2018-01-01から1年間の記事一覧
戦争末期から敗戦後占領期くらいにかけての本邦農山漁村の世相、特にその人心世相風俗の荒み具合というのは、もう一度穏当に振り返ってみる必要がある。 例の「やくざ踊り」の流行などもそうだし、荒廃した都市部住民の「財」がタケノコ&担ぎ屋経済介して否…
網羅するとかコンプリートするとか、いずれそういう方向での全面スキャンを必須とする/せねばならない、といった戒律めいた縛りについてはどうも半ば本能的に距離を置く習い性が宿って久しいらしく。その代わり限られた素材を繰り返し巻き返しためつすがめ…
社会学系の世代論や現代文化批評みたいなブツも、行きがかり上たまには読まにゃならんこともあるが、ほんまに見事なまでに薄味で表面なでただけ、それでもイキりスカし気分と自意識丸見え文体がこれまた型押しみたいな工場出荷設定ぽい横並び、というそのモ…
web環境が整備されてゆく過程で、いわゆるおサヨク/リベラル界隈がどうしてあれほど自分たちに有利な環境になると脳天気に信じることができたのか、問題のその背景と来歴について。 「ネットワーク」というもの言いが少なくとも日本語環境では「ツリー」≒近代…
ラノベと「なろう」その他について、Twitterより。 昨日は操觚の会トークイベント、「小説家になろうで小説家になろう」なる刺激的なテーマとあれば来聴せずんばあるべからず。ケータイ小説末期に大学生のベンチャーとして始まったサイトが生き残った理由、…
アパレルもまた、全国区展開してしまうと「中央」の統括一律になって、個々の地域や地元の消費傾向などを察知してきめ細かな対応ができなくなるらしいこと。できなくなる、というより、する必要が経営的になくなってくる、ということらしく。全国区の目線で…
いわゆる財政均衡、プライマリーバランス論、というのは案の定、現代社会における「民俗」であるらしいこと。Twitterより。 んー、プライマリーバランス論も妄念の類じゃし、全て実体経済のデフレ状況のせいにくくるのもまた、妄念の類じゃと思うのよな。つ…
「民営化」「構造改革」って煽られた時に世間の大方は、自分らはその「民」の側のはずなのに、その結果「公」を自分らで支えて回さにゃならんことになる事態を具体的に自分ごととして考えんフィルターがかかってたような気がする。政策を判断する足場は評論家目…
「ポスモ/ニューアカ」のこと。殊に、本邦日本語環境におけるそれらの受容のされ方について。 「ポストモダン」がどのへんからどういう経緯で浸透していったのか、ということ自体、実はあまりよくわかっていない気がする。というのも、それぞれのその頃の立…
*1 人間の見てくれ外見に対する執着というかこだわり具合、殊にその人その個人という認識に占める割合の多寡ってのは、それこそ文化によって濃淡や質の違いがありそうで。本邦「民俗」レベルも含めたそれらのありようと、それこそ火葬導入以来のそれら意識の…
*1 現代ではパブリックな場の関係はひとつの自己顕示であり甚だしくシリアスなものになっている。会話は告白のような性質を備え階級意識は薄れている。その結果人々は自分の社会的地位こそが自分の能力の反映だと考えるようになった。そして天賦の能力が不公…
現在の世相や風俗、〈いま・ここ〉の感覚なんかは、今に限らずおそらくいつの時代、どんな情報環境においても、常に記録なり表現なりからは疎外されとるものなのかも知れない。それが文字/活字であれ映像であれ何であれ。 そういう〈いま・ここ〉を記録や表…
*1 中国の子供インタビュー「将来は科学者になる」「戦車を研究して日本人を殺す」「日本人が大嫌い」「昔は日本軍が商店の腕時計を盗んで店員を殴って逃げた」「古代の時に日本人が中国人をイジメた」「日本を恨んで恨んで鼻血が出た」「リアルの日本人を見…
古い知識や認識のまま「アップデートがかけられていない」という言い方、最近ではもう割と普通に見聞きするようになった。 けれどもそのもの言いの中身、意味内容ってのは実はいろいろズレや違いをはらんでたりするような気がする。パソコンが普通に広まった…
外国特派員協会のデイビッド・マクニールが菅直人の提灯記事を書いていたことをまだTwitterで書いてなかったのでまとめておきたい。私はアイリッシュ・タイムズという新聞を20年以上購読しており、私がマクニールの名を知ったのは、彼がこの新聞に日本につい…
