「教える」ルーティンの縛り・雑感

 3年前、予期せぬ形で勤めていた大学から放逐されることになって、それまでそれなりに日々のルーティンになっていた講義や演習など、大学というたてつけの中であたりまえにあった「教える」という営みから切断されて、ものを考える習い性まで微妙に違うものになってきたように感じています。

 「教える」というのは言うまでもなく、自分以外の他の人たち――「学生」とひとくくりにされる生身の存在に対して、ということになりますが、いわゆる普通の若い衆世代、10代末から20代半ばくらいの若者たちだけでなく、年齢も出自来歴もさまざまな外国人留学生や社会人学生も共に同じ空間に混じっていた環境で、あらかじめ決められたカリキュラムと個々の科目の進行予定を明確化したシラバスに沿って、毎回毎回それなりに整理された内容のものを提示し、上演してゆくための仕込みや下ごしらえ、準備のための手間なども全部含めて、その「教える」の中に含まれてくる。これは昨今、何も大学に限ったことでなく、高校であれ中学であれ、何れ「学校」という場で「教える」ことを仕事としてやらねばならない立場にとっては共通する日常の習い性、決められた手順のようになっていることのはずです。ただ、それが自分自身にとっても、日々のルーティンと化した「そういうもの」になってしまっていた分、それが自分にとってのものを考えたり、あるいは見たり読んだり聞いたりする営み全般にどのような縛りを与えていたものか、案外意識できないままだったようです。

 「教える」ルーティンが日々に埋め込まれたままだったなら、おそらく積極的に読み直したり、それまで視野に入ってはいても敢えて足を踏み入れなかったような領域や書き手のものについても、素直に出逢う機会を求めるようになっていますし、またそうすることで思いがけない問いの拡がりも得られている。それは、いつしか自然に「そういうもの」化している思想史や精神史、〈いま・ここ〉と地続きのそれらわれわれの、必ずしも個人のものだけでもない不特定多数の、不定形で漠然とした意識や感覚の領域の歴史的な経緯来歴について、あらためて対象化してみることにつながっています。

 「最新の」業績、「最先端の」研究状況といったありがちな、そして昨今はなぜかやたら厳しいものとして受け取られるようになってもいるらしい類のものさしを、とうの昔に自分にとっては縁ないものとして放り出して「おりる」を決め込んだ以上、価値はおのれで築いてゆくしかないのは必然なわけで、ただ、そんな道行きにおいても、その「教える」という日々のルーティンが知らない間に自分自身の認識枠組みのような部分に対する縛りになっていたらしいことは、まあ、そうかぁ、やっぱりそういうことなのかぁ、という感慨と共に、ニンゲンいくつになっても、還暦越えて現役退く年齢にさしかかっていたとしても、まだ日々新たに何ものかを更新してゆけるものみたいだな、と敢えて脳天気に構えるように心がけています、はい。