思想

「文学」と呼びならわされている多様な表現の形式、と、その不自由・雑感

いわゆる「文学」と呼びならわされてきている多様な表現の形式――とりあえず話し言葉も含めての言葉を介してのものに限っておくけれども、それが「個人」の「創作」としてあたりまえに認識され定義されるようになってゆく過程の外側、〈それ以外〉の部分をどのよ…

アクチュアリティ、と、リアリティ・メモ

花田清輝の言うところの、アクチュアリティとリアリティの関係について。 アクチュアリティを、一応、偶然としてとらえ、現在の偶然を踏み台にして、過去の必然と未来の可能とを弁証法的に統一したものが、現実――つまりリアリティだ」というのが、花田の説。…

エリジウム的なるもの、の経緯来歴・メモ

世間的な評判や評価、風評なども含めたゆるふわな風向きだけに過敏に反応しなければおのれの地位が保てないと感じる――要はポピュリズムなんだろうが、そういう心性にとって、広報・宣伝に特化したように見える情報業者は皮膚のように一体化して貼りつくもの…

エリジウムの作られ方・断片

暇空氏のやっていることは「ヘイト」「誹謗中傷」であるという前提のcolabo(および支援界隈)側と、住民監査請求はcolaboの公金処理等の疑惑解明のための「市民の正当な権利」という前提の暇空氏側との間で、見えている/見たい風景が全く違うわけで。 colaboの公…

「戦争」のジェンダーギャップ・断片

これ、例によってずっと前から言うとることでもあるけど…… 「戦争」って語彙を使う時に想定される内実、イメージでも何でも、それって、おとことおんなで実はまるで別ものだったりするところ、少なくとも本邦「戦後」の過程ではずっとあり続けてきているとおも。…

翻訳フィルターへの疑念・メモ

今回のKADOKAWA改めCHIKIKAWAの件で、出版中止それ自体とは別レイヤーで危惧してることがあるのでちょっとかいとく。どうも、学者等が都合よく言語を切り替えて日本向けの情報を遮断したり意味をずらしたりして英語に疎い人々が接する情報をコントロールして…

言葉は通じるのに話は通じない

会話してもムダ、話が通じない、考え方や感じ方がまるで違って、まさに「言葉は通じるのに話が通じない」局面というのがどうやらそこここで日常化しているらしい、本邦いまどきの世間のありかた、その根の深いところでの背景や理由の一端としての「おキモチ原…

「自己責任」大正義と「身を守る」大正義の癒着

いわゆる「自己責任」論を「正義」として実装してしまって振り回したがる人がた、リクツとしての「正しさ」に与しているというだけでなく、どこかでもっと素朴で野蛮な「キモチいい」ところも必ずあるように見える。 なんだろ、それってかつて「保守」と言挙げするこ…

「暗記」と読書・雑感

「暗記」というのが、勉強なり何かものを考えようとし始めた時に、かなり最初の段階で強要されてくるプロセスだった。 「知識」を「詰め込む」。理屈や能書きでなく、ただとにかく「覚える」ことを第一義にしてひたすらそのための作業を繰り返して行く。それは英…

「限界●●」というもの言い・雑感

「保守」でも「リベラル」でも、それを自称し、またそう名づけることで何かはっきりするところもあると思えるからそうするのだろうが、でも、いずれその名前に本体をとられてしまって、そもそも求めていたはずの自分と世の中との関係についてのものの見方や考…

colabo、同●化する・メモ

【ご報告】私スルメはColaboとの和解を持ちかけられ交渉を重ねておりましたが本日決裂したことを表明したいと思います— スルメ・デ・ラ・ロチャ (@surumelock) 2023年10月17日 【ご報告】 私スルメはColaboとの和解を持ちかけられ交渉を重ねておりましたが本…

同和しぐさ、とは?

ちょっと某件の大漏洩案件見てると、左側ってのはワシが昔居った時から思考回路が全く変わってないのがスゲェなと。ただな、昔はもっと綺麗というかマトモにやったわ。カチコミくるぞと地元の親分が教えてくれるぐらいの付き合いとかしてたんだから。何も知…

単に二枚舌で恥知らず、なだけの「こんな人たち」

ここにきてようやく、と言っていいのだろう、本邦のフェミニズム界隈の近年、あまりにも常軌を逸したていたらくに対して、素朴な反感や違和感がまとまった形で表明され得るようになってきたようで、ひとまずそれは喜ばしい。 言わずもがな、のことだが、それ…

「批評」の行末・断片

いわゆる音楽評論、殊にある時期以降の商品音楽についてのそれは、文学や映画、マンガやアニメなど、いずれ大衆社会化が果てしなく続いているかのようなここ数十年の過程で、市場に手を替え品を替え登場しては消えてゆく「作品」ならざる「コンテンツ」を相…

美術・芸術・文学、への疎外感について

*1 「美術」や「芸術」といった方面についての勉強が、いつもどこかよそごとになっていた。させられていた、と言った方が、正確かもしれない。 逃げも隠れもしない、天下御免の純粋培養私大文系3教科育ちのこと、本来ならそういう「美術」「芸術」方面にもそれな…

