尾崎豊の、そして「ロック」の「口調」・メモ

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 尾崎豊、何であれほど気持ち悪かったかっていうと、バイク盗んだり窓割ったりを歌うその発声が明瞭で、聖歌隊みたいに美しかったからなんですよ。不良なら不良と一聴して判る喋り方、声の出し方がある(当時はあった)んだけど、彼はそこ完全に無視した。だから世代を超えて人を魅きつけたんだけどね。 

尾崎豊 15の夜 歌詞つき
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 喋り方、声の出し方で判別される所属階層や属性、というのは確かにあって、それは日常会話において経験的に蓄積されている世渡り上での経験知の一種ではあるんだろうが、それとはまた少し別にこのような音楽、特に商品音楽としての「うた」においてもそれらの経験知が下敷きになっている可能性は、指摘されているような意味でも興味深い。ヤンキー的な「反抗」を「聖歌隊みたい」な「明瞭」な発声で歌った、ということのズレが期せずしてはらんでいた「異化効果」とか。


尾崎豊 - I LOVE YOU (新宿ルイード)

 たとえばオペラ歌手とかさだまさし、「千の風になって」の高い声の人いるじゃないですか。ああいう人が「おれはプッシャー ファック・ザ・ポリス、ナメてるニガーは皆殺し」みたいなギャングスタ・ラップ唄ったら気持ち悪いでしょ。でも、伝えたい「お話」はわかりやすいよね。発声が明瞭だから。

 この「お話」というのは、自分が使うような意味とはもちろん少し違っているけれども、言いたいことはわかる。言葉≒歌詞を介して伝えられる一次的な意味、いわゆる「言葉として歌われている中身」といったものだろう。言葉なのだから「発声が明瞭」な方が意味を伝達するという機能において明快だし、純粋に意味伝達の媒体という意味での言葉として透明性も高いことになる。違う角度から言うなら、楽曲の中の歌詞≒言葉が純粋に言葉としての機能において突出したありようで存在している、ということでもある。もちろんそれは「うた」としての言葉、とはまた別の文脈で。日常的な意味伝達媒体としての言葉、という部分に特化された存在の仕方として。「うた」の要素のひとつ (にすぎない、敢えて言えば) 言葉が突出して、意味の伝達という役回りに特化されて存在している、という事態。

 でも、ラップなんかはそうじゃない、言葉はあるけれども伝達すべき意味というのは「音」としての属性、あるいは「リズム」や「呂律」などもひっくるめての、そういう意味では音楽として「うた」としての「まるごと」の側によりなめらかに寄り添うようになったありようとして存在している、ということになる。このへんは、かの阿呆陀羅経や「~尽し」などの本邦口頭での芸能などにも連なるありようでもあり。


阿呆陀羅経三題

 昔の、60年代日本ロックの本読んでると「本物かどうか」にすごくこだわるわけ。本物てのは「本物の不良」ってことね。芸能事務所がでっちあげた悪そうなイメージでロックやるガキは願い下げ、という、これ辿っていくと米軍にいくんだわ。ハーフや米軍基地で演奏したってのが一番位が高い。カップスとかね。

 本邦での「ロック」が「不良」のもの、つまり「学校」的な世間の価値観世界観とはひとつ別のところから響いてくる「異物」であったことは、いわゆる文化論的な枠組みでの「対抗文化」「若者文化」「部分文化」などといったくくり方*4に収納してしまうような意味あいとも少し違う、「学校」的な「整序された正しさ」「守られるべき秩序」というレイヤーがあらかじめそれら「対抗」なり「若者」なり「部分」なりに覆い被せられていた上で初めて、それらとは別の〈それ以外〉の領域から響いてくる、という感じにおいて、なのだと思う。このあたり、しちめんどくさいようだけれども、実は案外重要な論点の解像度に関わってくる。「学校」的なるもの (とひとまず言っておく、他に適切な言い方が見つかればいいのだけれども) が社会のある領域、「若者」と呼ばれる社会化過程にある者たちの日常の上にそれまでと違う密度濃度で覆い被さっていった「戦後」の、おそらくはサンフランシスコ平和条約締結前後を境とした本格的に日常的なもの言いとしての「戦後」がその内実ともども始まった頃から後の過程を言葉本来の意味での「歴史」としてとらえようとするならば、必須の手続きとしても。

 だから本物志向のロックバンドはみんな英語なまりだったんですよ。矢沢永吉内田裕也の発声、語尾の崩し方にはその名残がある。ルー大柴みたいに横文字っぽく喋る人が「遊び人」「不良」と呼ばれた時代があったってことだ。ルー大柴は微妙だけど、まあいいや、それが古くなった頃に出てきたのが尾崎なの。

