Z世代が言われたくない言葉10選です。
— MOMURI+(モームリプラス) (@momuriplus) 2025年6月22日
①とりあえず3年は頑張れ
②俺らの時代は○○だった
③スマホでメモ取るのは失礼だよ
④あたりまえ・常識・普通
⑤若いんだから
⑥いくらでも代わりはいる
⑦それくらい自分で考えて?
⑧わからなかったら聞いてって言ったよね
⑨そんな甘くないよ…
Z世代が言われたくない言葉10選です。
① とりあえず3年は頑張れ
② 俺らの時代は○○だった
③ スマホでメモ取るのは失礼だよ
④ あたりまえ・常識・普通
⑤ 若いんだから
⑥ いくらでも代わりはいる
⑦ それくらい自分で考えて?
⑧ わからなかったら聞いてって言ったよね
⑨ そんな甘くないよ
⑩ ここで無理ならどこ行っても無理だよ
還暦過ぎの爺だが5くらいだな言ったのは。
1 スキルを身に着けようとする姿勢次第
2 昔話ネタでしか使わん、だからこうしろとは言えん
3 記録さえすれば媒体はなんでもいい
4 狭い範囲の常識が外に通用するとは思えん
5 だから期待しているという意味だな。
6 今時言えるのは余程の会社
たぶんこれは階層による気がする。関西、しかも阪神間とか北摂しか知らないけど、所謂Z世代はビックリするほど冷静でリベラルな世界観を持っている。たぶん中流と下層で分断が進んでいる。 https://t.co/AfsLWN8i6K
— 六月@上海 (@Huiyuangongyu) 2025年6月23日
小5男児や担任と話してると、小5にして日本すごい論で盛り上がり、YouTubeの陰謀論にも影響される参政党みたいな傾向があり、論破ゲームが流行って石丸やひろゆきが崇められ、かつ男女分断が進んで、集団での女叩き男叩きがたまに起きるというツイッターランドの様なクラス環境らしい。日本やばい。
たぶんこれは階層による気がする。関西、しかも阪神間とか北摂しか知らないけど、所謂Z世代はビックリするほど冷静でリベラルな世界観を持っている。たぶん中流と下層で分断が進んでいる。
今の子たちはいわゆる厨二病が、小5あたりにきてる印象はありますね。小学校高学年の担任は昔の数倍は大変だと思います…チーム担任制が増えてるのもここら辺なのかなと
Z世代でもうちには2種類おるな。黙ってても自分から仕事を探し、先輩の話を素直に聞くタイプ。言われるまで口開けて待っているタイプ。教えてくれないとわからないという後者にはここは学校じゃない。仕事場。仕事出来なきゃお金も貰う権利がない。だから言われる前に自分から教えてもらいなさい。
Z世代の何がヤバいって
親から過保護に育てられただけじゃなくて
社会に出てからも過保護ってことなんだよね
20年後どうなってんだろ日本
Z世代だなんだと言われるけど、我々が若い頃にはチーマーやギャングがどうしたとか、さらに上だと暴走族ヤンキー校内暴力がどうとか酷い時代だったわけで、今の若い人の方がなんというか倫理的だなと思う。
我々大人も素直に若い人のこういう振舞いを見習わねば
この話を思い出した。加えて、今後はAIとの対話に慣れすぎて、ネガティブなことを言われる経験がどんどん減るはずだから、よりダメ出しとか出来なくなりそう。あ、AIに伝えて貰えば良いのか...。 pic.twitter.com/u1Eyqz9J5E
— Brandon K. Hill | CEO of btrax 🇺🇸x🇯🇵/2 (@BrandonKHill) 2025年6月22日
加えて、今後はAIとの対話に慣れすぎて、ネガティブなことを言われる経験がどんどん減るはずだから、よりダメ出しとか出来なくなりそう。あ、AIに伝えて貰えば良いのか...。
大変興味深い話です。ここ5-10年ほど日本の精神科外来がこういった"患者"のお悩み相談室と化しているのは多くの医師が実感しているところですが、
こちらの動画、前後があればぜひそれも見たいのですが、どちらが出典ですか?
