思想

「おたく」と「サブカル」定義・拾遺

ふと思ったが。和製サブカルとオタクの本質的な違いは、目的がモテたいなのか、自分の好きに耽溺したいか、なんだろうなぁ。自分が異性の目を気にしてる・性的な目で異性を見ているから、オタクもアニメや漫画の二次元の創作物も性的な目で見ていると思い込…

デジタイズされた活字環境、そしてエリジウム風土病・メモ

活字で表されてるものはだいたい校閲を通ってるわけだけど、だいたいの人の話し言葉なんて文字に起こしたら朱字だらけなのよな。 https://t.co/Q2VBu6FDFF— タヌキマリオ (@tanukimario) 2024年11月6日 活字で表されてるものはだいたい校閲を通ってるわけだ…

繰り返して「読む」、こと

本は読むためにある。だから、読んでしまった本は手放す。売れるものなら売る、求める人がいれば手渡す、そういう人がいる。 同じ本を気にいれば何度も、時を経て後もなお、たまたまめくることになった程度でも、繰り返し読む癖の抜けない自分には、やはり縁…

「抒情」、小野十三郎的なものから・断片

小野十三郎の「抒情」についての認識、その他からとりとめなく極私的備忘。 彼の詩論の核にあるらしいのは、詩とは「抒情」である、ということがひとつ。で、その「抒情」というのは、言葉による表現としての詩の形式――韻文であったり朗唱であったりするような、…

ポリコレ、の背景・雑感

自分が代表務めている組織の、そもそも何が、どういうところが社会から問題視されておおごとになってしもとるのか、ということは、やっぱりものの見事に抜け落ちたまんま、なんですなぁ、この御仁。 https://t.co/GgJ8Kl8Q7y— king-biscuit (@kingbiscuitSIU…

「趣味」という分霊箱・メモ

趣味の物とかお気に入りの物ってハリー・ポッターでいう分霊箱みたいな役割があると思うのよね。そこに自分の想いや世界があるわけで、捨てられたり壊されたりすると魂の一部が欠損した感覚になる。 沖縄なんかだとびっくりするとマブイを落とすから、現場に…

「関係」と「コンテンツ」化

くっきりと一人称、自分からの視点でものを言ったり画像や映像を投稿していた/できていた人が、「自撮り」的な視点、何らかの目的で「見られている自分」をその投稿にあらかじめ織り込んだ、そのこと自体を目的化したような気配を露わにし始めたこと。 おそら…

「ネタ」と換金・メモ

「1958年10月4日生まれ21歳┃江戸っ子┃火力・原発の即停止┃侵略費は0にして安全保障は中韓と共に┃玉城知事、山本太郎、福島瑞穂、蓮舫、大椿ゆうこなどを支持┃いちよう教授やってます┃フェミニスト┃11月に山本太郎さんの演説を聞いて衝撃┃マイナンバーカ・辺…

中国のラストチャンスの現在・メモ

習近平は知らないが中国政府がいまだに反日過激行動、挑発を完全に封鎖してない理由、確かにやれば、ああいう下層不満分子の鬱憤は党に向かうから、なかなか決断出来ない、それを育てたのは他ならぬ党自身なのだから。ガス抜きのつもりで放置して、極端行動…

「文学評論」という稼業の背景

「文学」なり「文学評論」なり「文芸批評」なりが、よき時代と情報環境に下支えされた「教養」にそれなりに裏打ちされた人がたおよび知性とに担保されるもので、そのことをまた世間一般その他おおぜいも「そういうもの」と信頼して/できていた時代、がそれなり…

「文学」「全体」そして「科学」・メモ

むかしよく言われていたのは、サルトルのような現代の文学者は人間や社会の「全体」を描くところに価値があり、専門分化した「科学」に対する「文学」の価値もそこにある、ということだった。マルクスが人気だったのと同じ理由だし、 https://t.co/XnF9AZHOQ…

「正しい」のホモソミソジニー共同体・メモ

どんなリクツ、どういう能書きや意見、考えを繰り広げようともそりゃ勝手次第だが、ただ一点、そこに「愛嬌」や「可愛げ」といったものが響いてこないのは、その書き手話し手自身に、世にある人として何か本質的な欠陥があるのだとおも。 その意見やその背後の…

〈まるごと〉の歴史、そして「限界」界隈その他・雑感

教科書には未だもちろん載らず、同時代〈いま・ここ〉の報道やメディアの舞台にも、なぜか表だって言語化されず、だから本当のところは誰も確信持てないのだけれども、でも、何となく「そういうことらしい」と感じるようになっている現実の水準としての「外…

小さなDQN力の必要・メモ

小さなDQN力ってあると思うんだけど保険入らず気にしないとか数日賞味期限切れた事気にせず食うとか薬の賞味期限切れてて数年経っても飲めるとか(毒性発揮する奴もあるらしいぞ!)治安悪いと言われている地域やホテルに気にせず泊まってコスパ上げるみたい…

魔族話法の言語空間・メモ

ことば、が現実と紐ついていない、それが普通になってしもとる無自覚ナチュラル魔族な人がたが、実はもうすぐ隣にいくらでも生きている、そんな本邦社会になってしもとるのだと思い知らされる。 それなりにいいこと言っていて、見識も常識もまあ、あるように…

