音楽

「読者の想像力」と「映像」・雑感

「文意の接続に必要な説明と描写を大胆に省略する技法を一応修得。省略部分の映像は、読者の想像力にまかせて、事実の列記を積み重ねるのみの文を継続させてゆく。そして、それがあたかも視覚的な映画のひとこまのように互いが組み合され、構築されてゆく。」…

新体詩と戯曲、その他・メモ

口語自由詩があたりまえになってゆく過程で、方言をその口語自由詩に反映されてゆくことも一部試みられてくるのですが、ただそれを「朗読」する場合に実際どのように発音発声していたのか、まして標準語の話しことばと混在しているような作品の場合、とかいろ…

美術・芸術・文学、への疎外感について

*1 「美術」や「芸術」といった方面についての勉強が、いつもどこかよそごとになっていた。させられていた、と言った方が、正確かもしれない。 逃げも隠れもしない、天下御免の純粋培養私大文系3教科育ちのこと、本来ならそういう「美術」「芸術」方面にもそれな…

ライナーノーツ、その他・雑感

かつて、本邦の商品レコードに「ライナーノーツ」という「解説」的なものが必ずつけられるようになっていった経緯について。 「歌詞カード」的な意味あいも含めての「解説」、ないしは収められている楽曲や音楽についての関連情報を提供するという意味での「ライ…

1995・幸福の科学&ブルーハーツ

大川隆法が死んだ。僕の中の1995年が、また一つ終わった。なぜ大川隆法で1995年を思うのかというと、この上なくクソッタレな形で僕らがブルーハーツを奪われた年が、他でもない1995年だったからだ。— コウイチ/koichi.um (@shuportv) 2023年3月2日 大川隆法…

労働の現場と朗読、そして本・メモ

朝から晩まで煙草の葉を巻き巻き。こんな単純作業もうイヤッ。そんな労働者の為に雇われていたのが「葉巻工場朗読屋」でした。米国やキューバで活躍した彼らは新聞や小説を工場で高らかに読み上げ退屈な作業を楽しいものに。しかしラジオの登場とともに彼ら…

サブカル史、を語る時の陥穽・メモ

ロボットアニメ史を「ロボットアニメ」の流れだけで見ているとわからない事が「メカアニメ」とか「アニメ全般」とか「特撮・人形劇含むテレビまんが全般」とか「映画や一般ドラマ含むメディアフィクション全般」とかで見えてくるケースは、まあある。— 葛西…

「演歌」という定型の凄み・雑感

いわゆる演歌がいま何となく共有されているようなイメージ通りの「型」として完成されたのも概ね1970年代あたりのように感じるんだが、それ以降は明確に「歌詞」に意味を委ねる必要はなくなり、フシその他演歌的「定型」そのものが本質であるようになってい…

ヴィジュアル系とヒップホップの関係・メモ

90年代のヴィジュアル系、90年代の日本語ラップシーン直撃世代の自分にとってもこの方は面白い存在だと思うので注目はしている。ただBADHOPのように本質的な部分でのV系とのリンクではなくて、バブル期以降のポップカルチャー化したV系が産んだ存在かなと思…

「歌謡」のチカラ・メモ

マクロスがアニメとアイドルを融合させた部分はあるけれど。アニソンの女王・堀江美都子さんが、日本コロムビア社内では「美空ひばりの次に偉い人」と呼ばれるほど、歌は元々強かった。勝新太郎・萬屋錦之介・三船敏郎の会社潰した三人で、勝が早く借金返済…

「アルバム」の衰退

アルバムという「曲の連なり」を何度も聞き返して隅々まで覚えたり、この曲の次はこれ、ということまで体に染み付いてしまうような聴き方ができるのは、時間がたっぷりあって感性が柔らかだった若い頃でないとできないことだったんだろうな。— Andy@音楽観…

サブカル受容の現在形・メモ

今の若いロックバンドに自分はあまり興味ないが先日読んだ漫画『マスタード・チョコレート』の、ある知られざるバンドを愛したことで、そこから人間関係の窓を開く主人公へ共感を覚えた これが大正時代ならば対象は詩歌だったろう 我々世代だとカルト系と呼…

洋楽の80年代・メモ

80年代のイケてるシティボーイ/ガールはそもそも邦楽を聴かなかったように思う。竹内まりやや杏里や達郎は商業高校の女生徒が集まる喫茶店や海の家で流れている音楽だった。— 𝙏𝙖𝙠𝙖𝙜𝙞 𝙎𝙤𝙩𝙖 (@TakagiSota) 2021年3月29日 いまシティポップにハマってるような…

「ピュア」志向と情報環境

老害化石脳の自分ですら、昨今はブルートゥース経由のいまどきスピーカーで音楽流すのに馴れてしもとるけれども、古いアナログのある程度大口径スピーカーでCDやらレコードやテープ媒体の音楽鳴らすと、その音圧というか空気振動のさまに、大したものではな…

オーディオ懐古談・メモ

今日12/6が「オーディオの日」であることに因んで、徒然なるままに「自分語り」など。というか、自分(の亡父)語りなんだけど。— しろぷた (@shiroputa) 2019年12月5日 私の父は、昔、俗に言う「オーディオマニア」だったんですよね。一時期カメラにも凝って…

「面倒みる」ということ・雑感

あれらにはあれらの世間がある、という言い方に伴う尊重の仕方。この世は決して誰にも均質な空間ではない、という「あたりまえ」が前提になっているということを忘れないようにしたい。 子ども、というもの言いにしても、「子」ども、のはずで。その「子」に…

秋元康のこと・メモ

秋元康の胡散臭さについては、彼がメディアの舞台に登場し始めた頃、故平岡正明が「香港映画に出てくるいけ好かないデブのクズ」(大意&うろ覚え)みたいな言い方を的確にしていたのを覚えている。それも、彼についての紹介本のようなありがちな企画に盛り込ま…

尾崎豊の、そして「ロック」の「口調」・メモ

*1 尾崎豊、何であれほど気持ち悪かったかっていうと、バイク盗んだり窓割ったりを歌うその発声が明瞭で、聖歌隊みたいに美しかったからなんですよ。不良なら不良と一聴して判る喋り方、声の出し方がある(当時はあった)んだけど、彼はそこ完全に無視した。…