陰謀論二代(タワマンブンガク七変化)

 「アメリカのディープステートがウクライナ生物兵器を作ってたんだぞ」70歳とは思えぬハキハキした口調で、父がまくし立てる。白髪が増えた母は何も言わずに俯いている。かつて背比べをした柱の傷、煤けた壁紙、気の抜けた音を鳴らす柱時計。25年前と変わらぬ実家には、澱んだ空気が漂っていた。


 新型コロナが落ち着いたらーー。そんな口約束を2年間繰り返しているうち、父はすっかり陰謀論にハマっていた。「ワクチンなんて生物兵器、俺は絶対体内に入れないからな」そう豪語する父の手にはイベルメクチンの箱があった。SAPIXのGS特訓のため、妻と息子を東京に置いてきたのがせめてもの救いだ。


 母子家庭から苦学の末に早稲田工学部を出て地元の造船会社に就職した父は勉強家だった。小学生の頃、Windows95で深夜までCADと格闘する後ろ姿を鮮明に覚えている。一人息子の自分が今治西高から早稲田へ進学すると決まった時も、「無理して戻って来なくて良いから勉学に励めよ」と背中を押してくれた。


 勤勉であれという家訓を胸に、早稲田の政経を卒業しメガバンクに就職してからも勉強を続けた。市場価値を高めようとUSCPAも取り、今月の給料は総支給90万弱で手取りは65万程度。港南のタワマン高層階で固いコメを食べて育った息子のさとしはスケボーなぞ目もくれず、前回のマンスリーの偏差値は65だ。


 東京砂漠でのささやかな成功を手土産に凱旋帰郷したつもりだったが、不正選挙によって敗れたトランプが闇の勢力と戦っているというストーリーを熱弁する父にとり、東京に行った息子や孫の現在地はどうでも良いようだった。トイレに行った隙に「お父さんね、定年退職して寂しかったのよ」と母が漏らす。


 かつて栄華を誇った今治造船業だが、中韓勢の価格攻勢でかつての勢いは見る影もない。造船の衰退と歩みを揃えるように今治の街自体も賑わいを失った。定年後の仕事も趣味もなく、社会から隔絶された父に残されたのは人類の叡智が作り上げたスマホであり、人類の愚かさが詰め込まれたYouTubeだった。


 「今回の円安もロスチャイルドが日銀と組んで仕掛けてきた経済戦争だからな、お前ら銀行員も負けるなよ」興奮気味に語る父にどう返したら良いのか逡巡しながら飲むプレミアムモルツは苦い味がした。考えることをやめた高齢者向けに作られたワイドショーをボヤッと眺めてくれた方が余程良かった。


 久々に息子に熱弁を奮って疲れたのか、父はうたた寝を始めた。「気を悪くしないでね、久々にあなたと話せて嬉しかったのよ」と母。静かに衰退する街の、時間が止まった家で人知れず老いていく両親達。あの時、伊予銀行に就職していれば違った未来があったのかもしれないと思うと、罪悪感で胸が痛い。


 モヤモヤした想いを抱え、18歳で家を出た時から変わらない自分の部屋のベッドに横たわる。本棚には早稲田や慶応の赤本と並んでゴーマニズム宣言の背表紙が見える。学校にこれを持って行き友人に一生懸命宣伝した黒歴史を思い出し、枕に顔をうずめて足をバタバタする。血は争えないのかもしれない(完