「詩人」の描写、あるいは解像力

 ここ3年半ほどの間、手もとにある古書雑書の類と、そこから派生するとりとめない問いに関して求めて読むものをベースにして、あれこれものを考えることしかできなくなっているけれども、そんな老害隠居化石脳の道行きでも、いくつか何となく焦点となるお題のようなものがいくつかできてきていたりはする。そんな中のひとつにこのところ、いわゆる「詩」に関するもの、本邦の「近代詩」「現代詩」と呼ばれてきたような領分に関するあれこれも含まれている。

 とは言うものの、そもそも「詩」なんてのにまともに向き合ってきたことは正直、ほとんどなかった。それは「文学」や「美術」などと同じく、もっと言えば「芸術」ひとくくりにされるような領分そのものに対しての、引け目やらうしろめたさやらコンプレックスやらが一緒くたにないまぜになったような、自分のある種のあかんところ、だったようにも思う。*1

 で、そんな次第で、いわゆる「詩人」とされてきた人がたの自伝なり評伝なり回想録なりも、あらためて拾って読んでみたりしているのだが、いわゆる「作家」「小説家」「文学者」などと呼ばれてきたような人がたのそれらよりも、何というか、素朴にオモシロい細部や断片が濃密に含まれていることを、結構楽しんでいたりする。

*1:そのへんの事情を腑分けしてみれば、たとえば、こんな感じに。 king-biscuit.hatenablog.com king-biscuit.hatenablog.com