「戦争」のジェンダーギャップ・断片

 これ、例によってずっと前から言うとることでもあるけど……

 「戦争」って語彙を使う時に想定される内実、イメージでも何でも、それって、おとことおんなで実はまるで別ものだったりするところ、少なくとも本邦「戦後」の過程ではずっとあり続けてきているとおも。

 「特攻」でも「玉砕」でも、あるいは勝ちいくさで相手方を「全滅」させたり「占領」したり、でも同じことで、自分が軍隊という組織・集団の一部として、まさに「当事者」wとしていることを、自分ごとで考えられる限界みたいなところが必ずあるとおも。良し悪しとはひとまず別に。

 それを埋め合わせるために「夫」や「子ども」、果ては「教え子」などをダミーにして「当事者」身ぶりのコスプレやってきたようなところ、あるんだとおも、「戦後」本邦大衆社会状況下での「戦争」語り(概ね「反戦平和」「護憲」的脈絡の大文字に収斂されてきたわけだが)の「おはなし」話法。

 ある時期からこっちの本邦フェミニズムなりジェンダーなんちゃらなりの言説って、流布され受容されていったその下地のある部分には、そういうダミー的な存在介した「当事者」身ぶりのコスプレを、全部まるっと「おんな」属性でひとまとめにする/できる最終兵器呪文みたいな意味あいもあったとおも。

 そりゃ「おんな」属性最強、その「おキモチ」無双、にもうっかりなってしまうわなぁ、と。