「恋愛」「純愛」の「おはなし」化・メモ

「恋愛」というのが、どういうイメージ、どういう内実で最大公約数的に共有する/されるようになってきたのか、についての歴史民俗的な経緯来歴について、少なくとも戦後このかたの過程についてだけでも、あらためて言語化する必要ありかと。 男女不問で、そう…

革命モノが流行らなくなったワケ・メモ

*1革命モノのアニメが近年流行しない理由を「あえて」社会評論と結び付けて騙ると、日本人はここ15年ほどの間に、東北の震災に代表される相次ぐ自然災害から生活基盤の喪失に対する恐怖と安定的な生活のありがたさやかけがえの無さを無意識に理解しているか…

本邦ポスモの呪い、の現在・雑感

本邦80年代あたりに猖獗をきわめた「ポストモダン」のありようについて、年来の大ネタのひとつではあるので、この個人的チラ裏(死語だな)に等しい場でも、まあ、折りに触れて俎板の端っこくらいにちょいちょいあげて素材の下ごしらえくらいのことはしてきて…

付喪神化する「思想」・メモ

ウルトラ雑に社会を考えるのに案外便利なんだよな、日本土着の神仏習合BIOS型宗教。 付喪神…基本的には古い「モノ」に宿ると言われるが、古道具はちゃんと供養するなりしないと魑魅雑鬼になる…つ話でたまに人や動物の姿を得て…っつのもありよね(分福茶釜も…

「キモい」ということ・雑感

「キモい」以下、昨今オンナさんがたの殺し文句的に汎用性が高くなっとる感のあるもの言い、そういうオトコを忌避する批評的もの言いという意味だったらそんなもの、いちいち実際に言葉にして明言せんまでも、個々のココロの裡じゃこれまでだってなんぼでもあ…

「詩」と「詩人」の再発見、とか・メモ

何度かすでに似たような趣旨のことをボヤいたり触れたりしているけれども、ぶっちゃけ前世紀の活字/文字しか読まない日々を送るようになって久しい。「あたらしい」ものはそれだけで何か雑音、ノイズ、ものを落ち着いて考えようとする際の夾雑物になる、そ…

論文ばかり読んでいるとバカになる

論文ばかり読んでいるとバカになるぞ――なんかそう言ったことがある。いつ、誰に対してだかは忘れた。けれども、そう言った時のその相手の顔つきに、明らかに軽蔑と落胆と、ああ、こいつは相手にしない方がいい物件だったよな、といういまさらながらの気づき…

雑書の行く末、のこと

大学に拉致されたまますでにほぼ3年、いずれやくたいもない雑書の山なれど、裁判の決着がどのようになるにせよ、来年3月には泣いても笑っても定年の身の上、研究室と学科実習室にあるそれら雑書古書からVHSビデオやらその他LD、DVなどのレガシーメディア再…

点と線、そして面への道行き・雑感

前世紀のもの、それも半世紀もそれ以上も前のものも当然に〈いま・ここ〉として読むような日々をずっとしてきていると、かつての雑誌に当時の無名の若い衆として掲載された署名記事が、昨今の情報環境の有難さ、検索してみると、のちに名のあるあんな御仁こ…

アフリカ土人の背後の中国企業・メモ

BBCが調査報道をしているが、出演者への支払いは1日あたり0.5ドル(70円)。出演した人の証言だとちゃんとやらないと棒で叩いたりしたとのこと。そして案の定この中国人は「これは差別でなく文化交流だ」みたいなことを言っている。— Yukari Umemoto/梅本優…

(ボクの大事な)「京都学派」という無意識

このNOTES、あまりナマものというか、Twitter空間などで敏感にあたりさわりそうなお題は、そのまま触れて出しでなく、走り書き程度に備忘録として記したのち、少し「寝かせて」おいてから、あらためて自分の裡で咀嚼して整えるようにはしてきているのだけれ…

人文系煮崩れの責任世代

自分などと同世代同年代で素直に大学教員になれた人がたがここにきて軒並み定年前後になっとるということは、ここ10年~20年の大学教育や学界の中堅~幹部級だったわけで、一気に可視化されてきた本邦人文系の煮崩れのその過程に最も責任あった層だと言われ…

倭フェミの構造

「娘」としての立場に安住したいと願う若い女と、「父」と「男」の立場を反復的に往復する中高年男性の共同作業として結実してきたのが日本のフェミニズムで、だからこそ植爺のごとき性欲と父性を同時にまろび出すアカデミック・ペニスが未だに大手を振るっ…

「美的判断の鋭い美少女」問題の来歴・メモ

「知的少女の神聖さ」なんだが、インテリのオッサンらがうっかりハマりやすい素地というのがあるんだわな。大正新教育運動の時期というのは心理学の興隆の時代でもあり…美学との関連で、うっかりすると「美的判断のするどい知的少女」を祀り上げやすくなった…

テツガクシャ構文解析されてまう

とりあえずの締めとして、フェミトーの「植村評」をしておきますと。植村先生のツイートって基本的に、物凄くワンパターンなんですよ。まず前半で、個人的意見なのか美術界における正論/一般論なのか分からないことを言い、聞いている人間を軽くイラッとさ…