2024-01-01から1年間の記事一覧

「話し合い」への不信感、その来歴・雑感

「話し合い」「対話」「議論」で何か事態が好転したり問題が解決したりした経験、あの小学校の教室このかた、まずないままのような気がしている。そういう「学校」における「話し合い」のやり方やその場の雰囲気、そこで使い回される言葉やもの言いなども全部ひっく…

小説と随筆、の違い (とは)・雑感

最近、あらためてわからなくなっているのが、小説と随筆の違い、というやつ。 散文で書かれた(もちろん日本語で、という前提だが)文章であるなら、とりあえずどんなものであれ「読む」ことはできるわけで、その文章が小説なのか随筆なのか、エッセイなのかコラ…

葬送のフリーレン(アニメ)・断片 & 走り書き

浪花節、なんでないか、これ (おい) 例によって唐突すぎて、わけわからんだろうが。 まあ、そもそもさらに例によって、いまどきのアニメの制作現場の論理やら現実的な条件のあれこれからして、ほとんど何も知らんしわからんまま言うとるんだから、あたりまえ…

耳で観る芝居、のこと・雑感

浪曲/浪花節が、ある意味「耳で観る芝居」的な受容のされ方していたのと地続きで、戦後の流行歌/歌謡曲の、のちに「演歌」とくくられるようなものが輪郭定まってゆく過程でも、「耳で観る芝居」的要素は案外濃厚に意識されて創られていたようにおも。要検討お…

「文学」と呼びならわされている多様な表現の形式、と、その不自由・雑感

いわゆる「文学」と呼びならわされてきている多様な表現の形式――とりあえず話し言葉も含めての言葉を介してのものに限っておくけれども、それが「個人」の「創作」としてあたりまえに認識され定義されるようになってゆく過程の外側、〈それ以外〉の部分をどのよ…

アクチュアリティ、と、リアリティ・メモ

花田清輝の言うところの、アクチュアリティとリアリティの関係について。 アクチュアリティを、一応、偶然としてとらえ、現在の偶然を踏み台にして、過去の必然と未来の可能とを弁証法的に統一したものが、現実――つまりリアリティだ」というのが、花田の説。…

高卒で就職した、ある先輩のこと

高校時代のラグビー部に、高卒で大手都銀に就職したという先輩がいた。一緒にプレイしたのでなく、自分が現役の時すでにOBだったから四つか五つ年上だったのだと思う。こわい先輩ではなく、気のいいタイプで、ごくたまに顔を見せては年下の自分たちと一緒に…

エリジウム的なるもの、の経緯来歴・メモ

世間的な評判や評価、風評なども含めたゆるふわな風向きだけに過敏に反応しなければおのれの地位が保てないと感じる――要はポピュリズムなんだろうが、そういう心性にとって、広報・宣伝に特化したように見える情報業者は皮膚のように一体化して貼りつくもの…

「青春」ということ・メモ

文字の創作文芸としては、石坂洋次郎~石原慎太郎あたりの線で「戦後」の「青春」の輪郭が定まっていったところはあるんだろうが、でもそれは戦前のそれともズレてるし、「学校」(共学の)が補助線になってもいるわけで。それが邦画全盛時代にある種ミーム的にも…

「詩人」の描写、あるいは解像力

ここ3年半ほどの間、手もとにある古書雑書の類と、そこから派生するとりとめない問いに関して求めて読むものをベースにして、あれこれものを考えることしかできなくなっているけれども、そんな老害隠居化石脳の道行きでも、いくつか何となく焦点となるお題の…

とんねるず、の衝撃と記憶・メモ

前にも書いたが、とんねるずの登場は1984年当時業界では革新的だった。それまでにないお笑いタレントなのにスタイリストが付いてカラフルなK-FACTORYに身を包んだ二人は高身長でスポーツの背景があり、ルックスも華があった。「夜ヒット」では衣装で光GENJI…

新体詩と戯曲、その他・メモ

口語自由詩があたりまえになってゆく過程で、方言をその口語自由詩に反映されてゆくことも一部試みられてくるのですが、ただそれを「朗読」する場合に実際どのように発音発声していたのか、まして標準語の話しことばと混在しているような作品の場合、とかいろ…

「消費者の横暴」ようやく?

「消費者の横暴」といった言い方で、戦後の「豊かさ」が醸成していった「市民」意識が、同時に「消費者」意識の暴走につながり、それは〈おんな・こども〉(社会的主体でない/なりきれない「市民」意識)の独裁の様相を呈していった、と長年言うてきたこと、ここにきて…