AIは耳障りの良いことを言うのに加え、沈黙しない。沈黙と対峙することで自分を掘ると言う経験ができなくなるだろうなと思います。沈黙は金、は沈黙する方にもされる方にもだということです。
z世代以降の若者ってネットにあるものを簡単に信じてしまうのかね。某所に行ったら若い子と中年が都議選の話してたけど、若い子がずっと「再生の」を繰り返しててガックリしてしまった。snsの使い方が上手いとか、本来の政治家に必要なスキルではないしそこは大して重要ではないはずなのに。
謎にプライドだけ高い乞食貧困男、四皇とか言ってツイートがめっちゃ痛い男、美容師に育毛剤勧められた男でトリオ行きます🔥
Z世代トリオで暴れます💪
40-50代の管理職に話を聞くと、みんな口を揃えて「若手社員がガツガツしてない。競争に勝ってやろうという野心が全然ないので困る」と言うのだが、それ多分、40-50代の我々氷河期世代が競争社会の不毛さにウンザリして、子供らに「競争はクソ」と教育したからじゃないかなと思う。
正確に言うと競争社会じゃなくて「学歴だけをモノサシに競争させる社会」がクソなんだが、非人間的な苦労の割に得たものが少ない事にウンザリして、子供に同じ轍を踏ませたくないと考える氷河期世代は多いような気がする。そう考えると、ガツガツしない若者はクソな社会構造に対する反動ではある。
これからの社会で大事なのは「健全な野心」なのかなーと思う。
マウント取るために競争するんじゃなくて、自分が本当に幸せになるために必要なとこだけ競争に参加して後はほっとく生き方。社会貢献とかにハマる若者も、そういう「健全な野心」を持ちたいという気持ちの表れなんだろう。
氷河期云々の話はもういいけど、最近の若い世代の中で、たとえ自分に非があっても声を荒げてくる奴は理不尽を押し付けようとする卑怯者だと即断して応答をシャットダウンする人間が出始めてるという話、良いとも悪いとも言えんけどそういう人間が新人で多数派になると色々面白いことにはなりそうだな。
Z世代とか、そういう世代くくりでだけ語るお題でもないような気もするところはある。「草食化」とか「民度の向上」とか言われてきとる現象と同じハコかも、なのだが、なんか素で「いい人」「やさしい人」「マナーの整った人」みたいなのが本邦同胞、割と標準設定になってきとるように感じている。それがいいことか悪いことかの評価&判断は留保しとくけれども。
いわゆるポリコレDEI的な価値観もあれ、本家本元(だろう、やっぱ)の欧米白人キリスト教圏での運用は、やっぱ「タテマエ」であってホンネはそうそう変わらん「からこそ」そういう「タテマエ」でガチ装うみたいなところあったと思うし、それがこのところ一気にゆるんでしもたんだとも思うが、本邦の場合、ポリコレDEI的な価値観の流入とどこまで関係あるのかないのか別にして、何というか、素でホンネですっぽんぽんの「いい人」「穏やかな人」「やさしい人」が静かに標準設定になっとるような御仁が男女不問、殊に20代以下のいまどき若い衆世代の年下現役層には普通に棲息するようになっとる印象。
そりゃあ、ちょっと怒鳴られたり大声出されたりしたら、それだけで異常事態、怯むとかビビるとか、あるいは逆ギレするとか以前に、そもそも「あってはならないこと」がいきなり目の前に現出してしまった、みたいな反応になってフリーズ、ないしは自意識シャットダウンしてしまうのも、そのように考え併せてみるなら、まあ、なんかわからんでもない気がする。
一方で、いわゆるヤカラ系というのかストリート系というのか、やんちゃでワルでというキャラの若い衆世代はそれはそれで、あ、こういうのはこちとら老害化石脳の感覚でも何となくわかる、という見てくれやたたずまいで路上を堂々、肩肘張って闊歩はしているわけで、このへん同じZ世代でもどう棲み分けや区別、あるいは生態系など含めて仕分けされているのか、「学校」空間からも切り離されてしまっている分、もう推測するよすががなくなっているので、どうにも空をつかむような話にならざるを得ない。
と同時に、おんなさんがたの内面、自意識のありようのいまどきと、それらZ世代の世代性(だか何だか)との関係がどういうことになっているのか、というのも、また。なるほど「世代」論というのは、こういう具合にそれを道具として〈いま・ここ〉に関わろうとする側が、同じその同時代の〈いま・ここ〉の裡でどのような立ち位置にあるのか、によってもその内実、いまどき風に言えば解像度というあたりがかなり異なってくるものではあるらしいな、とこれもいまさらながらに。
生身の人と人とが「関わる」こと、そしてそれによって何らかの「場」に包摂してゆき、相互に制御してゆくようなことを「しつけ」や「教育」「訓練」といった位相で社会の仕組みとして、まさに「そういうもの」として組み込まれていた状況から、本邦はもう遠く来てしまっているのだろう。「公共」的なるもの、についての想像力の射程が細かく分断されてしまっているような印象の昨今も、あるいはまた、「将来」についてのそれも同じく、人として、また生きものとして逃げられない宿命としての「いのちをつないでゆくこと」についての想像力が希薄化し、枯渇しかかっているかに思える状況も、共にそのような日々の暮らしの裡にすでに「そういうもの」として現前化している現象に広く下支えされていることではあるのだろうけれども。