 英語と日本語ロック問題w……あ、いや、笑い事じゃなく、かつては大論争の焦点にもなっていたお題であり。先の「本物」ということとも絡んでくるんだろうが、「ロック」の「本物」は当然「英語」に決まっている、という前提ありきの大論争でもあったわけで、賛否両論共にそういう意味での「本物」が基準であり「正しさ」でもある、という前提の上であれこれ七転八倒していた部分は否めない。

 しかしこれは、その「英語」という言葉自体がすでに「ロック」という音楽のひとつの要素になっている、という認識が前提になっているということでもあるはずで、その場合の「ロック」の歌詞≒言葉というのは、意味の伝達を第一義とするようなものではなく、「音」であり「リズム」「呂律」でもあるような属性もひっくるめての「音楽」の一構成要素として平等に扱われている、ということでもある。そこで歌われている言葉の意味などわからない、わからないからこそ単なる「音」として「リズム」として「音楽」の一部として渾然一体として聴くことができる、という事情。その渾然一体というのは当然、音楽本来のうっかりと身体に響いてしまう、だからこそふだんとは違うココロやキモチ、気分などが平然と宿ってしまう、そういうヤバさアブナさにじかに、うっかりと遭遇してしまう、ということでもあるから、意味の媒体としての言葉というアンカー抜きにどんどん勝手に身体を動かしてしまうようにもなる。外国語として意味がそのものとしては伝わらない、だから歌詞としての役割を初手から放棄したありようで言葉が響いてくるからこそ、英語なら英語を母語とした情報空間で受け取られていたそれらロックとはまたひとつ掛けがねの外れたところで受容していったらしい本邦の事情というのもある。

 ローリング・ストーンズミック・ジャガー、インタビューなんかでは、かなり明瞭な英語を話すインテリだけど、ステージに立つと訛りがまるだし 何言ってるかわからない、使い分けてる、と聞いたことある。だからロックの発話法、特有の喋り方ってのがあるんだろうね。けっきょく外国の文化なので。

 本当だとしたら、これもまたその言葉と「うた」の関係と地続きな意味で、同じ母語を共有する空間においてもまた、ロック「らしい」音楽としてのありようとして、それら意味伝達媒体としての言葉の属性を低下させておく、そのことによっておそらくロック「らしさ」が担保されるということもあったのだろう。言葉を前提とした意味の重さ、かったるさ、ある意味での平板さや「正しさ」を振り切ろうとする営みという意味ではこれも「うた」本来の、決してその場その時につなぎとめられ切るものではないありようとのっぴきならず関わってくる。
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*1:TLに流れてきた、尾崎豊への違和感の記憶、から。「うた」と口調、語り口などの問題。「ロック」音楽が受容されていった過程での意味づけられ方、などまで含めてそれぞれ枝葉のように問いを繁らせてゆけるテキストとして。学生若い衆との、たとえばゼミでのお題、叩き台としても。

*2:この「聖歌隊みたいに美し」いという表現はちょっと微妙に違和感もないではなく。若干のしゃがれ声っぽさ、特に声を大きく「張る」個所や強く前へ出そうとした時におそらくナチュラルにからんでくるそういう軽いハスキーさ、みたいな部分もおそらく当時の尾崎豊を聞いていた人がたの「聴き方」にとっては重要ではあったんじゃないか、とはおも。もちろん、ここでの文脈でその「美しかった」という言い方に込められているはずの意味あいについては異論はないから、これはこれでいいと思うのだが。

*3:尾崎豊については音楽商品としても自身についても特に興味関心を持ったことはない。その限りで世間一般通りいっぺんの意味あいしか持っていなかったし、その後もそうなんだが、ただ、出てきた当時の彼の語られ方、そこに蝟集してゆく「ファン」の独特のありようについては素朴に「なんだかなぁ」(まさにこの言い方がドンピシャだった) 感を抱いていた。たとえば、こんな雑誌が立ち上がって、そこに集まってくる「読者」たちの投稿などを介したたたずまいなども。思えば、その後の初期のwebでの掲示板文化、それこそNIFTYサーブから2ちゃんねる創生期に至るあたりの集まり方、「コミュニティ」wの作られ方などにも通じてゆく「たむろの仕方」だったのかも知れない。

ヒストリーズラン = History's run ([マガジンハウス]): 1984|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

*4:それぞれ「カウンターカルチュア」「ユースカルチュア」「パートカルチュア」と置換するが吉。

*5:後日、関連してこんなTweetもTLに(´・ω・)つ