「世相」とか「大衆心理」とか(その他何でも)それ系を対象に構えてもの考えようとした際、「科学」「論理」「エビデンス」(その他何でも)系の昨今自明に重要視される類のもの言いとの折り合いどうつけるのか、ってのはどうも無視でけんらしく。殊に若い衆世代にとって…
*1 「教養」を成り立たせていた戦後/昭和後期の情報環境概説。活字/文字の媒体としての「本」をめぐるありかた。「良心的」出版社と渡辺京二的インテリ/知識人が存在できた環境。路面店としての書店や古書店のネットワークや書評紙書評欄の需要なども。 「教養」…
*1 もうひとつの歴史修正、何も若い衆世代だけでなく年寄り世代の、それも一般人でなくインテリ知識人の、しかも現代史の専門家と自他共に認める/られる仕事してきたような大御所級御仁までもが「え?この程度の知識認識なん?」と驚くような手抜かりぶりを…
静かに進行中らしい「無意識な(近現代史枠の)歴史修正主義」ってのはあれだな、ロクでもない過去に対する「同情」が希薄なのは「自虐史観」と同じなんだな。 「現在」はとりあえず「良くなっている」という肯定が前提という意味じゃ社会ダーウィニズム的でもあり、…
*1 正論である。あるが、しかし、いかな正論もその運用に際しては生身の事情、それらを実践に際して活かしてゆけるか、ゆけるだけの器量が現場に宿っているか、という問題が必ず関わってくる。 その功績の部分で前川某の話を聞こうと思った、主催者の学校が…
*1 ことばやもの言いが「自分」の制御下にある、という感覚が後退してきているらしいこと、そしてそれと共に、それらことばやもの言いとの関係において初めて「現実」の輪郭が確かめられるという感覚もまた希薄になってきているらしいこと。その結果として、「現…
新聞でも雑誌でも、もちろんテレビのコメンテーターなどでも、いずれメディアの舞台においてはとにかく「誰でも言えるやろこんなん」という範囲での、言わば定型ばかりが垂れ流されている。ひとりひとりその発言の主体は生身として別の個体であったとしても…
*1 国民国家と家≒家庭の関係性。国家優先の図式を逆転した家≒家庭優先の論理図式の提示と家政学の必要を説く言説の19世紀後半の世界的同時代性。ネイション≒国民が国家という文脈における個人≒私≒家庭的日常の主体となり得るという考え方。戦後的個人が生物…
*1 デジタルコンテンツと化した「情報」のアーカイブの存在があたりまえの前提になっている昨今の「おたく」というのは、すでにかつてのおたくじゃないような気がする。いや、別に根拠とかリクツとかじゃなく、素朴な体感直観印象として。本やレコードやCDを…
使い捨ての日用品、たとえばビジネスホテルに備え付けられてある歯ブラシやカミソリなど、確かに日々そこにあり、便利に使いもしているようなものたち。それらにも、その質の善し悪しやそれらをもたらす技術の革新などが確かにあったはずだが、しかし、ある…
「おはなし」が存在する/できる場なり関係なりの仕切りがなしくずしにgdgdになっていった経緯、ってのもあって、それがいろいろ悪さしとるところ、あるんだろうなぁ、いわゆる「歴史」認識のありようなんかにも(´・ω・`) #なんかいろいろ見させられとる昨今 虚構…
*1 なんかもう「自分」(という個人)の考えたことや感じたこと、ってのが自動的に「みんな」(というトーキョーエリジウム目線&感覚での最大公約数)と地続きになっとる人がたばかりがメディアの舞台であれこれもの言うたり書いたりコメントしたりしとるように…
*1 あらかじめ世界の果て、全貌が決められた上での収集と、そうでない収集との間にあるはずの、おそらく決定的かつ本質的な違いについて。あるいは、「学校化」ということの、おそらくはココロのありよう、ある種の意識の持ちように対する避け難い、しかしこれ…
大学、書店、古書店、映画館、喫茶店……あまり意識されていなかったのかも知れないのだが、それら〈知〉なり「文化」なりを宿してゆく(とされ/思われていた)具体的な装置の類は、いずれも実はある「地元/地域」の間尺で初めて十全に棲息できていたらしい。もう…
*1 むかしの日本にはイオンモールが無かったのでナイーブなひとたちはわざわざハワイのアラモアナSCまで出掛けて死にものぐるいで買物をしていました、イオンモールができると田舎の象徴とバカにし始めました、一度失った純朴さは元には戻りません。 https:/…