人使ってる


この状況では職人さんの手間が上がることないと思うんですよね
この先ビックウェーブがあったとしても
最低限個人事業主として営業してないと乗り遅れてしまうと思う
バブルの時だって渡り歩くタイプの職人さんと社長さんは羽振り良かったけど
僕の師匠なんかは昔気質の棟梁だったんで今とそんなに変わらない手間でしたもの

自分の聞いた話しだと30年〜35年前くらいに千葉県で東急不動産の分譲やってた大工さんは手間請けで1日8万〜9万くらいになってたみたいッスよ!

バブルの恩恵を受けた人って感じですね😳
江戸川あたりの大工手間坪7万前後だったと聞いた記憶があります
ただ当時は墨付けて手で刻んでその値段だったんでそんなに良い金額ではないですね


サイディング職人も僕の親方世代は1日5万くらいになってたみたいで
1日3万にならないなら才能ないから辞めた方が良いってイヤミ言われて育ちました

お疲れ様です
空調ですがバブル期
1人工最高50000円でした。私達職人は馬鹿だから貯蓄する奴はほぼいなく、車はシーマ腕時計はロレックス毎週土日は高級焼肉や寿司屋で夕飯食べてました。
そのお金残ってれば

下職さんは凄かったですね
当時僕17歳で日当6000円で小僧としてボード張ってましたが
同じ歳のボード屋さんが月50万くらい取ってて
すごくスカウトされましたもん


現場朝礼が8時で帰宅は早くて20時〜22時で、まだ息子が2歳位で帰宅しても私の顔覚えて無く、どこのオッサンかと嫁に聞いてました。休みは月に一二回でしたよ
ボーナスは4回出ました。

うちの会社で少し前に引退した70過ぎの大工さんの話ではバブルの時は月100は余裕であったって言ってました。話盛ってたのかな

どこに住んでたかにもよりますね
関東で建売ブームに乗っかってガンガン叩いてた人は
100万くらい余裕で稼いでたと思います


僕がいたのは都内の工務店で手間請け大工さんが常備いるようなところじゃなかったので月50~60万くらいだったと記憶してます


僕は今サイディング屋ですが手間請け職人やってた頃で多い月で月70~80万稼いでました
一番多いときで締めの都合で120くらいでした
今は歳も取ったし単価が下がったのとやることが増えたせいで絶対無理ですね

建築の見積りで、一人一日5万とかでていても、実際にしはらわれるのは、2〜3万ってことですか?元請がピンハネしてる?

それをピンハネと表現してはダメだと思いますが
下流の人間が受け取る金額はその通りです
だから僕たちは上を目指すんです


僕はサイディング屋なので建築のことは分かりませんが見積もりする際の設計労務金額は23000円前後です
それ以上だと相見積もりで勝てません
1人工50000円が常識になる日を夢見てます

都市部の大工で1000万越えとか沢山いたんよなー

その世代の大工は和室が作れて非規格品加工が可能な人達。もう殆どの人達が引退か鬼籍入りしている。現代の大工はハウスメーカーの規格品しか触れないのよ。ちょっとこの床上下を治してとかそういうのが無理。ただ部品を微調整して組むだけ。そこに移民が入るんだよ。日本人が爾後食えるわけ無いやん。

バブルはじけてから消費税が…


消費税を導入した、国政とそのその時の総理大臣…
安倍は2回消費税あげてます…
減税するべき時期に、増税してます…

これが、今の日本をつくりあげた…


高市総理は、早急な改革を敏速にやっておられます…
高市総理が変えたかったのは…
安倍政権…

自分のメインで請負ってるHMさんでは常用単価ようやく18000、税別になりました。
ですので、その現場に手伝いで入ってもらう職人さんには自分もその金額を支払うつもりですが、別の職人さんはお互い大変だからと言って今まで通り15000支払う人もいます。