何かのブンガク、埼玉へ

「こちらの物件は築年数も浅いし、なんせ常盤中の学区内ですからね。あそこのお子さんはみんな優秀だから、中学受験なんてしなくても大丈夫ですよ」


不動産仲介業者がうやうやしく説明する中、妻が嬉しそうに対応する。


「うちは学区はあまりこだわってないの、小学校から私立だから」
「あ、そうでしたか、大変失礼しました」
「スクールバスが北浦和駅からだから、駅から近いと嬉しいんだけど」
「承知しました、ではこちらの物件はいかがでしょうか」


業者と妻の会話をぼうっと聞きながら、自分の人生における自己決定権がとっくの昔に喪失していたことを改めて思い知る。住むところも、子供の学校も、気がつけば勝手に決まっていく。


小学校受験。そんなものに手を出さなければ、吉祥寺からさいたまに引っ越す必要なんてなかったはずなのに――。


「幼稚園の浩くんのお姉ちゃん、早実に受かったんだって!大学までエスカレーターで早稲田に行けるんだって、羨ましいわよね」
二年前、妻から聞いた何気ない一言。この会話を無視しておけば、今のような事態を招くことはなかった。悔やんでも悔やみきれないが、後の祭りだ。


「それでね、玲奈もお教室、通わせてみない? 浩くんのママに聞いたんだけど、別に受験させなくても、マナーとか知識とかが身につくんだって」


ジャック吉祥寺教室の年中クラスの月謝は月5万円弱。子供の習い事にしては高いだろう、と思ったが、「幼稚園のお友達はみんな通ってるし」と押し通された。思えば、既に妻の術中にハマっていた。


お教室に通うようになり、食後の食器を自分から片付け、洗濯物を一生懸命たたむ娘の姿は微笑ましくもあり、応援したいという気持ちはあった。しかし、当時の自分は知らなかった。小学校受験の世界において、月5万円はあくまでスタート地点でしかないということを。


20代後半、夫の転勤のせいで会社を辞めさせられたという被害者意識だけをつのらせ、東京に戻ってからも「いまさら非正規として働く気はない」という妻が教育に熱中すれば熱中するほど、課金額は積み上がった。模試、冬期講習会、願書の添削サービス――。知らないうちに積み重なっていく請求書、そして減り続ける一方の家族用口座の残高。


専業主婦の妻は知らない。その費用を捻出するために、自分がどれだけ会社で頭を下げ、胃を痛めているかを。teamsもろくに使えない上司をデジタル介護している間、手塩にかけて育てた若手は判を押したようにコンサルに転職する。オープンワークで調べた、元後輩たちが働く会社の平均給料は... 続きは愛と正義と勇気のメディア、みんかぶ
@minnanokabusiki
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