コロナ禍の記憶と「おはなし」・雑感

しかし本邦、コロナ禍3~4年間の「被害」について、かなりきれいに忘れてしまっとるように感じるのは、やっぱり世界的にも対策が奏功して相対的にうまく抑え込むことができたから、というのが大きいんだらうか。 現実的にも、また映画なりドラマなり何なり「お…

ある「卒業論文」のこと・メモ

僕の高校には、卒業論文があった。僕は「『不登校権』という人権があるのではないか」「主体性が成長するまで学校休む権利が子どもにはあるのではないか」「多様な成長のあり方が人にはあるのではないか」という趣旨の論文を書いた。指導教官は国語の先生だ…

「民度があがった」という認識、その功罪

時代が変わり、世代も変わって「民度」があがった、野蛮な習い性は薄くなった、という論。そういう事実が体感と共にあることを認めながら、しかし同時に、それが何やら別の不自由、考えなしの現状肯定の気分を漂わせながらの場合が少なくないことが、ずっと…

candidな映像、隠し撮りなどとの関係

写真と映像(最近は「動画」か)の違いは、いろんな領域であれこれ論じられてきたけれども、編集前提で素材として映像を撮る場合と、テレビの生放送のように現場の映像を撮ってそのまま放送する場合との違い、というのは案外見過ごされてきているというか、正…

大衆社会化と情報化、「衆愚」の制御、他

誰もが平等に気軽に安価に、多様で大量の「情報」に接することのできる情報環境がうっかり整備されてしまったことと、大衆社会状況における「バカ」「情弱」「衆愚」のありようの変遷、そしてそれらの状況を「逆手に取る」生存戦略の民俗レベル含めた普遍性、の問…

「移民国家」構想のワヤ

「移民国家」めざすというのなら、百歩譲ってそれもあり、としよう。ただ、だったらなおのこと、まずそれに向けてどういう制度や環境整備をして、治安その他含めてのセキュリティ対策講じるのか、とにかく話はそれからだとしか言えんわ。— king-biscuit (@king…

東大≒穀潰しタワー・メモ

世の中の大人は穀潰しタワーの住人と違って「こういう所の出身者を採用したら、自分の会社でも同じように政治的主張を合意無く窓に貼り付けたり『戦争反対の署名お願いします』の迷惑メールを職場の部署全員ccで送ってくるかもしれない」と考えますよ。煽情…

「専門性」について・雑感

「専門性」ということを、あらためて考えてみている。 とりあえずは学者研究者、昨今の言い方に倣えば「アカデミシャン」というあのけったくそ悪いもの言いになるのだろうが、良くも悪くもそういう立ち位置を方便としてでも取りながら世渡りしてきた身ではあれ…

大正教養主義のこと、雑感

戦前、当時の映画雑誌が家の中にあるのは、姉がいるような家の子どもだったりしたらしいこと。いわゆるサブカルチュア、「通俗」とは〈おんな・こども〉を介して日常生活に浸透していった部分が実は大きかったらしいこと。 大正教養主義的な〈知〉wのありよう…

司馬史観と島耕作的ヒロイズムと「歴史」

ある種の少年マンガ的、あるいはもっと言うなら戦前の少年倶楽部&大日本雄弁会講談社的な英雄主義――その背後には浪曲その他の勃興期大衆社会状況下の大衆演芸などの水脈もあるのですが、何にせよそれらの脈絡の上に「司馬史観」も「島耕作的ヒロイズム」もあ…

「文学」の思ひ出・雑感

「文学」というあらかじめ決められた枠組みに対する信心を、ほとんど素直に持たぬまま生きてきていることは、何であれ日本語の散文表現としての「書きもの」をそのような枠組み抜きに「読む」ことをできるようになっていたという意味で、まあ、ありがたいことだ…

耳で観る芝居、のこと・雑感

浪曲/浪花節が、ある意味「耳で観る芝居」的な受容のされ方していたのと地続きで、戦後の流行歌/歌謡曲の、のちに「演歌」とくくられるようなものが輪郭定まってゆく過程でも、「耳で観る芝居」的要素は案外濃厚に意識されて創られていたようにおも。要検討お…

「文学」と呼びならわされている多様な表現の形式、と、その不自由・雑感

いわゆる「文学」と呼びならわされてきている多様な表現の形式――とりあえず話し言葉も含めての言葉を介してのものに限っておくけれども、それが「個人」の「創作」としてあたりまえに認識され定義されるようになってゆく過程の外側、〈それ以外〉の部分をどのよ…

アクチュアリティ、と、リアリティ・メモ

花田清輝の言うところの、アクチュアリティとリアリティの関係について。 アクチュアリティを、一応、偶然としてとらえ、現在の偶然を踏み台にして、過去の必然と未来の可能とを弁証法的に統一したものが、現実――つまりリアリティだ」というのが、花田の説。…

エリジウム的なるもの、の経緯来歴・メモ

世間的な評判や評価、風評なども含めたゆるふわな風向きだけに過敏に反応しなければおのれの地位が保てないと感じる――要はポピュリズムなんだろうが、そういう心性にとって、広報・宣伝に特化したように見える情報業者は皮膚のように一体化して貼りつくもの…