インフルエンサーになりたい・メモ

 最近、海外の大学に入った若者が「後に続く後輩のために」とSNSで実名顔出しで活動するケースが増えており、案の定炎上している。個人的には前々から危うい傾向だと思っていたが、「君も一度きりの人生を切り売りして、インフルエンサーになろう!」という情報商材でも流行っているのだろうか。


 そもそも論であるが、実名のインフルエンサーというのは自分というコンテンツを切り売りする商売だ。ファンと直接繋がるといえば聞こえは良いが、ファンと一緒にもれなくアンチも着いてくる。常人であれば、一挙手一投足に対して石を投げられながらメンタルを維持するのは並大抵のことではない。


 ちなみにこれは日本に限った話ではなく、海外でもインフルエンサー精神疾患は深刻な問題となっている。弊TL上でも、今回の件について出る杭を打つ日本の文化のせいにしたがる人たちが散見されたが、国や地域を問わず世界的に平常運転です。あまり単純化しない方が良いです。


 周囲の大人は「あなたが頑張ることで後輩の励みになるよ、アンチのことなんて気にしないで!」と囃し立てるだろうが、その人が一緒になってリスクを負うことはない。仮に矢面に立つ若者が潰れても、「だから日本社会はクソ!みんな海外を目指そう!」と商売の出汁に使われるだけだ。大人って汚い。


 あと「どうせ嫉妬でしょ?」的に煽ってる人が散見されたが、日本社会の偏差値至上主義がくだらないと海外に飛び出した人達が、揃って「海外で活躍する若者に嫉妬する惨めな日本人」という図式に当てはめようとするのが大変興味深かった。海外まで行ってやりたいことが同胞を見下すことだったんですか?


 そもそも何を成し遂げた訳でもない、入り口に立っただけの人間が後続のことを気にするのが適切なのかという観点は持ち続けたい。イチローや大谷の背中を見てメジャーを目指す若者が出てくるのは素晴らしいと思うが、プロ野球に入ったばかりのルーキーが「俺のキャリア論」を語ってたら失笑するでしょ。


 彼女たちを追い詰めるのはアンチだけではない。肩書きだけでチヤホヤして扇情的なストーリーを紡ぐメディアであり、ネームバリューを使って商売を企む大人達も共犯だ。手っ取り早く知名度を上げ、社会に影響力を発揮するという手段は否定しないが、リスクを説明してくれた人が一人でもいたのだろうか。


 インフルエンサーと言ってもひろゆきや西野やオリエンタルラジオ中田を目指しているのならば止めやしないが、母国でアンチも含めた有象無象の人民に消費されるためのコンテンツとして生きていくことが海外に出てまで本当にやりたいことなのだろうかと。いや、そこも含めて本人の自由なんですけど。


 徒然と書いてきたが、自分の子供が高校生くらいになったらここらへんは古参のインターネットおじさんとして噛み砕いて説明しようと思う。SNSというのは悪意が渦巻く世界であることを前提に考えたほうがよく、社会への貢献なんぞ考える前に、自分を大切にしたほうが良い。潰されたら元も子もない。