「専門性」について・雑感

 「専門性」ということを、あらためて考えてみている。

 とりあえずは学者研究者、昨今の言い方に倣えば「アカデミシャン」というあのけったくそ悪いもの言いになるのだろうが、良くも悪くもそういう立ち位置を方便としてでも取りながら世渡りしてきた身ではあれど、常にそういう文脈での「専門性」というのは、さて、どのように担保され得るものなのか、日々の仕事に追われながらもいつもどこかでひっかかっていたような気がする。

 このところはまたもあの「人文系」の問題に関わってくるからなおのこと、なのだが、こと人間と社会、文化に関わってくる領域で何ほどかの仕事をしようとする場合、何かひとつお題があるとして、それは学術研究「学問」世間の地図の中で、さて、どのへんが守備範囲になっているものか、どういう分野に役に立つ論文や考察、分析の類があるものか、それこそ「先行研究」とひとくくりにされるような間尺であたりをつけることを、まずはやってみるのが悲しいかな、ひとつのルーティンにはなっている。その程度にこの自分もまた、「学問」世間でそういうしらべものの事始めを刷り込まれてきたらしい。

 とは言え、これは近年だけでもなく、はるか昔、うっかり大学院などに「入院」してしまった当初から抱いている疑問ではあるのだが、そういういわゆる「専門性」、あるひとつの学問領域、●●学と仕切られた枠の中で、その世間であたりまえとされ「そういうもの」になっているものの見方を準拠枠としてあてながら、自分の問いと関係づけてゆこうとした場合の世界の切り取られ方というのは、そこから先にどんどん掘り進んでゆけばゆくほど、もともと持っていた問いが宿っていた全体像というか、そもそもの〈まるごと〉とでも言うような間尺での見取り図が見えなくなってくるような気がして、いつも何となくいたたまれないような、これでほんまにええんかいな、と自問自答しながらの道行きになるものだった。

 まあ、そんな疑問などを生意気にも抱いてしまうことからして、そもそも「学問」世間に本当に棲み込むことのできない外道だったということなのだろうが、ただ、これはかなり本気で真面目に言うのだけれども、こと人間と社会、文化といった水準からナマモノの現実、それも自分自身がその裡に日々生きて呼吸もしている「現在」≒〈いま・ここ〉を相手どろうとする場合、「学問」世間上の地図における戸籍や住民票がどのようなものであれ、その「専門性」によって保証された言わばマイクロレンズのような微視的で精細な、これまたいまどきのもの言いで言えば「解像度」の高い視界と共に、ふだんのおのれの日常、日々の生活世界に即した身の丈等身大の現実に即した標準レンズ的な視界、「学問」世間などもその中の一部でしかないような、そんなあたりまえの「解像度」もまた同時に意識しておくようにしないと、「学問」世間以外の広大でとりとめない世間一般その他おおぜいの〈リアル〉との対話ができなくなるだろう、と常に感じて、ひそかに自らを戒めていたところはあった。

 もはやこれも昔話でしかなくなっているようだけれども、アカデミズムとジャーナリズム、といった図式もあった。学会の専門誌だけがまっとうな発表の場で、そこらの書店の店頭に並ぶような商業誌に書くこと自体言語道断、学者研究者として堕落でしかなく、著書というのももちろん、専門書の研究所でグラシン紙にもっともらしくおかいこぐるみにされた箱入りの味気ない装幀のものしか認めない、まあ、そんな窮屈で不自由としか思えない「そういうもの」の約束ごとというのも、まだいくらか残り香くらいは残っていた時代。

 けれども、不思議なことに同時にまた、眼前の〈いま・ここ〉をナマモノとして相手取らねば埒の明かない分野というのも、その「専門性」を看板に掲げた「学問」世間にはすでに存在するようになっていて、それこそ文学や社会学、思想史、比較文化や哲学といった界隈から、歴史でさえも近代史からなしくずしに現代史へと手を拡げた民衆史や、新参者とは言えあっぱれ正面突破で注目を集めるようになった文化人類学や不肖民俗学などまで、良くも悪くも物情騒然、玉石混淆で常にうつろい続ける「現在」の「現実」、〈いま・ここ〉の世間とそれぞれ直接に取っ組み合うような「専門性」も、すでにうっかりと「学問」世間の肩書きと共に現前化していた。

 いわゆる「人文系」と呼ばれる領域、自分などは「人文社会系」と敢えて呼ぶことで、経済学や法学など「社会科学」と自称してやくたいもない人文系とは別ものだ、という構えを見せている領域もゆるくひとくくりにして、四半世紀から30年ほど前、ざっくり平成に入るあたりからみるみるうちに攻め滅ぼされてしまったあの「一般教養」という間尺での「教養」のありように無理矢理にでも紐付けようとするのだけれども、いずれそのような人間と社会、文化といったところに問いを設定、合焦してゆこうとする humanities のたてつけにおいて、あらためて〈いま・ここ〉を相手取ろうとするのなら、果してどのような道具や武器を、それを扱う上での技術や身構え方なども含めて手にしなければならないのか、そしてそれはいわゆる「専門性」とどのように関係づけられるのか、そんなことを思えばこの40年ほどの道行きで、手放そうとせぬまま未だに抱え込んでいるように思う。

 戦後まだ間もない頃、昭和20年代から30年代前半あたり、高度経済成長にさしかかる頃までの情報環境において言われてきていた学術研究における「専門性」というのは、おそらくそれ以降の状況におけるそれとは相当に異なる内実をはらんでいたのだろう。そこらの書店に並ぶ商業誌に何か書くなど言語道断、学者であるなら自分の専門分野においてその権威と信頼性がきっちり担保されている学会誌やそれに準じる専門誌、あるいは学会発表や報告などにアウトプットしてゆくのが本領であり、そのような場での専門家同士の切磋琢磨こそが学術研究を「進歩」させるものだ――まあ、ざっとこんな感じの信心深さが天然であり得た時代。ジャーナリズム的に言えば、月刊誌で市場がまわっていたところに、週刊誌が登場し、同じ「商業誌」でもその生産過程がそれまでと違う速度でまわり始めるようになったことと、おそらくそれは深く関わっていた変化だったのだろう。

 どんなに「専門性」を極めようとも、その最先端の部分がその専門領域以外に向かって開かれていない状況。それが「そういうもの」としてあたりまえのものになって、すでに久しいらしい。なるほど、日々の中でひとりの個人が接する情報量は増大し、その質もまた視聴覚あらゆる方向において多様化してきた。「情報化社会」という言い方で、それが個人の制御し得る閾値を越えてゆくことへの不安が表明されていた時期もとっくに通り過ぎてしまった。学術研究の世間のありようもまた、それらの過程に伴い変貌してこなかったはずもない。特に、人間と社会、文化の位相で〈いま・ここ〉の現実を相手どる「人文系」においてはなおのこと。にもかかわらず、「専門性」という言葉に込められる内実についての自省や留保はされなくなり、むしろその自明さにあぐらをかいて、ひたすら内側に向かって自閉し蠱毒化してゆくばかり。

 自分自身が「そういうもの」と思い、そこで作業することに何ら疑問も懸念も抱かないままでいられるような、そういう「人文系」学術研究の世間にあらかじめ純粋培養されたクローンめいた存在、それを「アカデミシャン」と呼び、何より自らそう自称して恥じなくなったことは、同様に「研究」というもの言いが臆面なく自己の存在証明として振り回されるようになっていった過程と重なっているのだろう。
king-biscuit.hatenadiary.com
king-biscuit.hatenadiary.com