「大学」のあやしい人・メモ

 昨今の「大学」という場に、年齢不詳、学生なのか何なのかすらあやしい、でも何となくそこらにいて妙な存在感はあるから、みんな「ああ、あの人」程度の認知はしている、といったような人物は果して存在しているのだらうか。

 教室や校舎の中はうっかり立ち入れなくなっているみたいだし、ましてモグリで聴講などできないらしく。といってサークルや部活の類にしても、コロナ禍もあり低調に推移、何より「たまり場」となる場所が失われていると共に、そのような「たまる」ことをすでに必要としない生身がデフォに、のようで。

 「院生」なんて、そういう得体の知れない存在の一部でしかなくて、何の酔狂か知らないけれども、まだ就職もせず、社会に出ないでこの「大学」に「残ってる」と。

 講座や研究室という制度がきっちり稼動していた分野や学科、学部はいざ知らず、学部生の頃から双葉より何とやらで先生の覚えめでたく、キミは大学に残りたまえ、くらいの待遇で「入院」する、そんなまっとうな(だろう)人がたの経歴の成り立ちは、おそらく国立大のそれもごく一部で「そういうもの」化…

 理科系はいざ知らず、いわゆる人文社会系≒「文科系」の「大学」の「院生」なんざ概ねそんなもん、モラトリアム(そんなもの言いはまだ知られてなかったが)の煮凝りで箸にも棒にもかからん物件、実家住まいは別格で、そうでないのは塾や予備校講師、出版まわりの下請け雑役の類で食いつなぐ日々。

在学中、留年しっぱなしで入り直したとかいう先輩いました。あの人幾つだったんだろう。

 そういう得体の知れないのが必ず混じってた、そういうのが「大学」だったという記憶。そもそも学生ですらないのも含めて。

かつてどの大学も「裏技」を使えば24〜32年間在籍でき、しかも1970年代前半の入学なら学費も激安だったわけで、そういう時代だからこそ存在しえたんじゃないですかね。うちの店の常連客にも京大を12年かけて卒業した人がおりました。

 ああ、そういう事情や背景はあったでしょうね、確実に。国立大学の学費が安くて、だから割と気楽に留年その他できただろうというのは、おっしゃる通りだと思います。

いわゆる夜間部・2部がギリギリ残っててた20年前ぐらいがそういうのを見たことがある最後の学生じゃないかな…。

日大芸術学部には8年生がザラにいました(90年代当時)