「昭和天狗」の思い出・メモ

 私が子供の頃は空前の怪獣ブームで、寝ても覚めても怪獣怪獣怪獣という時代だった。だから田舎の百貨店でも毎週のように怪獣ショーが行われていた。しかし権利の問題等でウルトラマンなどの有名どころの怪獣が来ることはほとんどなく、だいたい地元の工務店が創作したオリジナルの怪獣であった。


 我が県の丸新百貨店(もうない)の場合、毎年何回か「昭和天狗対怪獣ダイスケ」のショーが開かれた。昭和天狗がウルトラマンにあたる正義のヒーローであり、その装束は「忍者」であった。


 ダイスケは、ツノの生えたゴリラのような怪獣で、顔が真っ赤に塗られていた(猿だから?)


 ショーはパターン化されており、観客の子供がダイスケにさらわれると、催事場の奥から昭和天狗が

「やぁやぁ現れたな、か〜い〜じゅう〜」

と歌舞伎のエロキューションで登場する。そして昭和天狗がドスのような短剣でダイスケを刺し殺して子供を救出するのだ。


 血糊がいっぱい使用される70年頃のバイオレンスな世相が反映されたグランギニョール的なショーだったが、やはり変身ブームの最中に「昭和天狗」というネーミングと忍者装束は、いかにも古すぎた。(昭和天狗の代わりに、海水パンツを履いた「タイガーマスク」が出てきたこともあったらしいが、私の記憶にはない)


 同窓会などで懐かしい友達に会うと、よくこの「昭和天狗」の話をするのだが、誰もあまりおぼえてないらしい。
「児童公園にウルトラマンやケロヨンが来たのは覚えているが…」と、やはり人気者の記憶は鮮明だ。


「三一十は子供の頃からマイナー志向だったから」と言う人もいるが、違う。


皆、忘れているだけで、昭和天狗はメジャーだったのだ。

 こういう同時代「証言」というのは、Twitter以前からwebの掲示板やブログなどで、気をつけていれば随所で拾うことができたもので、おそらくweb環境以前ならばこのようにカジュアルに「採集」(敢えてこの古めかしくもなつかしいもの言いを使ってみる)できることはなかったろう。

 「子どもだまし」の商売の手癖の習い性にもつながる話ではあるんだろうが、この「怪獣ダイスケ」や「昭和天狗」を考案して現場に投入したその当事者のオトナたちの感覚というのは、「こういうことをこういう具合にやっておけば、とりあえず客(この場合は子ども)は喜ぶものだ」というそれまでの彼らの稼業の実践に裏づけられたルーティンになっていたのだろう。

 彼ら自身、彼らが作って商売にしていたような「子どもだまし」で小さい頃に楽しんだ記憶があるのかどうか、おそらくあったかもしれないけれども、だがそれは彼らが成長して大人になってゆく過程ですでに「子どもの頃のこと」というくくりで処理され、彼らが大人として生きている日常の裡では直接役に立たないものとして処分されていたはずだ。「子どもだまし」を稼業にするようになってはいても、それをその「子どもだまし」によって楽しんだり遊んだり喜んだりするような感覚をその大人としての自分の裡に宿していたかどうか、それは本当に漠然とした予測の範疇でしかないだろう。

 仮に、そのような「子どもだまし」を大人の彼らが大人として喜んだり楽しんだりする感覚がわずかにせよあったとしても、それはそれ以上のものに結晶してゆくことはまずなかっただろうし、もしもそのような契機が宿る余地があったとしたら、彼らはまた別の大人になっていたはずだ。それこそ「童心」だの「子ども心」などといった語彙でそれら楽しむ感覚を新たに対象化する意味づけと共に。

 そのような意味での「他人事」として「子どもだまし」を商売にし、稼業にしてゆくような手癖の人がたが、日銭稼ぎのような零細な経済活動としての仕事にしていた、それがおもちゃに代表されるような「子どもだまし」の稼業の社会的な存在形態だったのだと思う。

 敗戦後の児童文化としての「メンコ」のデザインなどに、それら「子どもだまし」を商売にしていた大人たちの感覚が意図せざる水準も含めてうっかりと表象されている。そのような意味でそれは「民俗」文化と正しく認識すべきなのだが、同時にまたそれは、同じ頃、子ども相手の紙芝居を描くことで生業としていた水木しげるら、底辺の画工たちの仕事にも間違いなく通じている。

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 このあたり深入りするととりとめなくなるので寸止めにしておくけれども、ひとつこの場で重要なのは、それら「子どもだまし」の商品は、それを作って商売にしている大人にとってはあくまでも「子ども」という他人事の存在のために、こうやれば子どもが喜ぶのではないか、という当て込みを前提にして作られたものであり、当の大人である彼らがその子どもと同じ当事者意識と感覚とで楽しめるものではなかった、ということだ。それは、戦後の大衆文化研究が、それら大衆文化をそれらの消費者であり顧客である大衆と同じ意識と感覚とで「楽しむ」ことから疎外された者たちによって初めて手がけられていった、というあたりの事情とも関わってくる。

 だからここでうっかり記録されてしまっている「怪獣ダイスケ」も「昭和天狗」も、そのような意味で単なるエピソードというだけでなく、実に趣き深いし、正しく「民俗」資料としての「読み」に耐え得る素材に他ならない。