
ほう、君、今回が初めてのタイ出張か。
— 嶋 航|東南アジア起業奮闘記 (@KoShima77680379) 2025年11月5日
不思議に思うだろう、
「タイ人って、なんでスタバや日本食にあんなに金使えるんだ?」ってな。
だって、日本より高ぇんだぞ。スタバも日本食も。
で、「なんでそんなのに金出せるんだ?」って話になるわけだが——
(続く↓) pic.twitter.com/qHIbO1pDxJ
ほう、君、今回が初めてのタイ出張か。
不思議に思うだろう、
「タイ人って、なんでスタバや日本食にあんなに金使えるんだ?」ってな。
だって、日本より高ぇんだぞ。スタバも日本食も。
で、「なんでそんなのに金出せるんだ?」って話になるわけだが——
タイ人の給料、思ってるより安くねぇんだよ。
今どきのバンコクの大卒オフィスワーカーなんて、新卒でも月10万円。
30代ともなりゃ20〜30万円ぐらいは稼いでいる。
しかも税金も社保も軽いから、ほとんどが手取りだ。
下手すりゃ日本の地方より稼いでるんじゃねぇかってくらいだ。↓
しかもタイ人はな、貯金しねぇ。
「今を生きる」って精神がすげぇんだ。
給料が入ったら、すぐ使っちまう。
次の日には新しいiPhone買ってるなんてザラだ。↓
で、さらに消費を後押ししてんのがクレカ文化だ。
タイでは5%のミニマム払えばカードは止まらねぇ。止められねぇ。
だから限界まで使っちまう。
まさに“魔法のカード”ってやつだ。
じゃあ、その金どこに消えてんのか?
外食だよ、”外食”。
タイじゃ「外食がエンタメ」なんだ。どういうことかって?
タイは年がら年中暑いだろ。
だから外でスポーツもピクニックもサイクリングもできやしねぇ。
四季もねぇから、花見も紅葉も雪遊びもない。
外で楽しめるアクティビティが極端に少ねぇんだよ。
だからこそ、「外食が一大娯楽」になる。
みんなモールに行って、冷房ガンガンの日本食レストランで寿司つまんで、
写真撮って「今日も最高!」ってSNSに上げて帰る。
自炊?そんなもん滅多にしねぇ。
稼いだ金の多くが外食に吸い込まれてくんだ。
↓だからモールじゃ高級ブランド店はガラガラでも、
飲食店だけは激コミってわけだ。ということで、所得は日本より低くても、
高ぇスタバも日本食屋も、繁盛してんのさ。って、昨日うちのタイ人妻が言っていたぞ。
<おしまい>
「外食」というもの言いもまた、戦後の過程で本邦世間一般その他おおぜいの日常語彙として組み込まれるようになったもののひとつ、だと思う。
もちろん、実態としての外食はマチにはあたりまえにあったし、それは何も屋根のある常設店舗「常見世」で食事を提供する場所だけのことでもなく、いわゆる屋台のストリート・フードにしたところで、まさにアジア文化圏の証しのようにはびこっていたわけで、その程度に本邦とて普通にあたりまえに「アジア」ではあったわけであります。
でも「外食」といういまどき言われているような意味あい内実を伴うもの言いとしては、まず成り立ってはいなかった。というか、そのように家の外――より正確に言うなら「家庭」と呼ばれる程度の「世帯」において、常の食事を家の外でカネを払ってとる、ということは、決してあたりまえのことではなかったし、そのように認識されるものでもなかった、ということだったのだと思う。
例によってまたしちめんどくさいこと言ってるだろうが、ほんとにそうなのだ。「家族揃って外でお食事」といった意味でのお行儀よさげな「外食」は言わずもがな、ひとり身チョンガー(死語か)単身者が「自炊」でなく、いたしかたなく外で食事をとる場合でも、それを今言うような意味あいでの「外食」というもの言いで言い表していたかというと、決してそうではなかったわけで。
このあたりのことをほぐしてゆくと、また別に大展開しなければならなくなるから措いておくが、都市部単身者向けの屋台などのストリート・フード系の歴史文化的背景に限ってみても、こと本邦に関してはそれがその他のアジア文化圏とどうも異なり、チェーン系のファストフード店と共に、郊外化の全面化がもたらされるようになって以降、本当にそこらに必ずあって本邦の日常風景となったコンビニに役割が集約されてしまっているところがすでに大きいのでは、といった印象がある。
まあ、屋台系ストリート・フードの「伝統」が本邦にもあるとしても、やはり主に西南日本中心に広がっていった経緯は否めなさそうではあるんだが。そのへんの話になると、同じコンビニの同じチェーンでも、地方によって地域によって品揃えとか売れ筋があたりまえに違っているという話は今でもいくらでも耳にするわけで、そういう「文化」の現在形みたいな部分というのも、昨今の本邦人文社会系への世間の信頼度ガタ落ちの状況では、素朴な「しらべもの」としてでもあまりやられなくなっているのだとしたら、単に寂しい話というだけでなく、やはり広義の国民、いや常民を目がけた教育的な意味でもいろいろ問題ではあるんだろうな、とかいろいろと。



