「人文書」の時代

 実際、1970年代から90年代まで、出版業界は好調で、それは「人文書」という、知的大衆を前提にした、一般人向けの学術的教養書の市場があったことでも証明される。岩波、ちくま、みすずといった良心的出版社や、地方・小出版社も、妙に数が多い知的大衆向けに本を刷って、それで存続していけた時代。


 ところがその後、日本はそういった状況ではなくなってくる。せめて1000部、できれば3000部程度、かならず捌ければ(もちろん、儲けには+αが必要)、大抵の「人文書」の企画はそこそこの定価で成立するのに、それができなくなってくる。


 一方でいま、日本全土に公共図書館が3000館ほどある。3館に1館でも「人文書」や、地方・小出版社のものが買われていれば、実は、なりたっちゃう。

>質が高い本が続々と小さな出版社から出て高質小出版の図書館を作ればいいぢゃん(σ ・∀・)


と思ってスグに、ああ、1980年代に名にし負う浦安市立図書館がやろうとしたことだなぁと思いつく
┐(´д`)┌ヤレヤレ

ちょっと新刊本にアンテナを張っていると、以前では考えられなかったような質が高い本が続々と小さな出版社から出ているのだけど、もちろん近場の中規模程度の書店では買い揃えられるはずもなく、ましてやお洒落な本ではないのでセレクト系の店にも当然置いていないしで、地域経済を回すのって難しい。

 原理的には1冊1冊、その本の良し悪しを吟味して買う、ということに図書館はなっている。一方でそんなこと真面目にやってたら手間がかかるし、何より、地方出版や小出版は、新刊のなかで埋もれてしまう。


 ソコデ…


 特定の地方・小出版の出した本は何でも買うことにしようとしたのだったが、上記画像の『公共図書館の冒険』(みすず書房)には、たった2行しか書いてないが、いまの日本には重要なことだから言っておく。


 浦安市立が、良書が埋もれないできちんと図書館に入るように、特定小出版社を指定して一括購入しようとした。ところがそれに異論を出したのが図書館問題研究会の原理派。本は1冊1冊良し悪しを判断するのが正しい、それに反する、と論難されて、浦安図書館の一括購入(ブランケット・オーダーという)はやめになってしまったのだった。


 しかしこれは、日本出版界の現状から考えて、非常にもったいないことだった。あえていえば、図問研の原理派に、図書館界と出版界の連携の芽がつぶされてしまった、といってよいだろう(´・ω・)ノ


 実は原理派の言い分も、一定の条件下では成り立つ。図書館が買おうが買うまいが、日本出版業界になんらの影響がない場合。たとえば、出版界が好調で、地方・小出版社ですら、図書館購入分なんて、気にもとめないで済むような場合。