高卒で就職した、ある先輩のこと

 高校時代のラグビー部に、高卒で大手都銀に就職したという先輩がいた。一緒にプレイしたのでなく、自分が現役の時すでにOBだったから四つか五つ年上だったのだと思う。こわい先輩ではなく、気のいいタイプで、ごくたまに顔を見せては年下の自分たちと一緒になって馬鹿言ったり、近くのパン屋で奢ってくれたり、まあ、そういういい意味での「兄貴分」的な人だった。

 そんな彼がある時、ふと、

「おまえらは大学行くんやろ?」

と言ってきた。進路や進学の話なんかしたことがなかったので、不思議な気がしたんだろう、自分だけでなくその場にいたみんな顔をあげて先輩の方を見た。

「わしは高校出てそのまま銀行員なって、このまま30年ほど勤めて定年なるまで今のまんまやと思うし、そんなもんやとおもて別に後悔はないけど……」

 先輩、そこでひと息おいて、こう続けた。

「けどなぁ、大学出とるやつらと給料やら何やらほんまに違うんやなあ、というのは入ってからようわかったんや。いろんな家の事情とかあるやろけど、大学行けるんやったら行っといた方がええかもしれんで。」

 まあ、それだけの頭があれば、の話やけどな、と最後は冗談めかしてオチをつけていたけれども、その時のその会話だけは、半分ほどになったコカコーラの500㎖壜と喰い散らした神戸屋のマイケーキやら豚まんやらの残骸と共に、なぜか音声付きの映像みたいにくっきりと記憶に残っている。

 自分は地元離れて東京の大学に行って、下宿したのだけれども、ある日、自分の下宿の近くの駅で、その先輩とばったり会ったことがあった。駅前の銀行の支店に配属されているという話だった。

 ほんとにあり得ないような偶然だったけれども、お互いびっくりして、でも仕事の営業まわりか何かの途中だったのだろう、ちょっとサテンへ、ということもなく、確か立ち話くらいしかできなかったような気がする。

 でも、その時も、先輩は「そうかあ、おまえこっち(東京)の大学入ったんや、ごついなあ、そのうちええ会社入って出世するんやろなあ、その時はうちの銀行使うたってな」みたいなことを、地元で会った時とは少しだけ違う、軽い韜晦の気分をにじませた話し方と表情とで、言っていた。

 おそらくもう定年になって、70歳くらいになっているはず。小柄で細身で、確かポジションはスクラムハーフスタンドオフだったかな。でも、一緒にプレイしたのは、OB戦で一回あるかないか、それくらいだったけれども。

 自分が兄弟姉妹いない分、こういう少し年上の先輩だったり、兄貴分的な距離感での親しい関係というのが、たとえ短い期間だったり一瞬だけの交錯だったりしても、なぜか鮮烈な印象となって記憶に残っていたりする。それも案外、男女不問で。