ポリコレ、の背景・雑感


 自分が代表務めている組織の、そもそも何が、どういうところが社会から問題視されておおごとになってしもとるのか、ということは、やっぱりものの見事に抜け落ちたまんま、なんですなぁ、この御仁。


 「おんな」だから「不当に叩かれている」ということ一点「だけ」しか認識しない/できないようで。

 でも、その「叩かれている」(と感じている)中身の具体的な内容については、いっさい全く合焦しない/できない、と。

 「おんな」だから「不当に叩かれている」という理解枠組みが発動された/できた瞬間から、すべてセカイはそれだけになって、しかもそれは「おキモチ」ドリブンのハナシであり、ご本尊自身も言語化しない/できない/能力ないのでまわりは放置するしかなくなる、というワヤの二乗三乗無限連鎖状態。

 現実にあかんことしてても、それこそ法に触れるようなことを(うっかりにせよ)していたとしても、「おんな」だから「不当に叩かれている」という理解枠組み発動ですべて無視してしまえる、という態度を、しかも集団でゴリ押ししてきて一切恥じないのは、さすがにいくらなんでもそれは……になるわけで。

 司法判断にもそういう「おんな割り」がどうもあるらしい、的な理解が世間一般その他おおぜいのレベルで何となく広まりつつあるのも、ほんまはかなりヤバいこと(男女不問で、そもそも社会として)なんだと思うんだが、どうもそういう各種割りが半ば公然と「正しい」になりつつある局面も……法曹さんがたの世間における「そういうもの」化を、すでにしつつあるのかもしれん、ということも含めて。

 この「おんな」の部分を、その他いろんなものに代入してゆくこと、それこそ「弱者」「被害者」「マイノリティ」的な属性まとわせたあれこれ何でも見境なしに放り込んでゴリ押しすることまで、問答無用の「正しい」になりつつあるようなんだわなぁ……

 ポリコレ無双、ってそういうことなわけで。

 ポリティカルに適切(正しい、ではない)であること、くらいの意味あいで解釈するのがひとまず無難だとはずっと思うとるんだが、そもそもその「ポリティカル」というのが本邦語彙としてものすごくねじれた意味あいでしかとらえられてきていないらしく……

 「政治的に」と機械的に置き換えて訳してしまって、そのまま流通してしもたことの弊害、ってのも、本邦日本語を母語とする半径においては特殊にあるなぁ、と。

 社会の、いや、世間の、でもこの際構わんと思うが、その穏当な制御と維持管理のために、つまりそういう(現状としては)望ましいと思える状態を何とか保つためにひとまず「適切な」もの言いや態度、考え方というくらいのほどき方をていねいにしとかにゃ小さなズレがどんどんえらいことに、になるわけで。

 ホンネとタテマエ、的なこれまたこれまでありがちだった説明図式とそのまま重ね合わせることもされてきとるが、そこもめんどくさいこと言うなら、そんなに単純化したらまた別の難儀も飛び出すわけで。それこそ、キリスト教一神教下とそうでない本邦的何でもありな世間での「ホンネ」の意味の違いとか……

 「性的なまなざし」とかいうやつにしても、ようわからんけど、あのキリスト教の「情欲コミでおんなを見たら、その瞬間からもう犯したのとおなじやで」というやつ、あれが下地にあるかないかでどえらく意味も変わってきたりせんのかな、とか。

 それ、あの前回の米大統領選でのラストベルトのトランプ支持層のプアホワイトなんかと同じ立ち位置ってことで、そういう存在こさえていった果てに、さて、どういう事態になっていったか、もう眼前の事実として見てきとるはず、だよね。